墨子 / 耕柱
子墨子使管黔游髙石子於衛,衛君致禄甚厚,設之於卿。髙石子三朝必盡言,而言無行者。去而之齊,見子墨子,曰:「衛君以夫子之故,致禄甚厚,設我於卿。石三朝必盡言,而言無行,是以去之也。衛君無乃以石為狂乎?」子墨子曰:「去之茍道,受狂何傷?古者周公旦非管叔,辭三公,東處於商盖,人皆謂之狂。後世稱其徳,其名,至今不息。且翟聞之,為義非避毁就譽,去之茍道,受狂何傷!」髙石子曰:「石去之,焉敢不道也?昔者夫子有言曰:『天下無道,仁士不處厚焉。』今衛君無道,而貪其禄爵,則是我為茍處人厚也。」子墨子説,而召子禽子,曰:「姑聴此乎!夫倍義而鄉禄者,我常聞之矣;倍禄而鄉義者,於髙石子焉見之也。」
新字:子墨子使管黔游高石子於衛,衛君致禄甚厚,設之於卿。高石子三朝必尽言,而言無行者。去而之斉,見子墨子,曰:「衛君以夫子之故,致禄甚厚,設我於卿。石三朝必尽言,而言無行,是以去之也。衛君無乃以石為狂乎?」子墨子曰:「去之茍道,受狂何傷?古者周公旦非管叔,辞三公,東処於商盖,人皆謂之狂。後世称其徳,其名,至今不息。且翟聞之,為義非避毁就誉,去之茍道,受狂何傷!」高石子曰:「石去之,焉敢不道也?昔者夫子有言曰:『天下無道,仁士不処厚焉。』今衛君無道,而貪其禄爵,則是我為茍処人厚也。」子墨子説,而召子禽子,曰:「姑聴此乎!夫倍義而鄉禄者,我常聞之矣;倍禄而鄉義者,於高石子焉見之也。」
書き下し
子墨子、管黔をして髙石子を衛に游ばしむ。衛君、禄を致すこと甚だ厚く、之を卿に設く。髙石子、三たび朝して必ず言を盡くすも、言、行わるる者無し。去りて齊に之き、子墨子に見えて曰く、「衛君、夫子の故を以て、禄を致すこと甚だ厚く、我を卿に設く。石、三たび朝して必ず言を盡くすも、言、行わるる無し。是を以て之を去るなり。衛君、乃ち石を以て狂と為すこと無からんや」と。子墨子曰く、「之を去るに茍くも道あらば、狂を受くるも何ぞ傷まん。古者、周公旦、管叔を非とし、三公を辭し、東のかた商盖に處る。人、皆な之を狂と謂う。後世、其の徳を稱し、其の名、今に至るまで息まず。且つ翟、之を聞く、義を為すは毁を避け譽に就くに非ず。之を去るに茍くも道あらば、狂を受くるも何ぞ傷まん」と。髙石子曰く、「石の之を去るや、焉んぞ敢えて道あらざらんや。昔者、夫子に言有りて曰く、『天下に道無くんば、仁士は厚きに處らず』と。今、衛君は道無くして、其の禄爵を貪らば、則ち是れ我れ茍くも人の厚きに處ると為すなり」と。子墨子、説びて、子禽子を召して曰く、「姑く此を聴けや。夫れ義に倍きて禄に鄉う者は、我れ常に之を聞けり。禄に倍きて義に鄉う者は、髙石子に於いて焉れを見るなり」と。
現代語訳
墨子が管黔に高石子を衛へ送らせた。衛君は非常に厚い俸禄を与え、卿の位に就けた。高石子は三度朝廷に出て必ず言うべきことをすべて言ったが、実行されるものは一つもなかった。そこで衛を去って斉に行き、墨子に会って言った。「衛君は先生の縁で非常に厚い俸禄をくださり、私を卿に就けてくれました。私は三度朝廷に出て言うべきことをすべて言いましたが、一つも実行されません。だから去ったのです。衛君は私を気が触れたと思っているのではないでしょうか」。墨子が言った。「去るのに道があるなら、狂人と言われても何の痛みがあろう。むかし周公旦は管叔を非として三公の位を辞し、東の商蓋に移った。人はみな彼を狂人と言った。しかし後世はその徳を讃え、その名はいまも絶えない。それに私はこう聞いている。義を行うのは、そしりを避けて誉れに就くためではない、と。去るのに道があるなら、狂人と言われても何の痛みがあろう」。高石子が言った。「私が去ったのに、どうして道がないことがありましょう。かつて先生はこう言われました。『天下に道が無ければ、仁ある士は厚い待遇にとどまらない』と。いま衛君に道が無いのに、その俸禄と爵位をむさぼれば、それは私がいい加減に厚い待遇にとどまるということです」。墨子は喜んで、子禽子を呼んで言った。「まあこれを聞きなさい。義に背いて禄に向かう者は、私はいつも聞いている。禄に背いて義に向かう者は、高石子においてはじめて見た」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・九地篇利に合いて動き、利に合わずして止まる。
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『墨子』尚同上子墨子言いて曰く、古者、民、始めて生じて未だ刑政有らざる時、盖し其の語、人ごとに義を異にす。是を以て一人なれば則ち一義、二人なれば則ち二義、十人なれば則ち十義。其の人、滋いよ衆ければ、其の義と謂う所の者も亦た滋いよ衆し。是を以て人は其の義を是として、以て人の義を非とす。故に交ごも相い非とし是とするなり。内なる者は父子兄弟、怨惡を作し、離散して相い和合する能わず。天下の百姓、皆な水火毒藥を以て相い虧害し、餘力有るに至るも以て相い勞う能わず。餘財を府列するも以て相い分かたず、良道を隠匿するも以て相い教えず。天下の亂るること、禽獸の若く然り。
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論語・憲問篇子路、成人を問う。子曰く、「臧武仲の知、公綽の不欲、卞荘子の勇、冉求の芸の若き、之を文るに礼楽を以てせば、亦た以て成人と為す可し。」曰く、「今の成人なる者は、何ぞ必ずしも然らん。利を見ては義を思い、危うきを見ては命を授け、久要平生の言を忘れざれば、亦た以て成人と為す可し。」
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論語・陽貨篇子路曰く、「君子は勇を尚ぶか。」子曰く、「君子は義以て上と為す。君子勇有りて義無ければ乱を為し、小人勇有りて義無ければ盗を為す。」
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論語・憲問篇子曰く、賢者は世を辟く。其の次は地を辟く。其の次は色を辟く。其の次は言を辟く。
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説苑・雜言賢人君子は、盛衰の時に通じ、成敗の端に明らかに、治乱の紀を察し、人情を審らかにす。去就する所を知る、故に窮すと雖も亡国の勢に処らず、貧しと雖も汙君の禄を受けず。是を以て太公は七十にして自ら達せず、孫叔敖は三たび相を去りて自ら悔いず。何となれば則ち、強いて其の人に非ざるに合せざればなり。太公は一たび周に合して侯たること七百歳、孫叔敖は一たび楚に合して封ぜらるること十世。大夫種は越を存亡して覇たらしめしも、句踐は死を前に賜う。李斯は功を秦に積みしも、卒に五刑を被る。忠を尽くして君を憂い、身を危うくして国を安んずる、其の功は一なり。或いは封侯して絶えず、或いは死を賜いて刑を被る。慕う所・由る所異なればなり。故に箕子は国を去りて狂を佯り、范蠡は越を去りて名を易え、智過は君弟を去りて姓を更う、皆遠きを見て微を識り、仁は能く富勢を去りて以て萌生の禍を避くる者なり。夫れ暴乱の君、孰か能く縶を離ちて其の身を役し、患いに与らんや。故に賢者は死を畏れ害を避くるのみに非ざるなり、身を殺すも益無くして明主の暴なればなり。比干は紂に死すも其の行いを正す能わず、子胥は呉に死すも其の国を存する能わず。二子は強諫して死す、適に明主の暴を明らかにするのみ、未だ始めより秋毫の端の如きも益有らざるなり。是を以て賢人は其の智を閉じ、其の能を塞ぎ、其の人を得るを待ちて然る後に合す。故に言えば聴かれざる無く、行えば疑わるる無く、君臣両つながら与にし、終身患い無し。今其の時を得るに非ず、又其の人無く、直だ私意已む能わず、世の乱れを閔れみ、主の危うきを憂う。貲無きの身を以て、蔽塞の路を渉り、讒人の前を経、無量の主に造り、不測の罪を犯す。其の天性を傷る、豈に惑いならざらんや。故に文信侯・李斯は、天下謂う所の賢なり、国の為に計り微を揣り隠を射る、所謂過策無きなり。戦いて勝ち攻めて取る、所謂強敵無きなり。功を積むこと甚だ大に、勢利甚だ高し。賢人用いられず、讒人事を用う、自ら用いられざるを知るも、其の仁去る能わず。敵を制し功を積むこと、秋毫を失わず。患いを避け害を去ること、丘山を見ず。其の欲する所を積みて、以て其の悪む所に至る、豈に勢利に惑わさるるに非ざらんや。詩に云う、『人は其の一を知りて、其の他を知る莫し』と。此を之れ謂うなり。