徂徠先生答問書 / 卷上
こゝの境をよく得道いたし候はゞ、畢竟の所は天命に落着すると申候事合點可參候。天命に明かに候へば、一天下の事に心を動し申候儀は無御座候。孟子に集義を被說候は仔細有之事にて、元第二等の事と可被思召候。集義の工夫にては、理窟强く片意地に成候失有之物に候。又理窟をはなれ候場に至り候ては、却てとらへ物を失ひ候故、勇氣出不申物に候。孔子の不知天命無以爲君子と被仰候は、知仁勇の三德へ通じ候事と可被思召候。六經に載候堯舜禹湯文武周公孔子の道は、皆天命を主といたし候事にて御座候。以上。
新字:こゝの境をよく得道いたし候はゞ、畢竟の所は天命に落着すると申候事合点可参候。天命に明かに候へば、一天下の事に心を動し申候儀は無御座候。孟子に集義を被説候は仔細有之事にて、元第二等の事と可被思召候。集義の工夫にては、理窟強く片意地に成候失有之物に候。又理窟をはなれ候場に至り候ては、却てとらへ物を失ひ候故、勇気出不申物に候。孔子の不知天命無以為君子と被仰候は、知仁勇の三徳へ通じ候事と可被思召候。六経に載候堯舜禹湯文武周公孔子の道は、皆天命を主といたし候事にて御座候。以上。
書き下し
こゝの境をよく得道いたし候はゞ、畢竟の所は天命に落着すると申候事合点可参候。天命に明かに候へば、一天下の事に心を動し申候儀は無御座候。孟子に集義を被説候は仔細有之事にて、元第二等の事と可被思召候。集義の工夫にては、理窟強く片意地に成候失有之物に候。又理窟をはなれ候場に至り候ては、却てとらへ物を失ひ候故、勇気出不申物に候。孔子の不知天命無以為君子と被仰候は、知仁勇の三徳へ通じ候事と可被思召候。六経に載候堯舜禹湯文武周公孔子の道は、皆天命を主といたし候事にて御座候。以上。
現代語訳
この境目をよく会得すれば、結局のところは天命に落ち着くということが納得できるでしょう。天命に明らかであれば、天下のどんな事にも心を動かされることはありません。孟子が集義(義を積み重ねること)を説いたのは事情があってのことで、もともと二番目のことだとお考えください。集義の工夫では、理屈が強くなって片意地になる欠点があるものです。また理屈を離れた場に至ると、かえって拠り所を失うので、勇気が出なくなるものです。孔子が「天命を知らなければ君子たりえない」とおっしゃったのは、知・仁・勇の三徳すべてに通じることだとお考えください。六経に載っている堯・舜・禹・湯・文王・武王・周公・孔子の道は、みな天命を主としているのです。以上。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『徂徠先生答問書』卷上大概右の通に候へども、世の中の事、人智人力の及ばざる所有之候。こゝに至り候ては、右の分にては必勇気くじけ申事に候。其人智人力のとゞき不申場にては、天命に打まかせ候より外更に他事無御座候。此故に勇怯の根本と申候は、天命を知ると知らぬとに落着仕候事にて御座候。世の人の富を得貴を得候を、己が智力の営にて成得たると愚なる心に存候得共、天の助を得故也と申候事をば不存候。いとなむ時は成就し、すつる時は何事も破れ候事は一定の理にて候へ共、至極の場にいたり候へば、天道の助なくて成就するといふ事は無之事に候。たとへば農民の田を耕がごとくに候。随分に農作の力を尽し候ても、大風水旱は人力の及ばざる所明らかに候。よき人の子をそだて候には、御乳めのとをつけ候て、怪我さするなあやまちさするなと詞に詞を添へ、目に目を付重ね候へども、大名の子も怪我致し候事有之候。又賤き者の子供は、其母さへ渡世に暇なく候得ば、はだへ薄く、日に照させ雨にうたせ、心儘にくるひありかせて、誰守に付人も無之候へども、さりとて溝堀にも落ず、牛馬にも踏殺れずそだち行候を、産土神のまほりめとかや申候も、げにさる事と被存候。
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『翁問答』上卷之末かの病人悪寒発熱の病勢おとろへ本服しぬれば、常の人の如くに暑き寒さをおぼゆるものなり、その如く運命のいきをひおとろへて其分数極まりぬれば、必らず悪人は六極のがれ難く、善人は五福をうくるものなり、しかるゆへに盗跖は無病息災に難なくながいきして暮しぬる様なれども、おのれと六極の剛悪におちいりて、至誠無息の神理をうしなひ、万世不朽の悪名をながしぬれば、六極の報応さだかならずやまた顔子は箪瓢陋巷不幸短命なれども、五福の攸好徳をうけ、真楽の介福めでたく長在不滅の神理あきらかにして、万世きはまりなく、公爵の追贈四配の祭祀をうけ給ひぬれば、五福の嚮命あきらかならずや運命のいきおひによつて一旦見かけは福善禍淫の常にたがふやうなれども、畢竟しんじつの端的終には天命本然の常にたちかへるものなり、
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『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段答ふ、其の一家一門の議は、皆々法を知らざるゆへなり。道有りて聚むる金銀は天命なり。天の賜ふ財を舎てず、天の命にそむかず、約を以て礼の本を守れり。又道を行ふ者は、他のそしりは、有るならひなり。孟子曰く、傷むこと無し、士は茲の多口に憎まる。詩に云ふ、憂心悄悄たり、群小に慍まると。孔子なりと。聖人の行ひは、小人の行ひに違へる故、衆の口の為に、孔子も譏りに逢ひ玉へり。又美食を好まざるは、身の分限なり。二汁五菜七菜などと云ふ重き料理は、下々のことにあらず。御上より品を分けて見ば、汝の親方の料理は、今少し奢にても有るべし。それを一門衆は、箸を取り初むる計りとは、分を知らざる奢る者なり。先づ飢饉年には、飯米の調へ代を借り、汝の親方の恵みにより飢ゑに及ばず、それを忘れ、身の分を知らず、
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尚書・康誥惟れ命は常には于いてせず。
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『初学訓』巻之三一人力を以て天命を得る道あり。士は、君に仕へてよく勤むれば、君の寵を得て、禄あつし。農は、田をつとめてよく作れば、秋のなりはひ多し。工商は、其家業をよくつとむれば富む。およそ、四民ともに、よくつとむれば家富む。古語にも、人生はつとめにあり、つとむれば乏しからず、といへり。又倹約を行ひて、濫りに財を費さざれば、よく家をたもちて貧しからず。又養生をよくつつしめば、命ながし。是皆、人力を以て天命を得る理あり。
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