春秋左氏伝 / 哀公十四年 需は事の賊
夏。五月。壬申。成子兄弟。四乘如公。子我在幄。出逆之。遂入。閉門。侍人禦之。子行殺侍人。公與婦人飲酒於檀臺。成子遷諸寢。公執戈。將擊之。大史子餘曰。非不利也。將除害也。成子出舍于庫。聞公猶怒。將出曰。何所無君。子行抽劍曰。需。事之賊也。誰非陳宗。所不殺子者。有如陳宗。乃止。子我歸。屬徒攻闈與大門。皆不勝。乃出。陳氏追之。失道於弇中。適豐丘。豐丘人執之以告。殺諸郭關。成子將殺大陸子方。陳逆請而免之。以公命取車於道。及耏。眾知而東之。出雍門。陳豹與之車。
新字:夏。五月。壬申。成子兄弟。四乗如公。子我在幄。出逆之。遂入。閉門。侍人禦之。子行殺侍人。公与婦人飲酒於檀台。成子遷諸寝。公執戈。将撃之。大史子余曰。非不利也。将除害也。成子出舎于庫。聞公猶怒。将出曰。何所無君。子行抽剣曰。需。事之賊也。誰非陳宗。所不殺子者。有如陳宗。乃止。子我帰。属徒攻闈与大門。皆不勝。乃出。陳氏追之。失道於弇中。適豊丘。豊丘人執之以告。殺諸郭関。成子将殺大陸子方。陳逆請而免之。以公命取車於道。及耏。衆知而東之。出雍門。陳豹与之車。
書き下し
夏五月壬申、成子の兄弟、四乘して公に如く。子我幄に在り。出でて之を逆ふ。遂に入りて門を閉づ。侍人之を禦ぐ。子行侍人を殺す。公婦人と檀臺に酒を飲む。成子諸を寢に遷さんとす。公戈を執りて、將に之を擊たんとす。大史子餘曰く、「利あらざるに非ざるなり。將に害を除かんとするなり」と。成子出でて庫に舍る。公の猶ほ怒るを聞き、將に出でんとして曰く、「何れの所か君無からん」と。子行劍を抽きて曰く、「需(ためら)ふは、事の賊なり。誰か陳の宗に非ざらん。子を殺さざる所の者は、陳の宗の如き有らん」と。乃ち止む。子我歸り、徒を屬めて闈と大門とを攻む。皆勝たず。乃ち出づ。陳氏之を追ふ。道を弇中に失ひ、豐丘に適く。豐丘の人之を執へて以て告げ、諸を郭關に殺す。成子將に大陸子方を殺さんとす。陳逆請ひて之を免る。公の命を以て車を道に取り、耏に及ぶ。眾知りて之を東にす。雍門を出づ。陳豹之に車を與ふ。
現代語訳
夏五月壬申の日、陳成子(陳恒)の兄弟が四台の車に分乗して簡公のもとへ向かった。子我(闞止)は幄舎の中にいたが、出てきて彼らを迎えた。陳氏の兄弟はそのまま中に入り、門を閉ざして子我を締め出した。宦官たちが防ごうとしたが、子行(陳逆)が宦官を殺した。簡公は婦人たちと檀台で酒を飲んでいた。成子は公を正寝に移そうとした。公は戈を執って成子を撃とうとした。大史の子余が言った。「(陳氏は)公にとって不利なことをしようとしているのではありません。害を除こうとしているのです」。成子は退出して武器庫に宿った。公がなお怒っていると聞くと、成子は国外へ出ようとして言った。「どこへ行っても仕える君主はいるものだ」。子行は剣を抜いて言った。「ためらいは事を損なう賊です。陳氏一族でない者などいましょうか(あなたが逃げても、一族の誰かが後を継ぐだけです)。もしあなたを殺さずにおくことがあれば、陳氏の宗祖の罰を受けてもかまわない」。成子はそこで思いとどまった。子我は帰ると配下の兵を集めて宮中の小門と大門を攻めたが、どちらも勝てず、国外へ逃れた。陳氏が追撃した。子我は弇中で道に迷い、豊丘に行った。豊丘の人々が彼を捕らえて陳氏に知らせ、郭関で殺した。成子は大陸子方(子我の党)を殺そうとしたが、陳逆が願い出て命を助けた。子方は公の命令と偽って道で車を手に入れ、耏まで来たが、人々は彼と気づいて東へ追いやった。子方は雍門を出た。陳豹が彼に車を与えた。
解説
この章句が説くこと
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