朱子家訓 / 讀書志在聖賢
讀書志在聖賢,為官心存君國。
新字:読書志在聖賢,為官心存君国。
書き下し
書を読むは志、聖賢に在り。官と為るは心、君国に存す。
現代語訳
書物を読むのは、聖人や賢人のような人になることを志してのことです。官職に就くからには、心を君主と国のために置くことです。
解説
学ぶ目的と、公の職に就く者の心構えを、簡潔に示した条です。読書は知識を増やすためだけでなく、聖賢の生き方に近づくための営みだといいます。官僚として仕えるときは、私利ではなく君主と国家のために心を尽くせと続きます。科挙の受験が立身出世の道だった時代に、学問の志を目先の栄達より高い所に置こうとする作者の姿勢がうかがえます。現代では、「君国」を会社や顧客、社会に置き換えて読めます。何のために学び、何のために働くのかという問いが、日々の判断の軸になり、迷ったときの拠りどころになります。
この章句が説くこと
読書志聖賢為官君国公の心
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『慎思録』巻之一史を看て経を専らにせざれば、則ち其の蔽や、流蕩して返ることを忘る。詞章に耽嗜すれば、則ち心之が為に累はさる。物を玩びて志を喪ふと謂ふべし。夫れ詞章の学は、之を史を看るに比すれば、則ち心を用ふること過多にして、其の蔽為るや大なり。蓋し学者義理に専一ならざれば、則ち其の志荒れて、道に進むこと能はず。程子曰く、専一ならざれば、則ち直遂すること能はずと。故に学を為すの工夫は、精専を貴ぶ。
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