徂徠先生答問書 / 卷上
風雲雷雨に限らず、天地の妙用は、人智の及ばざる所に候。草木の花さきみのり、水の流れ山の峙ち候より、鳥のとび獸のはしり、人の立居物をいふまでも、いかなるからくりといふ事をしらず候。理學者の申候筋は、僅に陰陽五行などゝ申候名目に便りて、おしあてに義理をつけたる迄に候。それをしりたればとて誠に知ると申物にては無之候。其樣に知候をしりたりと覺候淺猿さに、國家を治むる道をも只其樣にこそ知りたらめと存候。神妙不測なる天地の上は、もと知られぬ事に候間、雷は雷にて可被差置候。以上。
新字:風雲雷雨に限らず、天地の妙用は、人智の及ばざる所に候。草木の花さきみのり、水の流れ山の峙ち候より、鳥のとび獣のはしり、人の立居物をいふまでも、いかなるからくりといふ事をしらず候。理学者の申候筋は、僅に陰陽五行などゝ申候名目に便りて、おしあてに義理をつけたる迄に候。それをしりたればとて誠に知ると申物にては無之候。其様に知候をしりたりと覚候浅猿さに、国家を治むる道をも只其様にこそ知りたらめと存候。神妙不測なる天地の上は、もと知られぬ事に候間、雷は雷にて可被差置候。以上。
書き下し
風雲雷雨に限らず、天地の妙用は、人智の及ばざる所に候。草木の花さきみのり、水の流れ山の峙ち候より、鳥のとび獣のはしり、人の立居物をいふまでも、いかなるからくりといふ事をしらず候。理学者の申候筋は、僅に陰陽五行などゝ申候名目に便りて、おしあてに義理をつけたる迄に候。それをしりたればとて誠に知ると申物にては無之候。其様に知候をしりたりと覚候浅猿さに、国家を治むる道をも只其様にこそ知りたらめと存候。神妙不測なる天地の上は、もと知られぬ事に候間、雷は雷にて可被差置候。以上。
現代語訳
風雲雷雨に限らず、天地の妙用は人の知恵の及ばないところです。草木が花を咲かせ実を結び、水が流れ山がそびえ立つことから、鳥が飛び獣が走り、人が立ち居振る舞いものを言うことまで、どういう仕組みなのかは分かりません。理学者(朱子学者)の言う筋道は、わずかに陰陽五行などという名目を頼りに、当て推量で理屈をつけたまでのことです。それを知ったからといって、本当に知ったというものではありません。そのような知り方で知ったと思い込む浅はかさで、国家を治める道もただそのように知ったつもりになっているのだろうと思います。神妙で測りがたい天地のことは、もともと知りえないことですから、雷は雷として、そのままにしておかれるのがよいでしょう。以上。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『大和俗訓』巻之一・為学上一凡君子の学問は、知仁勇の三徳を本とし、五倫をあつくするを道とす。知仁勇は五倫の道を行ふ心の徳なり。知は五倫の道をしり、仁は五倫の道を身にたもち行ひ、勇はつとめて知り、つとめて行ふ。知るも行ふも、勇を以てつとむ。君子の学問をするに、其心法とするは三徳なり。行ふべき道とするは五倫なり。三徳と五常とは理同じ。五常はむまれつきたる性なり。三徳は学問をする心法なり。五常をつづめていへり。
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『慎思録』巻之六夫婦の別は、先儒以て智に属すと為す。蓋し閨門の中、匹配の際、至りて親近なれば、動もすれば褻狎に至り易し。褻狎なれば則ち迷溺し易く、混乱して別無し。且つ婦人の情性は男子と異なり、昏愚忿嫉にして暁り難し。男子苟し之を知らざれば、則ち忿恚交々発して、反目に至る。是れ家の正しからざる所以なり。女は位を内に正し、男は位を外に正して、家道正しき者は、乃ち別有ればなり。蓋し分別は知の理なり。内外を分ち、各々其の位を正して、褻狎迷溺に至らず、且つ能く婦人の性情を知りて、制御宜しきを得るなり。知の明白なるに非ざれば、則ち能はず。是れ夫婦の別有る者の、知に属する所以なり。
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『春秋左氏伝』襄公二十三年 知の難きや莒子重く之に賂ひ、死すること無からしめんとして曰く、「請ふ盟有らん」と。華周對へて曰く、「貨を貪りて命を棄つるは、亦た君の惡む所なり。昏に命を受けて、日未だ中せずして之を棄てば、何を以って君に事へん」と。莒子親ら之に鼓し、從ひて之を伐ち、杞梁を獲たり。莒人行成す。齊侯歸り、杞梁の妻に郊に遇ふ。之を弔せしむ。辭して曰く、「殖の罪有らば、何ぞ命を辱くせん。若し罪を免れば、猶ほ先人の敝廬の在る有り。下妾は郊弔に與ることを得ず」と。齊侯諸を其の室に弔す。齊侯將に臧紇に田を為さんとす。臧孫之を聞き、齊侯に見ゆ。之と晉を伐つことを言ふ。對へて曰く、「多きは則ち多し。抑も君は鼠に似たり。夫れ鼠は晝伏し夜動き、寢廟に穴せず、人を畏るるが故なり。今君晉の亂を聞きて、而る後に作る。寧ろ將に之に事へんとす。鼠に非ずして如何」と。乃ち田を與へず。仲尼曰く、「知の難きや。臧武仲の知有りて、魯國に容れられず。抑も由有るなり。作すこと順ならずして、施すこと恕ならざればなり。夏書に曰く、『茲を念ひ茲に在り』と。事を順にし施しを恕にするなり」と。
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『大和俗訓』巻之二・為学下一およそ人の不孝不忠、もろもろの悪を行ひ、慾を恣にし、身をほろぼし家をほろぼすに至るは、何にかよれるや。知なければなり。又善を行ひて、家をおこし、身をたもち、ほまれを得るは、何の故ぞや。知あればなり。知あればよく善悪を知る。善のなすべき事を知りて行ひ、悪のなすまじき事を知りて行はず。此故に知は身の内の大なる宝なり。学者道に志さば、知を求むるを第一とすべし。知をひらく事は、学問の功にあらずんば成りがたし。
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論語・八佾篇或るひと禘を問う。子曰く、『知らざるなり。その説を知る者の天下に於けるや、其れ諸を斯に示すが如きか。』と掌を指す。
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『文武訓』文訓上之末一何事も、知らぬさましたるぞよき。みづからはわたくしに引かれて、よく知れりと思へど、いまだよく知らぬこと多ければ、わが心にゆるしがたし。よく知らで、知れりとするかほつきなるもにくし。子路の、知らざるを知れりとするは、いつはりて知れりとするにはあらず、わが心にはまことに知れりとおもへど、わが気あらく、心くはしからずして、あやまりてすでに知れりと思へるなり。ひとへにおもへば、まだ知らぬことを、すでによく知れりと思ひあやまること多し。浦の浜木綿の百重なることを思ふべし。
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