春秋左氏伝 / 定公十四年 檇李の戦いと夫差の誓い
夏。衛北宮結來奔。公叔戌之故也。吳伐越。越子勾踐禦之。陳于檇李。勾踐患吳之整也。使死士再禽焉。不動。使罪人三行。屬劍於頸。而辭曰。二君有治。臣奸旗鼓。不敏於君之行前。不敢逃刑。敢歸死。遂自剄也。師屬之目。越子因而伐之。大敗之。靈姑浮以戈擊闔廬。闔廬傷將指。取其一屨還。卒於陘。去檇李七里。夫差使人立於庭。苟出入。必謂己曰。夫差。而忘越王之殺而父乎。則對曰。唯不敢忘。三年乃報越。晉人圍朝歌。公會齊侯。衛侯。于脾上梁之間。謀救范中行氏。析成鮒。小王桃甲。率狄師以襲晉。戰于絳中。不克而還。士鮒奔周。小王桃甲入于朝歌。
新字:夏。衛北宮結来奔。公叔戌之故也。呉伐越。越子勾践禦之。陳于檇李。勾践患呉之整也。使死士再禽焉。不動。使罪人三行。属剣於頸。而辞曰。二君有治。臣奸旗鼓。不敏於君之行前。不敢逃刑。敢帰死。遂自剄也。師属之目。越子因而伐之。大敗之。霊姑浮以戈撃闔廬。闔廬傷将指。取其一屨還。卒於陘。去檇李七里。夫差使人立於庭。苟出入。必謂己曰。夫差。而忘越王之殺而父乎。則対曰。唯不敢忘。三年乃報越。晋人囲朝歌。公会斉侯。衛侯。于脾上梁之間。謀救范中行氏。析成鮒。小王桃甲。率狄師以襲晋。戦于絳中。不克而還。士鮒奔周。小王桃甲入于朝歌。
書き下し
夏、衛の北宮結來奔す。公叔戌の故なり。吳、越を伐つ。越子勾踐之を禦ぎ、檇李に陳す。勾踐、吳の整へるを患ひ、死士をして再び禽(とりこ)にせしむるも、動かず。罪人をして三行(さんかう)せしめ、劍を頸に屬(つ)けて辭して曰く、「二君治むること有り。臣、旗鼓を奸(をか)せり。君の行前に不敏なり。敢へて刑を逃れず、敢へて死を歸す」と。遂に自剄す。師之に目を屬く。越子因りて之を伐ち、大いに之を敗る。靈姑浮、戈を以て闔廬を擊つ。闔廬將指を傷つけ、其の一屨を取りて還る。陘に卒す。檇李を去ること七里。夫差、人をして庭に立たしめ、苟も出入するに、必ず己に謂はしめて曰く、「夫差、而(なんぢ)越王の而の父を殺しことを忘れたるか」と。則ち對へて曰く、「唯、敢へて忘れず」と。三年にして乃ち越に報ゆ。晉人、朝歌を圍む。公、齊侯・衛侯に脾上・梁の間に會し、范・中行氏を救はんことを謀る。析成鮒・小王桃甲、狄師を率ゐて以て晉を襲ひ、絳中に戰ふ。克たずして還る。士鮒は周に奔り、小王桃甲は朝歌に入る。
現代語訳
夏、衛の北宮結が魯へ亡命してきた。公叔戌の事件に連座したためである。呉が越を攻めた。越子勾践はこれを防ぎ、檇李(すいり)に陣を敷いた。勾践は呉の陣が整っているのを憂え、決死の兵を二度突入させて呉兵を捕らえさせようとしたが、呉の陣は動かなかった。そこで罪人を三列に並べて進ませ、剣を首に当てさせて、こう口上を述べさせた。「両国の君が兵を交えておられるなか、私どもは軍令を犯しました。わが君の御前で不始末をいたしました。刑を逃れようとはいたしません。謹んで死をもって償います」。そしてそのまま自ら首をはねた。呉の軍勢はこれに目を奪われた。越子はその隙に攻めかかり、呉軍を大いに破った。越の霊姑浮が戈で闔廬(こうりょ、呉王)を撃ち、闔廬は足の親指を傷つけた。霊姑浮はその片方の履を取って帰った。闔廬は陘(けい)で亡くなった。檇李から七里のところである。(跡を継いだ)夫差は人を庭に立たせ、自分が出入りするたびに必ずこう言わせた。「夫差よ、おまえは越王がおまえの父を殺したことを忘れたのか」。すると夫差は答えた。「はい、決して忘れません」。三年たって、ついに越に報復した。晋は朝歌を包囲した。魯の定公は斉侯・衛侯と脾上と梁の間で会合し、范氏・中行氏を救う策を謀った。析成鮒(せきせいふ)と小王桃甲は狄の軍を率いて晋を襲い、絳の町中で戦ったが、勝てずに引き返した。士鮒(析成鮒)は周へ出奔し、小王桃甲は朝歌に入った。
解説
この章句が説くこと
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