新書 / 春秋
宋康王時,有爵生鸇於城之陬,使史占之,曰:「小而生大,必伯於天下。」康王大喜,於是滅滕,伐諸侯,取淮之城,乃愈自信,欲霸之亟成。故射天笞地,伐社稷而焚之,曰威服天地鬼神;罵國老之諫者爲無頭之棺,以視有勇;剖傴者之背,斮朝涉之脛,國人大駭。齊王聞而伐之,民散城不守,王乃逃於郳侯之館,遂得而死。故見祥而爲不可,祥反爲禍。
新字:宋康王時,有爵生鸇於城之陬,使史占之,曰:「小而生大,必伯於天下。」康王大喜,於是滅滕,伐諸侯,取淮之城,乃愈自信,欲覇之亟成。故射天笞地,伐社稷而焚之,曰威服天地鬼神;罵国老之諫者為無頭之棺,以視有勇;剖傴者之背,斮朝渉之脛,国人大駭。斉王聞而伐之,民散城不守,王乃逃於郳侯之館,遂得而死。故見祥而為不可,祥反為禍。
書き下し
宋の康王の時、爵有り鸇を城の陬に生む。史をして之を占わしむるに、曰く、「小にして大を生む。必ず天下に伯たらん」と。康王大いに喜び、是に於いて滕を滅ぼし、諸侯を伐ち、淮の城を取り、乃ち愈いよ自ら信じ、覇の亟かに成るを欲す。故に天を射て地を笞ち、社稷を伐ちて之を焚き、威は天地鬼神を服すと曰う。国老の諫むる者を罵りて無頭の棺と為し、以て勇有るを視す。傴者の背を剖き、朝に渉る者の脛を斮り、国人大いに駭く。斉王聞きて之を伐つ。民は散じ城は守らず、王乃ち郳侯の館に逃れ、遂に得られて死す。故に祥を見て不可を為せば、祥は反って禍と為る。
現代語訳
宋の康王のとき、雀が城の隅で鸇(はやぶさの類)を生みました。史官に占わせると、「小さなものが大きなものを生んだ。必ず天下の覇者となるでしょう」と言いました。康王は大いに喜び、滕を滅ぼし、諸侯を攻め、淮のあたりの城を取りました。そこでますます自分を信じ、覇業が早く成ることを望みました。そのため天を射て地を鞭で打ち、社稷の祭壇を攻めて焼き、威力は天地や鬼神をも従えると言いました。国の長老で諫める者を罵って「首のない棺桶」と呼び、自分に勇気があることを見せました。背中の曲がった人の背を割き、朝の冷たい水を渡る人の脛を切り、国中の人々は大いに驚きました。斉の王がこれを聞いて攻めました。民は散り、城は守られず、王は郳侯の館に逃げ、ついに捕らえられて死にました。だから吉兆を見て不可の行いをすれば、吉兆はかえって災いになります。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 秦本紀繆公聞き、怒りて曰く、「孤兵を発して子沮みて吾が軍を哭するは、何ぞや」と。二老曰く、「臣敢へて君の軍を沮むに非ず。軍行くに、臣の子与に往く。臣老いたり、遅く還らば相見ざらんことを恐る、故に哭するのみ」と。二老退きて、其の子に謂ひて曰く、「汝の軍即し敗れなば、必ず殽の阨に於てせん」と。三十三年春、秦の兵遂に東し、晋の地を更り、周の北門を過ぐ。周の王孫満曰く、「秦の師礼無し、敗れずして何をか待たん」と。兵滑に至る。鄭の販売の賈人弦高、十二牛を持ちて将に之を周に売らんとす。秦の兵を見て、死虜を恐れ、因りて其の牛を献じて、曰く、「大国将に鄭を誅せんとすと聞く。鄭君謹んで守御の備へを修め、臣をして牛十二を以て軍士を労はしむ」と。秦の三将軍相謂ひて曰く、「将に鄭を襲はんとす。鄭今已に之を覚る、往くも及ぶ無し」と。滑を滅ぼす。滑は、晋の辺邑なり。是の時に当たり、晋の文公の喪尚ほ未だ葬らず。太子襄公怒りて曰く、「秦我が孤を侮り、喪に因りて我が滑を破る」と。遂に衰絰を墨くし、
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