文武訓 / 文訓上
一士は農工商の上に居て、民ををさむる位あれば、一心を以て萬事に通ぜずんばあるべからず。故に、古人字を作るに、士の字、下は一に从ひ、上は十に从ふ。一は一心なり、十は數の極なり。萬事萬物をすべていへり。しかれば農工商の一事一藝にかゝはりては、萬事の用にかなはず。故に、本を先にし末を後にし、先後の次第にしたがひて、廣く事をまなび知るべし。讀書學問するは本を勤むるなり。藝術をまなぶは末に達するなり。たとへば、草木の本幹立ちて枝葉しげるがごとし。本を本とし末を末として、本末かね備はるべし。學問は四書六經を專とし、史學と諸子に及ぶべし。藝術は六藝文武の法を學ぶべし。六藝は、貴賤ともに知らずしてかなはざる日用のわざなり。
新字:一士は農工商の上に居て、民ををさむる位あれば、一心を以て万事に通ぜずんばあるべからず。故に、古人字を作るに、士の字、下は一に从ひ、上は十に从ふ。一は一心なり、十は数の極なり。万事万物をすべていへり。しかれば農工商の一事一芸にかゝはりては、万事の用にかなはず。故に、本を先にし末を後にし、先後の次第にしたがひて、広く事をまなび知るべし。読書学問するは本を勤むるなり。芸術をまなぶは末に達するなり。たとへば、草木の本幹立ちて枝葉しげるがごとし。本を本とし末を末として、本末かね備はるべし。学問は四書六経を専とし、史学と諸子に及ぶべし。芸術は六芸文武の法を学ぶべし。六芸は、貴賤ともに知らずしてかなはざる日用のわざなり。
書き下し
一士は農工商の上に居て、民ををさむる位あれば、一心を以て万事に通ぜずんばあるべからず。故に、古人字を作るに、士の字、下は一に从ひ、上は十に从ふ。一は一心なり、十は数の極なり。万事万物をすべていへり。しかれば農工商の一事一芸にかかはりては、万事の用にかなはず。故に、本を先にし末を後にし、先後の次第にしたがひて、広く事をまなび知るべし。読書学問するは本を勤むるなり。芸術をまなぶは末に達するなり。たとへば、草木の本幹立ちて枝葉しげるがごとし。本を本とし末を末として、本末かね備はるべし。学問は四書六経を専とし、史学と諸子に及ぶべし。芸術は六芸文武の法を学ぶべし。六芸は、貴賤ともに知らずしてかなはざる日用のわざなり。
現代語訳
士は農・工・商の上に立ち、民を治める地位にあるのですから、一つの心で万事に通じていなければなりません。それゆえ昔の人が字を作るとき、「士」の字は下が「一」に従い、上が「十」に従っています。一は一つの心であり、十は数の極みで、あらゆる事と物をすべて指しています。ですから農・工・商のように一つの仕事や一つの技にとらわれていては、万事の役に立ちません。そこで本を先にし末を後にし、先後の順序に従って、広く物事を学び知るべきです。書を読み学問をするのは本をつとめることであり、技芸を学ぶのは末に通じることです。たとえば草木の根と幹が立って、枝葉が茂るようなものです。本を本とし末を末として、本と末をともに備えるべきです。学問は四書六経を中心とし、史学と諸子に及ぶべきです。技芸は六芸と文武の法を学ぶべきです。六芸は、身分の高い人も低い人も知らずには済まない、日々の用のわざです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷下問ふ、蔡氏の書伝に載する所の渾天儀の制。曰く、知らざるなり。問ふ、春秋の春王正月の弁。曰く、知らざるなり。童子云ふ、聞く、先生幼より心を経学に留むと。今此の二事に於て知らざる者は、何ぞや。曰く、学に本有り末有り。必ず知らざるべからざる者有り。知るを必せざる所に在る者有り。学術・政体・己を修め人を治むるの術のごときは、是れ本にして必ず知らざるべからず。其の他、進んでは以て人を治むるに足らず、退いては以て己を修むるに足らざる者は、之を知らずと雖も害無し。渾天儀の制は、是れ有司の掌る所。春王正月の弁も、亦学術に益無し。故に左氏も亦伝へず。大凡支干・孤虚・旺相・律呂・隔八相生の属、皆然り。之を陰陽数学を好む者に附して可なり。儒者の先務に非ず。今世の小子、学を為むるの法を知らず。区区として心を此れ等の細務に留む。甚だ不可なり。
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『和俗童子訓』巻之一・総論上一四民ともに、其子の幼きより、父兄君長に事ふる礼儀作法を教へ、聖経を読ましめ、仁義の道理を漸くさとさしむべし。是根本をつとむるなり。次に、ものかき算数を習はしむべし。武士の子には、学問のひまに、弓馬剣戟拳法など習はしむべし。但一向に芸を好みすごすべからず。必一事に心移りぬれば、其事におぼれて害となる。学問に志ある人も、芸を好み過せば、其方に心傾きて、学問すたる。学問は、専ならざれば進み難し。芸は学問を勤めて、其いとま有る時の余事なり。学問と芸術を同じたぐひに思へる人あり、本末軽重を知らず、愚なりと云ふべし。学問は本なり、芸術は末なり。本は重くして、末は軽し。本末を同じくすべからず。後世の人、此理を知らず。
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『和俗童子訓』巻之二・総論下文を学ぶが内にも本末あり。経伝を読んで学問するは本なり。諸芸を学ぶは末なり。芸はさまざま多し。其内にて、人の日に用ふるわざをえらびて学ぶべし。無用の芸は、学ばずとも有りなん。芸も亦道理あることにて、学問の助となる。これを知らでは、日用の事欠けぬ。芸を学ばざれば、たとへば木の本あれども枝葉なきが如し。故に聖人の書を学んで、其ひまには文武の芸を学ぶべし。此章唯二十五字にて、人の子となり、弟となるもの教行ふべき道、是に尽せり。聖人の語、詞少なくして義備れりと云ふべし。
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うひ山ぶみ・注[ヤ]いにしへ人の風雅(ミヤビ)のおもむき末にのみかゝづらふは、実にいにしへを好むといふものにはあらず、さては歌をよむも、まことにあだ事にぞ有ける、のりなががをしへにしたがひて、ものまなびせんともがらは、これらのこゝろをよく思ひわきまへて、あなかしこ、道をなほざりに思ひ過すことなかれ、
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『大和俗訓』巻之二・為学下一世の人、多くは芸を好みて、学問を好まず。芸はたとへば木の枝葉なり。学問はたとへば木の根本なり。根本をつとめずして枝葉をつとめ、本をすてて末に専なるは、ひが事なり、道学なければ、芸多くしても根本たたず、君子とすべからず。又技芸なければ事に通ぜずして、其徳の助なし。野人といふべし。
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『斉家論』下男と思はれ候やといひければ、告げし人、我が言ふ所に同心しておかしがられき。此様の事をいはるゝも、近世の学問、多くは詩作文章に流れ、聖学の本を失へるゆへなり。論語学而篇に、行ひて余力あるときは文を学べと、孔子既にのたまへり。文学は末なり、身の行ひは本なり。凡て学問は本末を知るを肝要とす。又国を治むるには、用を節にして民を愛すとのたまふ。財宝を用ゐる事、倹約にする中に、人を愛するの理備はれり。人を愛せんと欲すとも、財用たらざれば能はず。しかれば家国を治むるには、倹約は本なる事明らかなり。これまで物語すといへども、汝いまだ得心せずと見ゆ。幸ひ今般門弟倹約示し合はせの書付を認め、其の序を予に請はれけれど、先づ何ものの存より述べられよといへば、斯くの如しとて書付見せられけり。趣意、予が心に合ふ。これ約にして見やすかるべし。此の序を見て、倹約の意味を考へ知らるべし。
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