春秋左氏伝 / 哀公十一年 小にして大に勝つは禍
秋。季孫命脩守備。曰。小勝大。禍也。齊至無日矣。冬。衛大叔疾出奔宋。初疾娶于宋子朝。其娣嬖。子朝出。孔文子使疾出其妻而妻之。疾使侍人誘其初妻之娣。寘於犁。而為之一宮。如二妻。文子怒。欲攻之。仲尼止之。遂奪其妻。或淫于外州。外州人奪之軒以獻。恥是二者。故出。衛人立遺。使室孔姞。疾臣向魋。納美珠焉。與之城鉏。宋公求珠。魋不與。由是得罪。及桓氏出。城鉏人攻大叔疾。衛莊公復之。使處巢。死焉。殯於鄖。葬於少禘。初。晉悼公子憖亡在衛。使其女僕而田。大叔懿子止而飲之酒。遂聘之。生悼子。悼子即位。故夏戊為大夫。
新字:秋。季孫命脩守備。曰。小勝大。禍也。斉至無日矣。冬。衛大叔疾出奔宋。初疾娶于宋子朝。其娣嬖。子朝出。孔文子使疾出其妻而妻之。疾使侍人誘其初妻之娣。寘於犁。而為之一宮。如二妻。文子怒。欲攻之。仲尼止之。遂奪其妻。或淫于外州。外州人奪之軒以献。恥是二者。故出。衛人立遺。使室孔姞。疾臣向魋。納美珠焉。与之城鉏。宋公求珠。魋不与。由是得罪。及桓氏出。城鉏人攻大叔疾。衛荘公復之。使処巣。死焉。殯於鄖。葬於少禘。初。晋悼公子憖亡在衛。使其女僕而田。大叔懿子止而飲之酒。遂聘之。生悼子。悼子即位。故夏戊為大夫。
書き下し
秋、季孫守備を脩めしめて曰く、「小にして大に勝つは、禍なり。齊の至ること日無からん」と。冬、衛の大叔疾出でて宋に奔る。初め疾宋の子朝に娶る。其の娣嬖せらる。子朝出づ。孔文子疾をして其の妻を出さしめて之に妻(めあは)す。疾侍人をして其の初妻の娣を誘はしめ、犁に寘き、之が為に一宮を為り、二妻の如くす。文子怒り、之を攻めんと欲す。仲尼之を止む。遂に其の妻を奪ふ。或いは外州に淫す。外州の人之が軒を奪ひて以て獻ず。是の二者を恥づ。故に出づ。衛人遺を立て、孔姞を室とせしむ。疾向魋に臣たり、美珠を納る。之に城鉏を與ふ。宋公珠を求む。魋與へず。是に由りて罪を得。桓氏の出づるに及び、城鉏の人大叔疾を攻む。衛の莊公之を復し、巢に處らしむ。焉に死す。鄖に殯し、少禘に葬る。初め晉の悼公の子憖亡げて衛に在り。其の女をして僕として田せしむ。大叔懿子止めて之に酒を飲ましめ、遂に之を聘す。悼子を生む。悼子位に即く。故に夏戊大夫と為る。
現代語訳
秋、季孫(季康子)は守備を整えさせて言った。「小国が大国に勝つのは禍のもとだ。斉が攻めてくるのにそう日はかからないだろう」。冬、衛の大叔疾(太叔疾)が国を出て宋に亡命した。これより先、疾は宋の子朝の娘を娶り、その妹(ともに嫁いできた娣)も寵愛されていた。子朝が衛から出奔すると、孔文子(孔圉、衛の執政)は疾にその妻を離縁させ、自分の娘を彼に嫁がせた。ところが疾は侍人に命じて最初の妻の妹を誘い出させ、犁に住まわせ、彼女のために宮を一つ建てて、妻が二人いるかのようにした。文子は怒り、疾を攻めようとしたが、仲尼(孔子)がこれを止めた。結局、文子は娘を疾から取り戻した。疾はまた外州で密通し、外州の人々が疾の車を奪って君に献じた。疾はこの二つのことを恥じて、国を出たのである。衛の人々は疾の弟の遺を後継に立て、孔姞(孔文子の娘)をその妻とさせた。疾は宋の向魋(桓魋)の家臣となり、美しい珠を献じた。向魋は彼に城鉏の地を与えた。宋公(景公)がその珠を求めたが、向魋は与えず、これによって罪を得た。桓氏(向魋の一族)が宋を出奔するに及んで、城鉏の人々は大叔疾を攻めた。衛の荘公(蒯聵)は疾を帰国させ、巣に住まわせた。疾はそこで死に、鄖で殯を行い、少禘に葬られた。これより先、晋の悼公の子の憖が衛に亡命していた。憖は自分の娘に車の御者をさせて狩りをしていた。大叔懿子(疾の祖父)が彼を引き止めて酒を振る舞い、そのまま娘を妻に迎えた。こうして生まれたのが悼子(疾の父)である。悼子が位につくと、その縁で(悼子の母方の叔父)夏戊が大夫となった。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』定公十年・十一年 不令の臣は天下の悪む所冬、母弟辰、仲佗・石彄と、出でて陳に奔る。武叔、齊に聘す。齊侯、之を享して曰く、「子叔孫、若し郈をして君の他竟に在らしめば、寡人何ぞ焉を知らん。屬敝邑と際す。故に敢へて君を助けて之を憂ふ」と。對へて曰く、「寡君の望に非ざるなり。君に事ふる所以は、封疆社稷是れを以てなり。敢へて家隸を以て、君の執事を勤めしめんや。夫れ不令の臣は、天下の惡む所なり。君、豈に以て寡君の賜と為さんや」と。十一年春、宋公の母弟辰、仲佗・石彄・公子地と、蕭に入りて以て叛く。秋、樂大心、之に從ふ。大いに宋の患と為る。向魋を寵するが故なり。冬、鄭と平ぐ。始めて晉に叛くなり。
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『春秋左氏伝』哀公十五年 子貢、成を取り戻す秋、齊の陳瓘楚に如く。衛を過ぐ。仲由之に見えて曰く、「天或いは陳氏を以て斧斤と為し、既に公室を斲喪して、他人之を有するも、知る可からざるなり。其の終に之を饗けしむるも、亦た知る可からざるなり。若し魯を善くして以て時を待たば、亦た可ならずや。何ぞ必ずしも惡まん」と。子玉曰く、「然り。吾命を受けたり。子使ひして我が弟に告げよ」と。冬、齊と平ぐ。子服景伯齊に如く。子贛介為り。公孫成に見えて曰く、「人皆人に臣たり、而して人に背くの心有り。況んや齊人子の為に役すと雖も、其れ貳かざること有らんや。子は周公の孫なり。多く大利を饗くるも、猶ほ不義を思ふ。利得可からずして、宗國を喪はば、將た焉んぞ之を用ゐん」と。成曰く、「善い哉。吾早く命を聞かざりき」と。陳成子客を館して曰く、「寡君恆をして告げしめて曰く、『寡君君に事ふること衛君に事ふるが如くせんことを願ふ』と」。景伯子贛に揖して之を進む。對へて曰く、「寡君の願ひなり。昔晉人衛を伐つ。齊衛の為の故に、晉の冠氏を伐ち、車五百を喪ふ。因りて衛に地を與ふ。濟より以西、禚・媚・杏以南、書社五百。吳人敝邑に加ふるに亂を以てす。齊其の病に因りて、讙と闡とを取る。寡君是を以て寒心す。若し衛君の君に事ふるを視るを得ば、則ち固より願ふ所なり」と。成子之を病む。乃ち成を歸す。公孫宿其の兵甲を以て嬴に入る。衛の孔圉大子蒯聵の姊を取り、悝を生む。孔氏の豎渾良夫、長くして美なり。孔文子卒す。內に通ず。大子戚に在り。孔姬之をして焉に使ひせしむ。大子之と言ひて曰く、「苟も我をして入りて國を獲しめば、冕を服し軒に乘らしめ、三死まで與(あづか)ること無からしめん」と。之と盟ふ。為に伯姬に請ふ。
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『春秋左氏伝』哀公二十六年 縦にして其の罪を盈たしめよ二十六年夏五月、叔孫舒、師を帥ゐて越の皋如・后庸、宋の樂茷に會し、衛侯を納れんとす。文子、之を納れんと欲す。懿子曰く、「君は愎にして虐なり。少しく之を待て。必ず民に毒せん。乃ち子に睦まん」と。師、外州を侵し、大いに獲。出でて之を禦ぎ、大いに敗る。褚師定子の墓を掘り、之を平莊の上に焚く。文子、王孫齊をして皋如に私せしめて曰く、「子、將に大いに衛を滅ぼさんとするか。抑も君を納るるのみか」と。皋如曰く、「寡君の命は他無し。衛君を納るるのみ」と。文子、衆を致して焉に問ひて曰く、「君、蠻夷を以て國を伐つ。國幾ど亡びんとす。請ふ、之を納れん」と。衆曰く、「納るること勿かれ」と。曰く、「彌牟亡びて益有らば、請ふ、北門より出でん」と。衆曰く、「出づること勿かれ」と。重く越人に賂し、申ねて開き陴を守りて公を納る。公、敢へて入らず。師還る。悼公を立つ。南氏之に相たり。城鉏を以て越人に與ふ。公曰く、「期則ち此を為す」と。苟も夫人に怨み有る者をして之に報いしむ。司徒期、越に聘す。公、攻めて其の幣を奪ふ。期、王に告ぐ。王、之を取らしむ。期、衆を以て之を取る。公怒りて、期の甥の大子為る者を殺す。遂に越に卒す。宋の景公、子無し。公孫周の子得と啟とを取りて、諸を公宮に畜ふ。未だ立つること有らず。是に於て皇緩は右師為り、皇非我は大司馬為り、皇懷は司徒為り、靈不緩は左師為り、樂茷は司城為り、樂朱鉏は大司寇為り。六卿三族、降りて政を聽き、大尹に因りて以て達す。大尹常に告げずして、其の欲を以て、君命と稱して以て令す。國人之を惡む。司城、大尹を去らんと欲す。左師曰く、「之を縱にして、其の罪を盈たしめよ。重くして基無し。能く敝るること無からんや」と。
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『春秋左氏伝』哀公十一年 鳥は木を択ぶ悼子亡(に)ぐ。衛人夏戊を翦る。孔文子の將に大叔を攻めんとするや、仲尼に訪ふ。仲尼曰く、「胡簋の事は、則ち嘗て之を學べり。甲兵の事は、未だ之を聞かざるなり」と。退きて駕を命じて行かんとして曰く、「鳥は則ち木を擇ぶ。木豈に能く鳥を擇ばんや」と。文子遽かに之を止めて曰く、「圉豈に敢へて其の私を度らんや。衛國の難を訪ふなり」と。將に止まらんとす。魯人幣を以て之を召く。乃ち歸る。季孫田賦を以てせんと欲し、冉有をして諸を仲尼に訪はしむ。仲尼曰く、「丘は識らざるなり」と。三たび發す。卒に曰く、「子は國老為り。子を待ちて行はんとす。若之何ぞ子の言はざるや」と。仲尼對へず。而して冉有に私して曰く、「君子の行ひや、禮に度る。施すは其の厚きを取り、事は其の中を舉げ、斂むるは其の薄きに從ふ。是の如くならば則ち丘を以てするも亦た足れり。若し禮に度らずして、貪冒厭くこと無くんば、則ち田賦を以てすと雖も、將た又足らざらん。且つ子季孫若し行ひて法とせんと欲せば、則ち周公の典在り。若し苟もして行はんと欲せば、又何ぞ訪はん」と。聽かず。
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『春秋左氏伝』襄公二十三年 禍福に門なし八月、叔孫豹師を帥ゐて晉を救ひ、雍榆に次る。禮なり。季武子に適子無し。公彌長ずれども、悼子を愛し、之を立てんと欲す。申豐に訪ひて曰く、「彌と紇と、吾皆之を愛す。才を擇びて之を立てんと欲す」と。申豐趨り退き、歸りて、室を盡して將に行かんとす。他日又焉に訪ふ。對へて曰く、「其れ然らば、將に敝車を具へて行かんとす」と。乃ち止む。臧紇に訪ふ。臧紇曰く、「我に酒を飲ましめよ。吾子の為に之を立てん」と。季氏大夫に酒を飲ましむ。臧紇客為り。既に獻じ、臧孫命じて北面して席を重ね、新樽之を絜くし、悼子を召し、降りて之を逆ふ。大夫皆起つ。旅するに及びて、公鉏を召し、之をして齒せしむ。季孫色を失ふ。季氏公鉏を以って馬正と為す。慍りて出でず。閔子馬之を見て曰く、「子然すること無かれ。禍福門無し、唯だ人の召く所なり。人の子為る者は、不孝を患へて、所無きを患へず。其の父の命を敬せよ、何の常か之れ有らん。若し能く孝敬ならば、富季氏に倍するも可なり。姦回不軌ならば、禍下民に倍するも可なり」と。公鉏之を然りとし、朝夕に敬共し、官次に恪居す。季孫喜び、己に酒を飲ましめしめて、具を以って往き、盡く旃を舍く。故に公鉏氏富み、又出でて公の左宰と為る。
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『春秋左氏伝』定公十四年 蒯聵、南子を殺さんとす秋、齊侯・宋公、洮に會す。范氏の故なり。衛侯、夫人南子の為に宋朝を召し、洮に會す。大子蒯聵、盂を齊に獻じ、宋の野を過ぐ。野人之を歌ひて曰く、「既に爾が婁豬を定む、盍ぞ吾が艾豭を歸さざる」と。大子之を羞ぢ、戲陽速に謂ひて曰く、「我に從ひて少君に朝せよ。少君我を見ば、我顧みん。乃ち之を殺せ」と。速曰く、「諾」と。乃ち夫人に朝す。夫人大子を見る。大子三たび顧みるも、速進まず。夫人其の色を見、啼きて走りて曰く、「蒯聵將に余を殺さんとす」と。公其の手を執りて以て臺に登る。大子宋に奔る。盡く其の黨を逐ふ。故に公孟彄出でて鄭に奔り、鄭より齊に奔る。大子人に告げて曰く、「戲陽速、余に禍せり」と。戲陽速人に告げて曰く、「大子則ち余に禍せり。大子無道にして、余をして其の母を殺さしむ。余許さずんば、將に余を戕(そこな)はんとす。若し夫人を殺さば、將に余を以て說(と)かんとす。余是の故に許して為さず、以て余が死を紓(ゆる)めんとす。諺に曰く、『民は信に保んず』と。吾は義を以て信と為すなり」と。冬、十二月、晉人、范・中行氏の師を潞に敗り、籍秦・高彊を獲たり。又鄭の師及び范氏の師を百泉に敗る。
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