童子問 / 卷上
問何謂人外無道。曰。人者何。君臣也。父子也。夫婦也。昆弟也。朋友也。夫道者一而已。在君臣謂之義。父子謂之親。夫婦謂之別。昆弟謂之叙。朋友謂之信。皆由人而顯。無人則無以見道。故曰。人外無道。何謂道外無人。曰。道者何。仁也。義也。禮也。智也。人囿于其中。而不得須臾離焉。離焉則非人也。故曰。道外無人。凡說天地之外古今之遠。而無資于人倫。無益于天下國家之治焉者。皆邪說之魁也。設令宇宙之外復有宇宙。苟有人生於其間。必當有君臣父子夫婦之倫。而循仁義禮智之道。故曰。由人而顯。無人則無以見道。謹聽此說。勿爲異說所惑焉。
新字:問何謂人外無道。曰。人者何。君臣也。父子也。夫婦也。昆弟也。朋友也。夫道者一而已。在君臣謂之義。父子謂之親。夫婦謂之別。昆弟謂之叙。朋友謂之信。皆由人而顕。無人則無以見道。故曰。人外無道。何謂道外無人。曰。道者何。仁也。義也。礼也。智也。人囿于其中。而不得須臾離焉。離焉則非人也。故曰。道外無人。凡説天地之外古今之遠。而無資于人倫。無益于天下国家之治焉者。皆邪説之魁也。設令宇宙之外復有宇宙。苟有人生於其間。必当有君臣父子夫婦之倫。而循仁義礼智之道。故曰。由人而顕。無人則無以見道。謹聴此説。勿為異説所惑焉。
書き下し
問ふ、何をか人の外に道無しと謂ふと。曰く、人とは何ぞ。君臣なり、父子なり、夫婦なり、昆弟なり、朋友なり。夫れ道は一のみ。君臣に在りては之を義と謂ひ、父子には之を親と謂ひ、夫婦には之を別と謂ひ、昆弟には之を叙と謂ひ、朋友には之を信と謂ふ。皆人に由りて顕はる。人無ければ則ち以て道を見ること無し。故に曰く、人の外に道無しと。何をか道の外に人無しと謂ふ。曰く、道とは何ぞ。仁なり、義なり、礼なり、智なり。人其の中に囿まれて、須臾も離るることを得ず。離るれば則ち人に非ざるなり。故に曰く、道の外に人無しと。凡そ天地の外・古今の遠きを説きて、人倫に資すること無く、天下国家の治に益すること無き者は、皆邪説の魁なり。設令宇宙の外に復た宇宙有りとも、苟も人其の間に生まるること有らば、必ず当に君臣父子夫婦の倫有りて、仁義礼智の道に循ふべし。故に曰く、人に由りて顕はる、人無ければ則ち以て道を見ること無しと。謹んで此の説を聴き、異説の惑はす所と為ること勿かれ。
現代語訳
問う。「人の外に道はない、とはどういうことでしょうか。」答えて言う。「人とは何か。君臣であり、父子であり、夫婦であり、兄弟であり、朋友である。そもそも道は一つである。君臣にあってはこれを義といい、父子にあっては親といい、夫婦にあっては別といい、兄弟にあっては叙(順序)といい、朋友にあっては信という。どれも人によって現れる。人がいなければ道を見ることはできない。だから人の外に道はないと言うのだ。」「道の外に人はない、とはどういうことでしょうか。」答えて言う。「道とは何か。仁であり、義であり、礼であり、智である。人はその中に包まれていて、片時も離れることができない。離れればもはや人ではない。だから道の外に人はないと言うのだ。およそ天地の外や古今の遥かなことを説いて、人倫の助けにならず、天下国家の治めに益のないものは、すべて邪説の首領である。たとえ宇宙の外にまた宇宙があったとしても、そこに人が生まれるなら、必ず君臣・父子・夫婦の人倫があって、仁義礼智の道に従うはずである。だから『人によって現れる。人がいなければ道を見ることはできない』と言うのである。謹んでこの説を聴き、異説に惑わされてはならない。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷中問ふ。喩を承く。論語は宇宙第一の書たり、而して仁は孔門第一の字たり、と。然るに大学のごときは、敬を以て要と為し、中庸は誠を以て主と為す。及び詩の思ひ邪無き、書の中、易の時、一書各一書の綱領有り。如何。曰く、人道の仁義有るは、猶ほ天道の陰陽有るがごときなり。仁義を外にして、豈に復た道有らんや。而して仁の義を包むは、猶ほ陽の陰を統ぶるがごとし。故に孔門は仁を以て宗と為し、而して義を以て輔と為す。敬とは此を敬するなり。誠とは此を誠にするなり。詩の思ひ邪無き、書の中、易の時、皆然り。道は本多端無し。故に曰く、吾が道は一以て之を貫く、と。
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『文武訓』文訓下之末一仁義は道の体なり。文武は仁義の発用なり。文武其事同じからず、其道理は一なり。文は仁の発なり、武は義の発なり。文は人を愛し、衆を和ぐるの道なり。文にあらざれば、民をなつけ衆を安んずる事なし。武は人を戒め衆を厳にするの道なり。
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『童子問』卷上道とは何ぞ。父子に在りては之を親と謂ひ、君臣には之を義と謂ひ、夫婦には之を別と謂ひ、昆弟には之を序と謂ひ、朋友には之を信と謂ふ。天下古今の同じく然る所なり。諸子百家各其の道を以て道と為して、性に循ふと否とを論ぜず。異端為る所以なり。苟も人の性に循ひて、得て離るべからざれば、則ち道と為し、否ざれば則ち道に非ず。故に聖人の道は、性を離れて独立するに非ず、亦た性より出づと謂ふに非ざるなり。晦菴謂ふ、人物各其の性の自然に循へば、則ち日用の間、各当に行ふべきの路有らざること莫しと。是れ倒説なり。蓋し性とは、己に有るを以て言ひ、道とは、天下に達するを以て言ふ。易に曰く、人の道を立つ、曰く仁と義と、是れなり。故に人有れば則ち性有り、人無ければ則ち性無し。道とは、人有ると人無きとを待たず、本来自ら有るの物にして、天地に満ち、人倫に徹し、時として然らざること無く、処として在らざること無し。豈に人物各其の性の自然に循ふことを待ちて、而る後に之有りと謂ふを容れんや。晦菴の所謂の若きは、則ち是れ性本にして道末、性先にして道後なり。豈に倒説に非ずや。
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『五常訓』巻之二・仁之上一仁は義礼智信を兼ねて其中にあれども、五の者をならべ云ふ時は、各一理ありて、仁を相助くべし。仁の理、義を得ざれば宜しく行はれず。礼を得ざれば節分なくして立たず。智を得ざれば善悪を明かに知らず。信を得ざれば偽りありて守りがたし。四の者皆そなはりて、仁の道行はる。然れば義礼智信は、もと仁より出でて、仁をたすくる理なり。
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『五常訓』巻之一・総論五常の性は体なり。其理説きがたし。用にあらはれて、見えやすきを以て、其字義をいはば、愛を仁と云ふ。愛はあはれみなり。宜を義と云ふ。宜とは事物に相応するを云ふ。各其事につきて理に当るなり。理を礼と云ふ。理とは人をうやまひ、事に則ありて、正しくすぢめ有るを云ふ。通ずるを智と云ふ。道理に通じ、是非を知るを云ふ。守るを信と云ふ。偽なくして、道をかたく守りて、変ぜざるを云ふ。此字義は、周子の説なり。韓子曰く、人の性とする所の者は五、曰く仁義礼智信。是人の性に、此五の者そなはれる事をいへり。故に又五性とも云ふ。此五性をすべていへば仁なり。故に孔子は、唯仁の一字を以て教とし給ふ。是易に天地の大徳を生と曰ふといへる意に本づけり。
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司馬法・嚴位故に心は仁に中(あた)り、行いは義に中る、物に堪うるは智なり、大に堪うるは勇なり、久しきに堪うるは信なり。
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