孫子 / 謀攻篇
是故百戰百勝,非善之善者也;不戰而屈人之兵,善之善者也。
新字:是故百戦百勝,非善之善者也;不戦而屈人之兵,善之善者也。
書き下し
是の故に百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。
現代語訳
だから、百回戦って百回勝つのは、最高に優れたことではない。戦わずに敵を屈服させることこそ、最高に優れたことである。
解説
孫子の兵法を一言で表す、最も有名な一節です。百戦百勝は華々しく見えますが、孫子はそれを「最上ではない」と言い切ります。戦えば必ず自分も傷つき、資源を消耗し、勝っても得るものは目減りするからです。理想は、戦火を交える前に、外交・謀略・態勢づくりで相手に「勝ち目がない」と悟らせ、戦わずして従わせること。力のぶつかり合いは、むしろ知恵が足りなかった証だと考えるのです。仕事でも、真っ向から競合と消耗戦をするより、優位な立ち位置や仕組みを先に築いて「戦わずに済む状況」をつくるほうが、はるかに賢い。勝つことより、戦わずに目的を達することを上に置く——この発想の転換が、孫子の核心です。
この章句が説くこと
不戦而屈人之兵不戦勝戦わずして勝つ戦略態勢づくり心理戦
関連する章句
-
『春秋左氏伝』僖公二十八年 晋、曹・衛を伐つ二十八年春、晉侯將に曹を伐たんとし、道を衛に假る、衛人許さず。還りて河南より濟り、曹を侵し、衛を伐つ。正月、戊申、五鹿を取る。二月、晉の郤縠卒す。原軫中軍に將たり、胥臣下軍に佐たり、德を上ぶなり。晉侯・齊侯斂盂に盟ふ。衛侯盟はんことを請ふ、晉人許さず。衛侯楚に與せんと欲す、國人欲せず、故に其の君を出だして以て晉に說く。衛侯出でて襄牛に居る。公子買衛を戍る、楚人衛を救ひて、克たず。公晉を懼れ、子叢を殺して以て說き、楚人に謂ひて曰く、「戍を卒へざればなり」と。晉侯曹を圍み、門に攻む、多く死す。曹人諸を城上に尸す、晉侯之を患ふ。輿人の謀を聽く、曰く、「墓に舍ると稱せん」と。師焉に遷る。曹人兇懼し、其の得る所の者の為に棺して之を出だす。其の兇なるに因りて之を攻む。
-
『春秋左氏伝』定公十四年 檇李の戦いと夫差の誓い夏、衛の北宮結來奔す。公叔戌の故なり。吳、越を伐つ。越子勾踐之を禦ぎ、檇李に陳す。勾踐、吳の整へるを患ひ、死士をして再び禽(とりこ)にせしむるも、動かず。罪人をして三行(さんかう)せしめ、劍を頸に屬(つ)けて辭して曰く、「二君治むること有り。臣、旗鼓を奸(をか)せり。君の行前に不敏なり。敢へて刑を逃れず、敢へて死を歸す」と。遂に自剄す。師之に目を屬く。越子因りて之を伐ち、大いに之を敗る。靈姑浮、戈を以て闔廬を擊つ。闔廬將指を傷つけ、其の一屨を取りて還る。陘に卒す。檇李を去ること七里。夫差、人をして庭に立たしめ、苟も出入するに、必ず己に謂はしめて曰く、「夫差、而(なんぢ)越王の而の父を殺しことを忘れたるか」と。則ち對へて曰く、「唯、敢へて忘れず」と。三年にして乃ち越に報ゆ。晉人、朝歌を圍む。公、齊侯・衛侯に脾上・梁の間に會し、范・中行氏を救はんことを謀る。析成鮒・小王桃甲、狄師を率ゐて以て晉を襲ひ、絳中に戰ふ。克たずして還る。士鮒は周に奔り、小王桃甲は朝歌に入る。
-
李衛公問対・卷下守るの法は、要は敵に示すに不足を以てするに在り。攻むるの法は、要は敵に示すに有餘を以てするに在るなり。
-
孫子・九地篇利に合いて動き、利に合わずして止まる。
-
『墨子』號令人、自ら大いに版に書し、之を其の署の隔に著く。守、必ず自ら其の先後を謀り、其の署に非ずして妄りに之に入る者は、斷ず。署を離れ左右し、共に他署に入り、左右、捕らえず、私書を挾み、行きて請謁し、及び行書を為し、守事を釋てて私家の事を治め、卒民、相い家室・嬰兒を盜む者は、皆な斷じて赦す無し。人、舉げて之を藉す。符節無くして軍中を横行する者は、斷ず。客、城下に在らば、數しば其の署を易えて其の養を易うる無し。敵を譽めて少なきを以て衆しと為し、亂を以て治と為し、敵の攻の拙きを以て巧と為す者は、斷ず。客と主人と、相い與に言い及び相い藉するを得る無し。客、射るに書を以てするも、譽むるを得る無し。外、内に示すに善を以てするも、應ずるを得る無し。令に従わざる者は皆な斷ず。禁じて矢書を舉げ若しくは書を以て寇に射るを得る無し。令を犯す者は、父母・妻子、皆な斷じ、身は城上に梟す。能く之を捕らえ告ぐる者有らば、之に賞するに黄金二十斤。時に非ずして行く者は、唯だ守及び太守の節を摻りて使いする者のみ。
-
史記 張耳陳余列伝范陽の令乃ち蒯通をして武信君に見えしめて曰く、「足下必ず将に戦ひ勝ちて然る後に地を略し、攻め得て然る後に城を下さんとす。臣竊かに以て過てりと為す。誠に臣の計を聴かば、攻めずして城を降し、戦はずして地を略し、檄を伝へて千里定むべし。可ならんか」と。武信君曰く、「何の謂ぞや」と。蒯通曰く、「今范陽の令宜しく其の士卒を整頓して以て守戦すべき者なり。怯にして死を畏れ、貪にして富貴を重んず。故に天下に先んじて降らんと欲するも、君の秦の置く所の吏なるを以て、誅殺すること前の十城の如くならんことを畏る。然れども今范陽の少年亦方に其の令を殺し、自ら城を以て君を距がんとす。君何ぞ臣に侯印を齎して、范陽の令に拝せざる。范陽の令則ち城を以て君に下らん。少年も亦敢て其の令を殺さず。范陽の令をして朱輪華轂に乗り、燕・趙の郊に駆馳せしめよ。燕・趙の郊之を見て、皆曰はん、此れ范陽の令、先に下る者なりと。即ち喜ばん。燕・趙の城は戦ふ毋くして降るべきなり。此れ臣の所謂檄を伝へて千里定まる者なり」と。武信君其の計に従ひ、因りて蒯通をして范陽の令に侯印を賜はしむ。趙の地之を聞き、戦はずして城を以て下る者三十余城。邯鄲に至り、張耳・陳餘、周章の軍関に入り、戯に至りて卻くを聞く。又諸将陳王の為に地を徇へ、多く讒毀を以て罪を得て誅せらるるを聞き、陳王の其の筴を不とし以て将と為さずして校尉と為すを怨む。乃ち武臣に説きて曰く、「陳王蘄に起こり、陳に至りて王たり。必ずしも六国の後を立てず。将軍今三千人を以て趙の数十城を下し、独り河北に介居す。王たらずんば以て之を塡むる無し。且つ陳王讒を聴く。還り報ずれば、恐らくは禍より脱れざらん。又其の兄弟を立つるに如かず。不なれば、即ち趙の後を立てよ。将軍時を失ふ毋かれ。時は間に息を容れず」と。武臣乃ち之を聴き、遂に立ちて趙王と為る。陳餘を以て大将軍と為し、張耳を右丞相と為し、邵騒を左丞相と為す。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る