徂徠先生答問書 / 卷下
一世上に武士道と申習し申候一筋、古の書に有之候君子の道にもかなひ、人を治むる道にも成可申哉の由御尋候。何事も道理を申つのり候へば、國天下を治め候道にもかよひ申候物に候。老莊の自然、申韓が刑名は、元より國を治むる道に候。許行が農圃盧扁が醫術、郭橐駝が種樹、柳子厚が都料匠の類御覽可被成候。殊に世上に申候武道と申候は、多くは戰國の時分の名將の筋を說傳へて軍者抔の申にて候。元より國をも治め、士卒を引廻し被申候人の道にて候へば、よき事なきにしもあらず候。然共聖人の道にたくらべ候はゞ何としてまさり可申候哉。其道を論じ候はゞまづ其人を論じ候にしくは無御座候。古の賴朝尊氏正成等より、近くは信玄謙信に至るまで、其人の賢否得失は明かなる事に候得ば、其道といたし候筋も押て知られ申候。
新字:一世上に武士道と申習し申候一筋、古の書に有之候君子の道にもかなひ、人を治むる道にも成可申哉の由御尋候。何事も道理を申つのり候へば、国天下を治め候道にもかよひ申候物に候。老荘の自然、申韓が刑名は、元より国を治むる道に候。許行が農圃盧扁が医術、郭橐駝が種樹、柳子厚が都料匠の類御覧可被成候。殊に世上に申候武道と申候は、多くは戦国の時分の名将の筋を説伝へて軍者抔の申にて候。元より国をも治め、士卒を引廻し被申候人の道にて候へば、よき事なきにしもあらず候。然共聖人の道にたくらべ候はゞ何としてまさり可申候哉。其道を論じ候はゞまづ其人を論じ候にしくは無御座候。古の頼朝尊氏正成等より、近くは信玄謙信に至るまで、其人の賢否得失は明かなる事に候得ば、其道といたし候筋も押て知られ申候。
書き下し
一世上に武士道と申習し申候一筋、古の書に有之候君子の道にもかなひ、人を治むる道にも成可申哉の由御尋候。何事も道理を申つのり候へば、国天下を治め候道にもかよひ申候物に候。老荘の自然、申韓が刑名は、元より国を治むる道に候。許行が農圃盧扁が医術、郭橐駝が種樹、柳子厚が都料匠の類御覧可被成候。殊に世上に申候武道と申候は、多くは戦国の時分の名将の筋を説伝へて軍者抔の申にて候。元より国をも治め、士卒を引廻し被申候人の道にて候へば、よき事なきにしもあらず候。然共聖人の道にたくらべ候はゞ何としてまさり可申候哉。其道を論じ候はゞまづ其人を論じ候にしくは無御座候。古の頼朝尊氏正成等より、近くは信玄謙信に至るまで、其人の賢否得失は明かなる事に候得ば、其道といたし候筋も押て知られ申候。
現代語訳
一、世間で武士道と言い習わしている一筋は、昔の書にある君子の道にもかない、人を治める道にもなりうるだろうか、とのお尋ねです。何事も道理を言い募れば、国天下を治める道にも通じるものです。老子・荘子の「自然」、申不害・韓非子の「刑名」は、もとより国を治める道です。許行の農耕、盧扁(扁鵲)の医術、郭橐駝の植木、柳子厚(柳宗元)の書いた大工の棟梁の類をご覧なさい。ことに世間で言う武道というのは、多くは戦国時代の名将の流儀を説き伝えて、軍学者などが言っているものです。もとより国をも治め、士卒を率いた人の道ですから、よいことがないわけではありません。しかし聖人の道に比べれば、どうして勝ることがありましょう。その道を論じるなら、まずその人を論じるのに及くものはありません。昔の頼朝・尊氏・正成らから、近くは信玄・謙信に至るまで、その人の賢否・得失は明らかですから、その人々が道としたものも推して知ることができます。
解説
この章句が説くこと
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『徂徠先生答問書』卷下軍者抔と申候者、儒書のかたはしを学び、乾元剛健の徳などゝ申様なる事を取つけ、戦国名将の上に附会し、或は武道はすなはち神道也といひ、向上に建立し候得ば、何とやらんさもあるべきやうに聞え候得共、是皆戦国以来の事にて、源平の時代まではいまだなき事にて候。治世久敷続き、風俗移り候得ば、結句此頃は源平の時分の武士の風俗は衰へ候て、只戦国の時に附添たる風俗のかた計世にさかんに候。所詮武と申候字は戡乱也と訓し候事にて、乱逆を静め候を武と申候。されば武の本意は民を安ずる仁心より逆乱を静めて国土を安んじ候為にて是則聖人の道の一端にて候。治まる時は文を用ひ、乱るゝ時は武を用ひ、只一箇の道にて、道に文道武道と申事は無之候。
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『徂徠先生答問書』卷下古の書に有之候太公望より以下孫子呉子韓信諸葛孔明李靖が類は、此方にても兵家者流には是等は師とし尊び候事に候。されども此人々も別に武道といふ事を被立候事は無之候。事の起り、吾国の俗説に文武二道と申詞有之候。是は中古より公家武家とて家別れ候より、公家の伝へ候芸を文道と覚え、武家の伝へ候芸を武道と名付候俗説迄の事に候。詩歌も弓馬も芸にて候を、文盲なるものゝ道と名付け申習はし候にて候。され共武官家を世々し候得ば、一種の風俗自然に出来り候。大抵勇を尚び死をいとはず、恥を知り信を重んじ、むさときたなく候事を男子のせざる事と立候習はし、源平の時分此通りに候。それより世久しく戦国になり候故、世皆軍中の法令を以て国を治め候。其後天下一統しても、何れも文盲にて古を稽へ文徳に返る事をしらず、太平の今に至るまで、官職も軍中の役割を其儘に用ひ、政治も軍中の法令を改めず候。是によりて武威を以てひしぎつけ、何事も簡易径直なる筋を貴び候事を武家の治めと立て、是吾邦に古より伝はり候武道に候などゝ文盲なるものゝ存候にて御座候。
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『徂徠先生答問書』卷下人の生付には気質の偏御座候故、文徳武徳有之候。官職にも掌り別に候故文官武官有之候。物頭侍大将の類は武官にて候故武徳ある人尤に候。家老職奉行抔は文官なれば文徳なくて難叶候。平士の類は其職掌軍伍に編るゝ上卒にて、平生の時も侍衛宿衛の官にて候得ば、古の書に申候士君子と申類にては無之候。しかるに国郡の主家老職奉行抔の、己は武士なりと存候は取違へにて候。又平士の輩の少し学問もいたし候者の士君子也と覚え、上臈らしき身持をいたし、軍法の練習をすてゝ、武芸も私闘の術ばかりを習はすも、是又取違へにて候。聖人の道国の治めは、其国の風俗に従ひ候事に候得ば、武士の風儀は、源平より以前の風儀をば先其儘にして、戦国以来の悪習を除き、人の上たる人は武の本は仁なりといふ事を知りて、文徳を専らにし、武士をば悉く土著せしめ、孝悌忠信の徳をやしなひ、礼義廉恥の風俗をなし、時時は軍法を練習せしめて、公戦には勇に、私闘には臆なるやうにせん事は、上たる人の導きにて如何様にも可成事に候。只理学といふものゝ世にはやりて、戦国の余習の上に、理窟だけく候事をくはへ候は、薪を以て火を救ひ候にかはり無之候。以上。
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『徂徠先生答問書』卷下士大夫たる人も、君を輔て国天下を治むる手伝をする人なれば、聖人の道を知らずして、尸録の譏免れがたく候故道をば学び候。只我身ひとつを仏にも聖人にもなすといふ様なる物ずき成事にては無之と可被思召候。其上聖人に成得れば国天下はをのづから治まるといはゞ、君を輔相せんに其君を聖人に成得んと思ふ内に、年も老日も暮れて、国天下は何れの日にか平治すべく候や。宋儒有体而無用といへる譏も、其学術の誤より出たる事にて、遁るゝに所なく候。能く御思慮可被成候。畢竟国天下を治候仕様を道といふと申候事を嫌ひ候心根は、礼楽刑政を粗迹と見て、道は一段精微なる物と思ふ所病根に候。道は精粗もなく本末もなく、一以貫之候。然るに精を貴んで粗を賤んずるは仏老の緒余に候。此所大切の分れめに候。
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『徂徠先生答問書』卷下一申残候趣有之候故又申入候。惣て学問の道は文章の外無之候。古人の道は書籍に有之候。書籍は文章に候。能文章を会得して、書籍の儘済し候て我意を少も雑え不申候得ば、古人の意は、明に候。聖人の道は聖人の教法に順はずして可得様曽て無之候。其教法は書籍に有之候故つまる所是又文章に帰し申候。然る所文章も字義も時代に随て致展転候所眼の付所にて候に、後世儒者我物ずきを立候故、道徳は尊く文章は卑き事なりと思ひとり、文章を軽看致し候より、右の所に心付不申、右の所に心付不申候故、古聖人の教法見え分れ不申、我知見にて聖人の道を会得せんとする故皆自己流に罷成候。宋学の輩は識見益鄙陋にて、程朱陽明吾国にて闇斎仁斎等の末師を信ずる事孔子よりも甚敷候。たとへて申候はゞ、仏者の輩釈迦の説をば不用して、深く法然日蓮を信ずるがごとくに候。教に古今なく、道にも古今なく候。聖人の道にて今日の国天下も治り候事に候。外に仕形は無之候。聖人の教にて今日の人も才徳を成就候事に候。是又外に仕形無之候。
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『徂徠先生答問書』卷中一前書に申進候通、道を御存知なく候故、深遠の思慮無御座、只指当り候鼻の先にて物を御直し候半と思召候。人は活物にて候。夫故に国家を治候も、人を教訓いたし候も、又は我心我身を治め候も、木にて人形など割見候ごとくにはならぬ物に候。医者の病を治し候も同事に候。見えわたりたる上にて、咳を止め瀉を止め、熱をもさまし、食をも進め、積塊をも退候半と存候は下手の仕事に候。道を存候医者は左様には無御座候。故に聖人の道を大道術と申候。国家を治候も、直に善悪邪正を正し、見えわたりたる上にてさつぱりと仕候事にては無御座候。俗人の思ひかけぬ所より仕かけを致し候て、覚えず知らず自然と直り候様に仕事に候。人才を養候も同事に候。世に詐術と申物御座候を嫌ひ候より、術の沙汰消失候て、宋儒の説のごとくに成行申事に御座候。兎角に後世の諸説を御用不被成、六経論語の間を御熟読被成候はゞ、自然と御会得可被成候。以上。
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