徂徠先生答問書 / 卷上
唐宋諸儒の說は多くは紙上之論にて御座候。紙の上に書つらね候所尤と聞え候迄にて、實には取り行ひがたき事をも、道理の見えわたり候に任せあまさずもらさず書立て、己が才智をあらはし、事實に構はず、只聞濟よき樣にと心懸候事と相見え候。殊に學者の認候物に候へば、今其書を御覽被成候はゞ、皆皆尤の樣に可被思召候へども、左は無御座事に候。
新字:唐宋諸儒の説は多くは紙上之論にて御座候。紙の上に書つらね候所尤と聞え候迄にて、実には取り行ひがたき事をも、道理の見えわたり候に任せあまさずもらさず書立て、己が才智をあらはし、事実に構はず、只聞済よき様にと心懸候事と相見え候。殊に学者の認候物に候へば、今其書を御覧被成候はゞ、皆皆尤の様に可被思召候へども、左は無御座事に候。
書き下し
唐宋諸儒の説は多くは紙上之論にて御座候。紙の上に書つらね候所尤と聞え候迄にて、実には取り行ひがたき事をも、道理の見えわたり候に任せあまさずもらさず書立て、己が才智をあらはし、事実に構はず、只聞済よき様にと心懸候事と相見え候。殊に学者の認候物に候へば、今其書を御覧被成候はゞ、皆皆尤の様に可被思召候へども、左は無御座事に候。
現代語訳
唐・宋の諸儒の説は、多くは紙の上の議論です。紙の上に書き連ねたところがもっともらしく聞こえるだけで、実際には行いがたいことでも、道理が見通せるのに任せて、余さず漏らさず書き立てて自分の才知を表し、事実にはかまわず、ただ聞こえがよいようにと心掛けたものと見えます。とりわけ学者の書いたものですから、今その書をご覧になれば、みなもっともなようにお思いになるでしょうが、そうではないのです。
解説
この章句が説くこと
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