徂徠先生答問書 / 卷中
一武備の儀共被仰聞候。軍法は周禮大司馬の職分にて聖人の道に殊に講明可申儀に候。出師行軍布軍城守等の法は、軍者の申候品共、大形は國風にも合候て能御座候。得と不致事も有之候得共第二段の儀に候。戰鬪の機變は、彼等が申候は多くは古戰の舊局を守り、太平の世に疊の上にて拵候事共に候。無用の空論と可被思召候。只第一と可仕候儀は仁政に過不申候。上下一致不仕候て軍に可勝樣曾て無之候。されば一國の主は、一國の士民を天より附屬被成候眷屬にて、見放不被申ものと思入、我苦に致し其國を樂候樣に仕候事、是軍法の根本第一義と可被思召候。其苦世話に致し申候最初の手當は、士をも民をも其所にありつけ、黨をわけ、頭をつけ治め候事に候。古は士皆采邑に住居候を、いつの比よりか城下に聚置候故、武士皆公家に成申候。城下は旅宿なる故物入多く、勝手次第に不如意に被成候。國中は皆公領なる故、士に國中を自由に游行さすれば不法多きとて、是を禁ずるによりて、地理を諳んぜず、民間の事に疎き故、奉行役人になりても下情を知らず候。小身者采邑に居らざれば、百姓との交りは、只取ると取らるゝとの爭計なる故、士と民と恩義相結ばず、讎敵の思ひをなす。
新字:一武備の儀共被仰聞候。軍法は周礼大司馬の職分にて聖人の道に殊に講明可申儀に候。出師行軍布軍城守等の法は、軍者の申候品共、大形は国風にも合候て能御座候。得と不致事も有之候得共第二段の儀に候。戦闘の機変は、彼等が申候は多くは古戦の旧局を守り、太平の世に畳の上にて拵候事共に候。無用の空論と可被思召候。只第一と可仕候儀は仁政に過不申候。上下一致不仕候て軍に可勝様曽て無之候。されば一国の主は、一国の士民を天より附属被成候眷属にて、見放不被申ものと思入、我苦に致し其国を楽候様に仕候事、是軍法の根本第一義と可被思召候。其苦世話に致し申候最初の手当は、士をも民をも其所にありつけ、党をわけ、頭をつけ治め候事に候。古は士皆采邑に住居候を、いつの比よりか城下に聚置候故、武士皆公家に成申候。城下は旅宿なる故物入多く、勝手次第に不如意に被成候。国中は皆公領なる故、士に国中を自由に游行さすれば不法多きとて、是を禁ずるによりて、地理を諳んぜず、民間の事に疎き故、奉行役人になりても下情を知らず候。小身者采邑に居らざれば、百姓との交りは、只取ると取らるゝとの争計なる故、士と民と恩義相結ばず、讎敵の思ひをなす。
書き下し
一武備の儀共被仰聞候。軍法は周礼大司馬の職分にて聖人の道に殊に講明可申儀に候。出師行軍布軍城守等の法は、軍者の申候品共、大形は国風にも合候て能御座候。得と不致事も有之候得共第二段の儀に候。戦闘の機変は、彼等が申候は多くは古戦の旧局を守り、太平の世に畳の上にて拵候事共に候。無用の空論と可被思召候。只第一と可仕候儀は仁政に過不申候。上下一致不仕候て軍に可勝様曽て無之候。されば一国の主は、一国の士民を天より附属被成候眷属にて、見放不被申ものと思入、我苦に致し其国を楽候様に仕候事、是軍法の根本第一義と可被思召候。其苦世話に致し申候最初の手当は、士をも民をも其所にありつけ、党をわけ、頭をつけ治め候事に候。古は士皆采邑に住居候を、いつの比よりか城下に聚置候故、武士皆公家に成申候。城下は旅宿なる故物入多く、勝手次第に不如意に被成候。国中は皆公領なる故、士に国中を自由に游行さすれば不法多きとて、是を禁ずるによりて、地理を諳んぜず、民間の事に疎き故、奉行役人になりても下情を知らず候。小身者采邑に居らざれば、百姓との交りは、只取ると取らるゝとの争計なる故、士と民と恩義相結ばず、讎敵の思ひをなす。
現代語訳
武備のことなどについてお尋ねがありました。軍法は『周礼』の大司馬の職分であり、聖人の道においてもとくに講究すべきことです。出陣・行軍・布陣・籠城などの法は、軍学者の言う諸項目も、おおかたはわが国の風にも合っていてよいものです。不十分なところもありますが、それは二番目のことです。戦闘の駆け引きについて彼らが言うことは、多くは昔の合戦の旧例を守り、泰平の世に畳の上でこしらえたことばかりです。無用の空論とお考えください。ただ第一とすべきことは、仁政に尽きます。上下が一致しなくて戦に勝てることはけっしてありません。ですから一国の主は、一国の士民を天から預けられた眷属であって見放してはならないものと思い定め、自分が苦労してその国を楽にするようにすること、これが軍法の根本の第一義とお考えください。その苦労の最初の手当ては、士も民もその土地に落ち着かせ、組を分け、頭(かしら)をつけて治めることです。昔は武士はみな采邑(知行地)に住んでいたのを、いつの頃からか城下に集めたので、武士がみな公家のようになってしまいました。城下は旅宿のようなものなので物入りが多く、家計がしだいに苦しくなっています。国中はみな公領なので、武士に国中を自由に巡らせると不法が多いとしてこれを禁じるために、地理を知らず民間のことに疎く、奉行や役人になっても下々の実情を知りません。小身の者が采邑に住まないので、百姓との交わりはただ取る側と取られる側の争いばかりとなり、士と民とが恩義で結ばれず、仇敵のように思い合うのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『徂徠先生答問書』卷中一被仰下候通武備は国の根本にて候。国郡を領候人は君より其土地を預り居り候事に候。然れば先其土地を人に奪はれ不申備第一に候。古天子を万乗と申、諸侯を千乗と申、卿大夫を百乗と申、兵賦を以て名付候もこの道理に候。漢律に賊盗の律を最初に置候も、盗賊と反逆は同類の物に候。盗賊を鎮むる為に武備を設け候事急務にて候故に御座候。治平無事の時は兵威を以て民心を鎮圧して、盗賊起る時は早速にからめ取る備なくて不叶事に候。今時の代官は古の県令にて候に、此備なきのみならず、其所を治むる事を職分とせず、只年貢の取立計を肝要と仕り、書算の鄙人を其役とし候故、職位も卑く、心もをのづから鄙劣にて、贓罪の徒も多出来候。一二万石二三万石計の領主は、兵士の数も少く、領内も狭候へば、其儀に不及候へども、七八万石十万石にも上り候諸侯は、必代官に武備を加へ不申候ては不叶事に候。
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『徂徠先生答問書』卷下人の生付には気質の偏御座候故、文徳武徳有之候。官職にも掌り別に候故文官武官有之候。物頭侍大将の類は武官にて候故武徳ある人尤に候。家老職奉行抔は文官なれば文徳なくて難叶候。平士の類は其職掌軍伍に編るゝ上卒にて、平生の時も侍衛宿衛の官にて候得ば、古の書に申候士君子と申類にては無之候。しかるに国郡の主家老職奉行抔の、己は武士なりと存候は取違へにて候。又平士の輩の少し学問もいたし候者の士君子也と覚え、上臈らしき身持をいたし、軍法の練習をすてゝ、武芸も私闘の術ばかりを習はすも、是又取違へにて候。聖人の道国の治めは、其国の風俗に従ひ候事に候得ば、武士の風儀は、源平より以前の風儀をば先其儘にして、戦国以来の悪習を除き、人の上たる人は武の本は仁なりといふ事を知りて、文徳を専らにし、武士をば悉く土著せしめ、孝悌忠信の徳をやしなひ、礼義廉恥の風俗をなし、時時は軍法を練習せしめて、公戦には勇に、私闘には臆なるやうにせん事は、上たる人の導きにて如何様にも可成事に候。只理学といふものゝ世にはやりて、戦国の余習の上に、理窟だけく候事をくはへ候は、薪を以て火を救ひ候にかはり無之候。以上。
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『徂徠先生答問書』卷中采邑に住すれば恩義相結びて、民は皆家人になる故、一国の上下末々まで一致する事に候。夫に頭を付て、獄訟水利等、其所切に取行へば、事情を失はず、士にも民にも社倉を立て贏余を積で急難に備る時は貧困の患なし。民は愚かなる物にて、只今まで己が仕習れたる事ならではせぬ物に候。渡世のわざをも見計ひ、其土地になくて事欠る草木を植させ、山をたて、或は百工を集め、商賈を通じ、本軽く末重ければ国衰ふる物にて候故、商人多きは国の害となり候。又貧国は商人を以て富すとも有之候。何れに商賈の通塞に心を付くべき事に候。民の衰ふるは奢と賭博なれば、厳刑を以て賭博を禁じ、衣服器皿の制度を立べく候。如是心を用候はゞ、国を富す事心の儘に可被成候。専ら主とする所は、国民の四方に散去せざる様にすべき事に候。此上に各義方をしらしめ廉恥を養ふを誠の武道と申候。弓馬鎗太刀の術は上の催促に及ばざる事に候。以上。
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『徂徠先生答問書』卷下軍者抔と申候者、儒書のかたはしを学び、乾元剛健の徳などゝ申様なる事を取つけ、戦国名将の上に附会し、或は武道はすなはち神道也といひ、向上に建立し候得ば、何とやらんさもあるべきやうに聞え候得共、是皆戦国以来の事にて、源平の時代まではいまだなき事にて候。治世久敷続き、風俗移り候得ば、結句此頃は源平の時分の武士の風俗は衰へ候て、只戦国の時に附添たる風俗のかた計世にさかんに候。所詮武と申候字は戡乱也と訓し候事にて、乱逆を静め候を武と申候。されば武の本意は民を安ずる仁心より逆乱を静めて国土を安んじ候為にて是則聖人の道の一端にて候。治まる時は文を用ひ、乱るゝ時は武を用ひ、只一箇の道にて、道に文道武道と申事は無之候。
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『徂徠先生答問書』卷下一世上に武士道と申習し申候一筋、古の書に有之候君子の道にもかなひ、人を治むる道にも成可申哉の由御尋候。何事も道理を申つのり候へば、国天下を治め候道にもかよひ申候物に候。老荘の自然、申韓が刑名は、元より国を治むる道に候。許行が農圃盧扁が医術、郭橐駝が種樹、柳子厚が都料匠の類御覧可被成候。殊に世上に申候武道と申候は、多くは戦国の時分の名将の筋を説伝へて軍者抔の申にて候。元より国をも治め、士卒を引廻し被申候人の道にて候へば、よき事なきにしもあらず候。然共聖人の道にたくらべ候はゞ何としてまさり可申候哉。其道を論じ候はゞまづ其人を論じ候にしくは無御座候。古の頼朝尊氏正成等より、近くは信玄謙信に至るまで、其人の賢否得失は明かなる事に候得ば、其道といたし候筋も押て知られ申候。
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『徂徠先生答問書』卷下古の書に有之候太公望より以下孫子呉子韓信諸葛孔明李靖が類は、此方にても兵家者流には是等は師とし尊び候事に候。されども此人々も別に武道といふ事を被立候事は無之候。事の起り、吾国の俗説に文武二道と申詞有之候。是は中古より公家武家とて家別れ候より、公家の伝へ候芸を文道と覚え、武家の伝へ候芸を武道と名付候俗説迄の事に候。詩歌も弓馬も芸にて候を、文盲なるものゝ道と名付け申習はし候にて候。され共武官家を世々し候得ば、一種の風俗自然に出来り候。大抵勇を尚び死をいとはず、恥を知り信を重んじ、むさときたなく候事を男子のせざる事と立候習はし、源平の時分此通りに候。それより世久しく戦国になり候故、世皆軍中の法令を以て国を治め候。其後天下一統しても、何れも文盲にて古を稽へ文徳に返る事をしらず、太平の今に至るまで、官職も軍中の役割を其儘に用ひ、政治も軍中の法令を改めず候。是によりて武威を以てひしぎつけ、何事も簡易径直なる筋を貴び候事を武家の治めと立て、是吾邦に古より伝はり候武道に候などゝ文盲なるものゝ存候にて御座候。
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