墨子 / 號令
人自大書版,著之其署隔,守必自謀其先後,非其署而妄入之者,斷。離署左右,共入他署,左右不捕,挾私書,行請謁,及為行書者,釋守事而治私家事,卒民相盜家室、嬰兒,皆斷無赦。人舉而藉之。無符節而横行軍中者,斷。客在城下,因數易其署而無易其養,譽敵少以為衆,亂以為治,敵攻拙以為巧者,斷。客、主人無得相與言及相藉,客射以書,無得譽,外示内以善,無得應,不從令者皆斷。禁無得舉矢書若以書射寇,犯令者,父母、妻子皆斷,身梟城上。有能捕告之者,賞之黄金二十斤。非時而行者,唯守及摻太守之節而使者。
新字:人自大書版,著之其署隔,守必自謀其先後,非其署而妄入之者,断。離署左右,共入他署,左右不捕,挟私書,行請謁,及為行書者,釈守事而治私家事,卒民相盗家室、嬰児,皆断無赦。人舉而藉之。無符節而横行軍中者,断。客在城下,因数易其署而無易其養,誉敵少以為衆,乱以為治,敵攻拙以為巧者,断。客、主人無得相与言及相藉,客射以書,無得誉,外示内以善,無得応,不従令者皆断。禁無得舉矢書若以書射寇,犯令者,父母、妻子皆断,身梟城上。有能捕告之者,賞之黄金二十斤。非時而行者,唯守及摻太守之節而使者。
書き下し
人、自ら大いに版に書し、之を其の署の隔に著く。守、必ず自ら其の先後を謀り、其の署に非ずして妄りに之に入る者は、斷ず。署を離れ左右し、共に他署に入り、左右、捕らえず、私書を挾み、行きて請謁し、及び行書を為し、守事を釋てて私家の事を治め、卒民、相い家室・嬰兒を盜む者は、皆な斷じて赦す無し。人、舉げて之を藉す。符節無くして軍中を横行する者は、斷ず。客、城下に在らば、數しば其の署を易えて其の養を易うる無し。敵を譽めて少なきを以て衆しと為し、亂を以て治と為し、敵の攻の拙きを以て巧と為す者は、斷ず。客と主人と、相い與に言い及び相い藉するを得る無し。客、射るに書を以てするも、譽むるを得る無し。外、内に示すに善を以てするも、應ずるを得る無し。令に従わざる者は皆な斷ず。禁じて矢書を舉げ若しくは書を以て寇に射るを得る無し。令を犯す者は、父母・妻子、皆な斷じ、身は城上に梟す。能く之を捕らえ告ぐる者有らば、之に賞するに黄金二十斤。時に非ずして行く者は、唯だ守及び太守の節を摻りて使いする者のみ。
現代語訳
各人は自分の名を大きく板に書き、持ち場の仕切りに掲げる。守将は必ず自らその順序を考え、自分の持ち場でないのにみだりに入る者は、裁く。持ち場を離れて動き回り、他の持ち場に一緒に入り、左右の者が捕らえず、私信を持ち歩き、頼み事に出向き、手紙を運び、守りの務めを捨てて私事を処理し、兵や民が互いの家財や子どもを盗む者は、みな裁いて赦さない。人を挙げてこれを記録する。割り符なしに軍中を歩き回る者は、裁く。敵が城下にいるときは、しばしば持ち場を替えるが、炊事係は替えない。敵を誉めて少ないのを多いといい、乱れているのを治まっているといい、敵の下手な攻めを巧みだという者は、裁く。敵と味方が言葉を交わすことも、物をやり取りすることも許さない。敵が書を矢に付けて射込んできても、それを読み上げてはならない。外から内に向けて善意を示してきても、応じてはならない。命令に従わない者はみな裁く。矢文を拾い上げること、書を敵に射ることを禁じる。命令を犯した者は、父母も妻子もみな裁き、その身は城壁の上にさらす。捕らえて訴え出た者には黄金二十斤を賞として与える。定めの時でないのに通る者は、守将と、太守の割り符を持って使いする者だけである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 張耳陳余列伝范陽の令乃ち蒯通をして武信君に見えしめて曰く、「足下必ず将に戦ひ勝ちて然る後に地を略し、攻め得て然る後に城を下さんとす。臣竊かに以て過てりと為す。誠に臣の計を聴かば、攻めずして城を降し、戦はずして地を略し、檄を伝へて千里定むべし。可ならんか」と。武信君曰く、「何の謂ぞや」と。蒯通曰く、「今范陽の令宜しく其の士卒を整頓して以て守戦すべき者なり。怯にして死を畏れ、貪にして富貴を重んず。故に天下に先んじて降らんと欲するも、君の秦の置く所の吏なるを以て、誅殺すること前の十城の如くならんことを畏る。然れども今范陽の少年亦方に其の令を殺し、自ら城を以て君を距がんとす。君何ぞ臣に侯印を齎して、范陽の令に拝せざる。范陽の令則ち城を以て君に下らん。少年も亦敢て其の令を殺さず。范陽の令をして朱輪華轂に乗り、燕・趙の郊に駆馳せしめよ。燕・趙の郊之を見て、皆曰はん、此れ范陽の令、先に下る者なりと。即ち喜ばん。燕・趙の城は戦ふ毋くして降るべきなり。此れ臣の所謂檄を伝へて千里定まる者なり」と。武信君其の計に従ひ、因りて蒯通をして范陽の令に侯印を賜はしむ。趙の地之を聞き、戦はずして城を以て下る者三十余城。邯鄲に至り、張耳・陳餘、周章の軍関に入り、戯に至りて卻くを聞く。又諸将陳王の為に地を徇へ、多く讒毀を以て罪を得て誅せらるるを聞き、陳王の其の筴を不とし以て将と為さずして校尉と為すを怨む。乃ち武臣に説きて曰く、「陳王蘄に起こり、陳に至りて王たり。必ずしも六国の後を立てず。将軍今三千人を以て趙の数十城を下し、独り河北に介居す。王たらずんば以て之を塡むる無し。且つ陳王讒を聴く。還り報ずれば、恐らくは禍より脱れざらん。又其の兄弟を立つるに如かず。不なれば、即ち趙の後を立てよ。将軍時を失ふ毋かれ。時は間に息を容れず」と。武臣乃ち之を聴き、遂に立ちて趙王と為る。陳餘を以て大将軍と為し、張耳を右丞相と為し、邵騒を左丞相と為す。
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李衛公問対・卷下守るの法は、要は敵に示すに不足を以てするに在り。攻むるの法は、要は敵に示すに有餘を以てするに在るなり。
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『春秋左氏伝』僖公二十八年 晋、曹・衛を伐つ二十八年春、晉侯將に曹を伐たんとし、道を衛に假る、衛人許さず。還りて河南より濟り、曹を侵し、衛を伐つ。正月、戊申、五鹿を取る。二月、晉の郤縠卒す。原軫中軍に將たり、胥臣下軍に佐たり、德を上ぶなり。晉侯・齊侯斂盂に盟ふ。衛侯盟はんことを請ふ、晉人許さず。衛侯楚に與せんと欲す、國人欲せず、故に其の君を出だして以て晉に說く。衛侯出でて襄牛に居る。公子買衛を戍る、楚人衛を救ひて、克たず。公晉を懼れ、子叢を殺して以て說き、楚人に謂ひて曰く、「戍を卒へざればなり」と。晉侯曹を圍み、門に攻む、多く死す。曹人諸を城上に尸す、晉侯之を患ふ。輿人の謀を聽く、曰く、「墓に舍ると稱せん」と。師焉に遷る。曹人兇懼し、其の得る所の者の為に棺して之を出だす。其の兇なるに因りて之を攻む。
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