墨子 / 非命下
是故子墨子言曰:今天下之士君子,中實将欲求興天下之利,除天下之害,當若有命者言,也,曰:命者,暴王所作,窮人所術,非仁者之言也。今之為仁義者,将不可不察而强非者此也。
新字:是故子墨子言曰:今天下之士君子,中実将欲求興天下之利,除天下之害,当若有命者言,也,曰:命者,暴王所作,窮人所術,非仁者之言也。今之為仁義者,将不可不察而強非者此也。
書き下し
是の故に子墨子言いて曰く、今、天下の士君子、中に實に将に天下の利を興し、天下の害を除かんことを求め欲せば、有命者の言に當るや、曰く、命なる者は、暴王の作す所、窮人の術ぶる所にして、仁者の言に非ざるなり。今の仁義を為す者、将に察して强いて之を非とせざる可からざる者は此れなり。
現代語訳
だから墨子が言った。いま天下の士君子が、心の底から天下の利を起こし天下の害を除こうと望むなら、運命論者の言葉に対しては、こう言う。運命というものは乱暴な王が作り出し、困窮した人が述べ伝えたものであって、仁ある者の言葉ではない。いま仁義を行う者が、よく調べて強いてこれを否定しなければならないのは、これである。
解説
非命三篇の結びです。運命論を、真偽ではなく出所と用途で裁いて終わります。作ったのは責任を負うべき暴王、広めたのは慰めを求めた窮人。どちらの側から出た言葉であっても、仁ある者の言葉ではない。墨子の非命が、自由意志をめぐる形而上の議論ではなく、責任を誰に置くかという実践の議論だったことが、この一段でよく分かります。
この章句が説くこと
出所責任仁非命結び
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