春秋左氏伝 / 哀公十二年 火なお西に流る
冬。十二月。螽。季孫問諸仲尼。仲尼曰。丘聞之。火伏而後蟄者畢。今火猶西流。司厤過也。宋鄭之間。有隙地焉。曰。彌作。頃丘。玉暢。喦戈。鍚。子產與宋人為成曰。勿有是。及宋平元之族。自蕭奔鄭。鄭人為之城喦戈鍚。九月。宋向巢伐鄭。取鍚。殺元公之孫。遂圍喦。十二月。鄭罕達救喦。丙申。圍宋師。
新字:冬。十二月。螽。季孫問諸仲尼。仲尼曰。丘聞之。火伏而後蟄者畢。今火猶西流。司厤過也。宋鄭之間。有隙地焉。曰。弥作。頃丘。玉暢。喦戈。鍚。子産与宋人為成曰。勿有是。及宋平元之族。自蕭奔鄭。鄭人為之城喦戈鍚。九月。宋向巣伐鄭。取鍚。殺元公之孫。遂囲喦。十二月。鄭罕達救喦。丙申。囲宋師。
書き下し
冬十二月、螽(しゅう)あり。季孫諸を仲尼に問ふ。仲尼曰く、「丘之を聞く、火伏して後、蟄する者畢る、と。今火猶ほ西に流る。司厤の過ちなり」と。宋・鄭の間に隙地有り。彌作・頃丘・玉暢・喦戈・鍚と曰ふ。子產宋人と成を為して曰く、「是を有すること勿からん」と。宋の平・元の族、蕭より鄭に奔るに及び、鄭人之が為に喦・戈・鍚に城く。九月、宋の向巢鄭を伐ち、鍚を取り、元公の孫を殺し、遂に喦を圍む。十二月、鄭の罕達喦を救ふ。丙申、宋の師を圍む。
現代語訳
冬十二月、イナゴが発生した。季孫(季康子)がこれを仲尼(孔子)に尋ねた。仲尼は言った。「私はこう聞いています。大火星(さそり座のアンタレス)が夕方に沈んで見えなくなってから、虫はすべて土にこもる、と。今、大火星はまだ西の空に傾きつつ見えています。暦を司る官の誤りです(閏月を置き忘れたため、暦の上では十二月でも、実際の季節はまだ秋なのです)」。宋と鄭の間に、どちらにも属さない空き地があり、弥作・頃丘・玉暢・喦・戈・鍚といった。かつて鄭の子産は宋と和議を結んで「どちらもこの地を領有しないことにしよう」と約した。ところが宋の平公・元公の一族が蕭から鄭に亡命してくると、鄭は彼らのために喦・戈・鍚に城を築いた。九月、宋の向巣が鄭を伐って鍚を取り、元公の孫を殺し、そのまま喦を包囲した。十二月、鄭の罕達が喦を救援し、丙申の日、逆に宋軍を包囲した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公十七年 彗星と火災の予言九月、丁卯、晉の荀吳師を帥ゐて、棘津より涉り、祭史をして先づ牲を雒に用ゐしむ。陸渾の人知らず。師之に從ふ。庚午、遂に陸渾を滅ぼす。之を數むるに其の楚に貳するを以てす。陸渾子楚に奔り、其の衆甘鹿に奔る。周大いに獲たり。宣子、文公荀吳を攜へて之に陸渾を授くるを夢む。故に穆子をして師を帥ゐしめ、俘を文宮に獻ず。冬、星大辰に孛する有り、西のかた漢に及ぶ。申須曰く、「彗は舊を除き新を布く所以なり。天事は恆に象あり。今火に除く。火出づれば必ず布かん。諸侯其れ火災有らんか」と。梓慎曰く、「往年吾之を見る。是れ其の徵なり。火出でて見ゆ。今茲火出でて章かなり。必ず火入りて伏せん。其の火に居ること久し。其れ然らざらんや。火出づるは、夏に於いては三月為り、商に於いては四月為り、周に於いては五月為り。夏數天を得たり。若し火作らば、其れ四國之に當たらん。宋・衛・陳・鄭に在らんか。宋は大辰の虛なり。陳は大皞の虛なり。鄭は祝融の虛なり。皆火房なり。星孛して天漢に及ぶ。漢は水祥なり。衛は顓頊の虛なり、故に帝丘為り。其の星は大水為り。水は火の牡なり。其れ丙子若しくは壬午を以て作らんか。水火の合する所以なり。若し火入りて伏せば、必ず壬午を以てし、其の見ゆるの月を過ぎず」と。鄭の裨竈子產に言ひて曰く、「宋・衛・陳・鄭、將に同日に火あらんとす。若し我瓘斝玉瓚を用ゐば、鄭必ず火あらず」と。子產與へず。
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『春秋左氏伝』桓公十二年 屢盟えば乱長ず十二年夏、曲池に盟ふ。杞・莒を平らぐなり。公宋・鄭を平らげんと欲す。秋、公宋公と句瀆の丘に盟ふ。宋の成未だ知るべからず。故に又虛に會す。冬、又龜に會す。宋公平を辭す。故に鄭伯と武父に盟ふ。遂に師を帥ゐて宋を伐ち、焉に戰ふ。宋信無ければなり。君子曰く、「苟も信繼がずんば、盟ふも益無きなり。《詩》に云ふ、『君子屢しば盟ふ、亂是を用て長ず』と。信無ければなり」と。楚絞を伐ち、其の南門に軍す。莫敖屈瑕曰く、「絞は小にして輕し。輕ければ則ち謀寡し。請ふ采樵者を扞ぐこと無くして以て之を誘はん」と。之に從ふ。絞人三十人を獲たり。明日、絞人爭ひ出で、楚の役徒を山中に驅る。楚人其の北門に坐し、而して諸を山下に覆し、大いに之を敗り、城下の盟を為して還る。絞を伐つの役、楚の師分かれて彭を涉る。羅人之を伐たんと欲し、伯嘉をして之を諜らしむ。三たび巡りて之を數ふ。
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『春秋左氏伝』襄公二十八年 先事後賄の礼二十八年春、冰無し。梓慎曰く、「今茲(ことし)、宋・鄭其れ饑ゑんか。歲、星紀に在りて、玄枵に淫す。以て時の菑(わざはひ)有り、陰、陽に堪へず。蛇、龍に乘る。龍は宋・鄭の星なり。宋・鄭必ず饑ゑん。玄枵は虛の中なり。枵は秏(へ)るの名なり。土虛しくして民秏る、饑ゑずして何をか為さん」と。夏、齊侯・陳侯・蔡侯・北燕伯・杞伯・胡子・沈子・白狄、晉に朝す。宋の盟の故なり。齊侯將に行かんとす。慶封曰く、「我は盟に與らず、何為れぞ晉に於いてせん」と。陳文子曰く、「事を先にし賄を後にするは、禮なり。小、大に事へ、未だ事ふるを獲ずして、之に從ふこと志の如くするは、禮なり。盟に與らずと雖も、敢へて晉に叛かんや。重丘の盟、未だ忘るべからざるなり。子其れ行くを勸めよ」と。衛人、甯氏の黨を討つ。故に石惡、晉に出奔す。衛人、其の從子圃を立て、以て石氏の祀を守らしむ。禮なり。邾の悼公來朝す。時の事なり。
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『春秋左氏伝』桓公十四年 御廩の火災と宋の報復十四年春、曹に會す。曹人餼を致す、禮なり。夏、鄭の子人來りて盟を尋め、且つ曹の會を修む。秋八月壬申、禦廩災す。乙亥、嘗す。書するは、害せざればなり。冬、宋人諸侯を以て鄭を伐つ。宋の戰に報ゆるなり。渠門を焚き、入りて大逵に及ぶ。東郊を伐ち、牛首を取る。大宮の椽を以て歸り、盧門の椽と為す。
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『春秋左氏伝』荘公二十九年 土功の時二十九年春、新たに延廄を作る。書するは、時ならざればなり。凡そ馬は日中にして出だし、日中にして入る。夏、鄭人許を侵す。凡そ師鐘鼓有るを伐と曰ひ、無きを侵と曰ひ、輕きを襲と曰ふ。秋、蜚有り、災を爲せばなり。凡そ物災を爲さざれば書せず。冬十二月、諸及び防に城く。書するは、時なればなり。凡そ土功は、龍見えて務めを畢へ、事を戒むるなり。火見えて用を致し、水昏に正しくして栽し、日至りて畢る。樊皮王に叛く。
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