孫子 / 謀攻篇
是故百戰百勝,非善之善者也;不戰而屈人之兵,善之善者也。
新字:是故百戦百勝,非善之善者也;不戦而屈人之兵,善之善者也。
書き下し
是の故に百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。
現代語訳
だから、百回戦って百回勝つのは、最高に優れたことではない。戦わずに敵を屈服させることこそ、最高に優れたことである。
解説
孫子の兵法を一言で表す、最も有名な一節です。百戦百勝は華々しく見えますが、孫子はそれを「最上ではない」と言い切ります。戦えば必ず自分も傷つき、資源を消耗し、勝っても得るものは目減りするからです。理想は、戦火を交える前に、外交・謀略・態勢づくりで相手に「勝ち目がない」と悟らせ、戦わずして従わせること。力のぶつかり合いは、むしろ知恵が足りなかった証だと考えるのです。仕事でも、真っ向から競合と消耗戦をするより、優位な立ち位置や仕組みを先に築いて「戦わずに済む状況」をつくるほうが、はるかに賢い。勝つことより、戦わずに目的を達することを上に置く——この発想の転換が、孫子の核心です。
この章句が説くこと
不戦而屈人之兵不戦勝戦わずして勝つ戦略態勢づくり心理戦
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