春秋左氏伝 / 定公元年 子家羈、逃る
三月。歸諸京師。城三旬而畢。乃歸。諸侯之戍齊高張後。不從諸侯。晉女叔寬曰。周萇弘。齊高張。皆將不免。萇叔違天。高子違人。天之所壞。不可支也。眾之所為。不可奸也。夏。叔孫成子逆公之喪于乾侯。季孫曰。子家子亟言於我。未嘗不中吾志也。吾欲與之從政。子必止之。且聽命焉。子家子不見叔孫。易幾而哭。叔孫請見子家子。子家子辭曰。羈未得見。而從君以出。君不命而薨。羈不敢見。叔孫使告之曰。公衍。公為。實使群臣不得事君。若公子宋主社稷。則群臣之願也。凡從君出而可以入者。將唯子是聽。子家氏未有後。季孫願與子從政。此皆季孫之願也。使不敢以告。對曰。若立君。則有卿大夫與守龜在。羈弗敢知。若從君者。則貌而出者。入可也。寇而出者。行可也。若羈也。則君知其出也。而未知其入也。羈將逃也。喪及壞隤。公子宋先入。從公者皆自壞隤反。
新字:三月。帰諸京師。城三旬而畢。乃帰。諸侯之戍斉高張後。不従諸侯。晋女叔寛曰。周萇弘。斉高張。皆将不免。萇叔違天。高子違人。天之所壊。不可支也。衆之所為。不可奸也。夏。叔孫成子逆公之喪于乾侯。季孫曰。子家子亟言於我。未嘗不中吾志也。吾欲与之従政。子必止之。且聴命焉。子家子不見叔孫。易幾而哭。叔孫請見子家子。子家子辞曰。羈未得見。而従君以出。君不命而薨。羈不敢見。叔孫使告之曰。公衍。公為。実使群臣不得事君。若公子宋主社稷。則群臣之願也。凡従君出而可以入者。将唯子是聴。子家氏未有後。季孫願与子従政。此皆季孫之願也。使不敢以告。対曰。若立君。則有卿大夫与守亀在。羈弗敢知。若従君者。則貌而出者。入可也。寇而出者。行可也。若羈也。則君知其出也。而未知其入也。羈将逃也。喪及壊隤。公子宋先入。従公者皆自壊隤反。
書き下し
三月、諸を京師に歸す。城くこと三旬にして畢はる。乃ち歸る。諸侯の戍、齊の高張後れ、諸侯に從はず。晉の女叔寬曰く、「周の萇弘、齊の高張、皆將に免れざらんとす。萇叔は天に違ひ、高子は人に違ふ。天の壞る所は、支ふ可からざるなり。衆の為す所は、奸(をか)す可からざるなり」と。夏、叔孫成子、公の喪を乾侯に逆ふ。季孫曰く、「子家子亟(しばしば)我に言ひ、未だ嘗て吾が志に中らずんばあらず。吾之と與に政に從はんと欲す。子必ず之を止め、且つ命を聽け」と。子家子叔孫を見ず、幾(とき)を易へて哭す。叔孫子家子に見えんことを請ふ。子家子辭して曰く、「羈未だ見ゆるを得ずして、君に從ひて以って出づ。君命ぜずして薨ず。羈敢へて見えず」と。叔孫之に告げしめて曰く、「公衍・公為、實に群臣をして君に事ふるを得ざらしむ。若し公子宋社稷を主らば、則ち群臣の願ひなり。凡そ君に從ひて出でて以って入る可き者は、將に唯だ子のみ是れ聽かんとす。子家氏未だ後有らず、季孫子と與に政に從はんことを願ふ。此れ皆季孫の願ひなり。敢へて以って告げざらしむ」と。對へて曰く、「若し君を立てば、則ち卿大夫と守龜と在る有り、羈敢へて知らず。若し君に從ふ者は、則ち貌にして出づる者は、入りて可なり。寇にして出づる者は、行きて可なり。羈の若きは、則ち君其の出づるを知れども、未だ其の入るを知らず。羈將に逃れんとす」と。喪壞隤に及ぶ。公子宋先に入る。公に從ふ者皆壞隤より反る。
現代語訳
三月、仲幾を京師に送って(周の裁きに)引き渡した。城壁の工事は三十日で完了し、諸侯は帰国した。諸侯の戍兵の中で、斉の高張は遅れて到着し、諸侯と行動を共にしなかった。晋の女叔寛は言った。「周の萇弘と斉の高張は、いずれも禍を免れないだろう。萇叔(萇弘)は天に背き、高子(高張)は人に背いている。天が壊そうとするものは支えることができない。衆人が行うことには背くことができない」。夏、叔孫成子(叔孫不敢)が乾侯に行き、公(昭公)の遺骸を迎えた。季孫(季平子)は言った。「子家子はたびたび私に意見を言ってきたが、私の考えに当たらなかったことは一度もない。私は彼と共に政治を行いたい。あなたは必ず彼を引き止め、しかも彼の意向を聞いてきてほしい」。子家子は叔孫に会わず、時をずらして哭した。叔孫は子家子に面会を求めた。子家子は断って言った。「羈(私)はまだあなた方にお目にかからないうちに、君に従って国を出ました。君は(帰国せよとも)何も命じないまま亡くなりました。ですから私はあえてお目にかかりません」。叔孫は人をやって告げさせた。「公衍と公為(昭公の子)が、実際に群臣を君に仕えられないようにしたのです。もし公子宋(後の定公)が社稷を主宰されるなら、それが群臣の願いです。およそ君に従って国を出た者のうち、帰国してよい者については、すべてあなたの言うとおりにしましょう。子家氏にはまだ跡継ぎが立っていません。季孫はあなたと共に政治を行いたいと願っています。これはすべて季孫の願いであり、季孫が私にお伝えさせたのです」。子家子は答えた。「君を立てることについては、卿大夫と守りの亀卜があります。羈があえて関わることではありません。君に従った者については、うわべだけで従って出た者は、帰国してよろしい。季孫に敵対して出た者は、去るのがよろしい。羈のような者は、君は私が出たことをご存じですが、私が帰ることはご存じない(君の許しを得ていない)のです。羈は逃れて去ります」。公の遺骸が壊隤まで来ると、公子宋が先に国に入った。公に従っていた者たちは、みな壊隤から引き返した(亡命を続けた)。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』耕柱子墨子、管黔をして髙石子を衛に游ばしむ。衛君、禄を致すこと甚だ厚く、之を卿に設く。髙石子、三たび朝して必ず言を盡くすも、言、行わるる者無し。去りて齊に之き、子墨子に見えて曰く、「衛君、夫子の故を以て、禄を致すこと甚だ厚く、我を卿に設く。石、三たび朝して必ず言を盡くすも、言、行わるる無し。是を以て之を去るなり。衛君、乃ち石を以て狂と為すこと無からんや」と。子墨子曰く、「之を去るに茍くも道あらば、狂を受くるも何ぞ傷まん。古者、周公旦、管叔を非とし、三公を辭し、東のかた商盖に處る。人、皆な之を狂と謂う。後世、其の徳を稱し、其の名、今に至るまで息まず。且つ翟、之を聞く、義を為すは毁を避け譽に就くに非ず。之を去るに茍くも道あらば、狂を受くるも何ぞ傷まん」と。髙石子曰く、「石の之を去るや、焉んぞ敢えて道あらざらんや。昔者、夫子に言有りて曰く、『天下に道無くんば、仁士は厚きに處らず』と。今、衛君は道無くして、其の禄爵を貪らば、則ち是れ我れ茍くも人の厚きに處ると為すなり」と。子墨子、説びて、子禽子を召して曰く、「姑く此を聴けや。夫れ義に倍きて禄に鄉う者は、我れ常に之を聞けり。禄に倍きて義に鄉う者は、髙石子に於いて焉れを見るなり」と。
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『学問のすゝめ』五編・明治七年一月一日の詞・進まざる者は必ず退きしかのみならず今日に至りては、なおこれよりはなはだしきことあり。おおよそ世間の事物、進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。進まず退かずして潴滞する者はあるべからざるの理なり。今、日本の有様を見るに、文明の形は進むに似たれども、文明の精神たる人民の気力は日に退歩に赴けり。請う、試みにこれを論ぜん。在昔、足利・徳川の政府においては民を御するにただ力を用い、人民の政府に服するは力足らざればなり。力足らざる者は心服するにあらず、ただこれを恐れて服従の容をなすのみ。今の政府はただ力あるのみならず、その智恵すこぶる敏捷にして、かつて事の機に後るることなし。一新の後、いまだ十年ならずして、学校・兵備の改革あり、鉄道・電信の設あり、その他石室を作り、鉄橋を架する等、その決断の神速なるとその成功の美なるとに至りては、実に人の耳目を驚かすに足れり。
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論語・憲問篇子曰く、賢者は世を辟く。其の次は地を辟く。其の次は色を辟く。其の次は言を辟く。
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説苑・雜言賢人君子は、盛衰の時に通じ、成敗の端に明らかに、治乱の紀を察し、人情を審らかにす。去就する所を知る、故に窮すと雖も亡国の勢に処らず、貧しと雖も汙君の禄を受けず。是を以て太公は七十にして自ら達せず、孫叔敖は三たび相を去りて自ら悔いず。何となれば則ち、強いて其の人に非ざるに合せざればなり。太公は一たび周に合して侯たること七百歳、孫叔敖は一たび楚に合して封ぜらるること十世。大夫種は越を存亡して覇たらしめしも、句踐は死を前に賜う。李斯は功を秦に積みしも、卒に五刑を被る。忠を尽くして君を憂い、身を危うくして国を安んずる、其の功は一なり。或いは封侯して絶えず、或いは死を賜いて刑を被る。慕う所・由る所異なればなり。故に箕子は国を去りて狂を佯り、范蠡は越を去りて名を易え、智過は君弟を去りて姓を更う、皆遠きを見て微を識り、仁は能く富勢を去りて以て萌生の禍を避くる者なり。夫れ暴乱の君、孰か能く縶を離ちて其の身を役し、患いに与らんや。故に賢者は死を畏れ害を避くるのみに非ざるなり、身を殺すも益無くして明主の暴なればなり。比干は紂に死すも其の行いを正す能わず、子胥は呉に死すも其の国を存する能わず。二子は強諫して死す、適に明主の暴を明らかにするのみ、未だ始めより秋毫の端の如きも益有らざるなり。是を以て賢人は其の智を閉じ、其の能を塞ぎ、其の人を得るを待ちて然る後に合す。故に言えば聴かれざる無く、行えば疑わるる無く、君臣両つながら与にし、終身患い無し。今其の時を得るに非ず、又其の人無く、直だ私意已む能わず、世の乱れを閔れみ、主の危うきを憂う。貲無きの身を以て、蔽塞の路を渉り、讒人の前を経、無量の主に造り、不測の罪を犯す。其の天性を傷る、豈に惑いならざらんや。故に文信侯・李斯は、天下謂う所の賢なり、国の為に計り微を揣り隠を射る、所謂過策無きなり。戦いて勝ち攻めて取る、所謂強敵無きなり。功を積むこと甚だ大に、勢利甚だ高し。賢人用いられず、讒人事を用う、自ら用いられざるを知るも、其の仁去る能わず。敵を制し功を積むこと、秋毫を失わず。患いを避け害を去ること、丘山を見ず。其の欲する所を積みて、以て其の悪む所に至る、豈に勢利に惑わさるるに非ざらんや。詩に云う、『人は其の一を知りて、其の他を知る莫し』と。此を之れ謂うなり。
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孟子・公孫丑章句下孟子蚔蛙に謂ひて曰く、「子の霊丘を辞して士師を請ふは、似たり。其の以て言ふ可きが為なり。今既に数月なり、未だ以て言ふ可からざるか。」蚔蛙王に諫めて用ひられず、臣たることを致して去る。斉人曰く、「蚔蛙の為にする所以は、則ち善し。自ら為にする所以は、則ち吾知らざるなり。」公都子以て告ぐ。曰く、「吾之を聞けり。官守有る者は、其の職を得ざれば則ち去り、言責有る者は、其の言を得ざれば則ち去る。我に官守無く、我に言責無きなり。則ち吾が進退、豈に綽綽然として余裕有らざらんや。」
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『呻吟語』内篇・談道・行かざるを得ざる所に行く君子の事に於けるや、其の行かざるを得ざる所に行き、其の止まらざるを得ざる所に止まる。言に於けるや、其の語らざるを得ざる所に語り、其の默せざるを得ざる所に默す。尤悔庶幾はくは寡からん。
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