孔子家語 / 辯物
季康子問於孔子曰:「今周十二月,夏之十月,而猶有螽,何也?」孔子對曰:「丘聞之火伏而後蟄者畢。今火猶西流,司歷過也。」季康子曰:「所失者,幾月也?」孔子曰:「於夏十月,火既沒矣。今火見再,失閏也。」
新字:季康子問於孔子曰:「今周十二月,夏之十月,而猶有螽,何也?」孔子対曰:「丘聞之火伏而後蟄者畢。今火猶西流,司歴過也。」季康子曰:「所失者,幾月也?」孔子曰:「於夏十月,火既没矣。今火見再,失閏也。」
書き下し
季康子、孔子に問いて曰わく、「今周の十二月、夏の十月なるに、猶お螽有り、何ぞや。」孔子対えて曰わく、「丘之れを聞く、火伏して後蟄する者畢わると。今火猶お西に流る、司歴の過ちなり。」季康子曰わく、「失う所は、幾月ぞや。」孔子曰わく、「夏の十月に於て、火既に没せり。今火再び見る、閏を失えるなり。」
現代語訳
季康子が孔子に尋ねた。「今は周の暦で十二月、夏の暦でいえば十月にあたりますが、それでもまだイナゴが飛んでいます。これはなぜでしょうか。」孔子は答えた。「私はこう聞いています。心宿(火星に見立てられる星)が西に沈んでから初めて、虫たちはみな冬眠に入ると。ところが今、心宿はまだ西の空に見えている、これは暦を司る役人の計算が間違っているのです。」季康子が「暦はどれくらいずれているのですか」と尋ねると、孔子は答えた。「夏の暦の十月であれば、心宿はすでに沈んでいるはずです。それが今また見えているということは、閏月を入れ損なっているのです。」
解説
季節外れにイナゴがまだ現れることを不思議に思った季康子に対し、孔子が天文と暦法の知識から合理的な説明を与える逸話です。孔子は、虫の冬眠は心宿(火星に見立てられた星)が西に沈む時期と連動するという当時の暦法上の知見を根拠に、まだ心宿が見えているのは暦を司る役人が閏月を入れ損ねて暦がずれているためだと指摘します。単なる怪異や吉凶の兆しとして片付けるのではなく、天文観測と暦の運用という技術的な誤りとして合理的に説明している点が特徴的で、「辯物」篇の中でも、迷信に頼らず観察と理論によって現象を解明する孔子の姿勢がよく表れた一節です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
季康子螽火伏閏月弁物
関連する章句
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『春秋左氏伝』哀公十二年 火なお西に流る冬十二月、螽(しゅう)あり。季孫諸を仲尼に問ふ。仲尼曰く、「丘之を聞く、火伏して後、蟄する者畢る、と。今火猶ほ西に流る。司厤の過ちなり」と。宋・鄭の間に隙地有り。彌作・頃丘・玉暢・喦戈・鍚と曰ふ。子產宋人と成を為して曰く、「是を有すること勿からん」と。宋の平・元の族、蕭より鄭に奔るに及び、鄭人之が為に喦・戈・鍚に城く。九月、宋の向巢鄭を伐ち、鍚を取り、元公の孫を殺し、遂に喦を圍む。十二月、鄭の罕達喦を救ふ。丙申、宋の師を圍む。
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孔子家語・辯物季桓子井を穿つに、玉缶の如き者を獲、其の中に羊有り。使いをして孔子に問わしめて曰わく、「吾費に井を穿つに、井中に於て一狗を得たり。何ぞや。」孔子曰わく、「丘の聞く所の者は、羊なり。丘之れを聞く、木石の怪は夔・蝄蜽、水の怪は龍・罔象、土の怪は羵羊なりと。」
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礼記・月令季夏の月、日は柳(りゅう)に在り、昏に火中し、旦に奎中す。其の日は丙丁。其の帝は炎帝、其の神は祝融。其の虫は羽。其の音は徴、律は林鍾(りんしょう)に中る。其の数は七。其の味は苦、其の臭は焦。其の祀りは竈、祭るに肺を先にす。温風始めて至り、蟋蟀(しつしゅつ)壁に居り、鷹乃ち学習し、腐草(ふそう)螢と為る。
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