論語 / 憲問篇
子曰:「賢者辟世,其次辟地,其次辟色,其次辟言。」
書き下し
子曰く、賢者は世を辟く。其の次は地を辟く。其の次は色を辟く。其の次は言を辟く。
現代語訳
先生がおっしゃった。「賢者は乱れた世そのものを避ける。その次は乱れた土地を避ける。その次は君主の顔色が悪くなれば避ける。その次は君主の言葉が悪くなれば避ける。」
解説
逃げ方に四段階があるという。世を避ける、土地を避ける、顔色を避ける、言葉を避ける。後になるほど、判断の材料が身近で小さくなる。逆に言えば、後の段階ほど察知が遅い。最上位の賢者は、時代そのものが駄目だと見て身を引く。最下位は、相手の言葉が変わって初めて気づく。危険からの離脱を、察知の早さで序列化している。この見方は、組織や取引関係の引き際にそのまま使える。相手の言葉が変わってから離れるのは、最も遅い判断である。その前に表情が変わり、その前に環境が変わり、その前に時代が変わっている。早く察知するほど、選べる選択肢は多い。ただし、早すぎる離脱は臆病とも見える。孔子はどの段階も否定していない。ただ、順序があることを示した。
この章句が説くこと
進退察知引き際段階賢者
関連する章句
-
『宋名臣言行録』前集巻八・龎籍定州を知る。老を請いて京師に召し還さる。公、陳請して已まず。或るひと謂う、公、今、精力克く壯なり。年少も及ばざる所なり。主上の注意、方に厚し。何ぞ遽かに引き去ること此くの如く之れ堅きやと。公曰く、必ず筋力の支えざるを待ち、明主厭棄して然る後に乃ち去らば、是れ已むを得ざるなり。豈に止足の謂いならんやと。凡そ表を上ること九、手疏二十餘通。朝廷、奪う能わず。五年、太子太保を以て致仕するを聽す。
-
『宋名臣言行録』前集巻二・錢若水舉子為りし時、陳希夷に華山に見ゆ。希夷曰く、明日當に再び來るべしと。若水期の如く往きて見れば、一老僧の希夷と地爐を擁して坐する有り。僧、若水を熟視すること之を乆しくして語らず。火箸を以て灰に畫きて做不得の三字を作る。徐ろに曰く、急流中の勇退の人なりと。若水辭し去る。希夷復た留めず。後、若水科に登り、樞宻副使と為り、年方に四十にして致仕す。希夷初め若水に仙風道骨有りと謂うも、意未だ決せず。僧に命じて之を觀しむ。僧云う、做不得と。故に復た留めず。然れども急流中に勇退するは、神仙を去ること逺からざるなり。僧は麻衣道者なり。
-
『学問のすゝめ』五編・明治七年一月一日の詞・進まざる者は必ず退きしかのみならず今日に至りては、なおこれよりはなはだしきことあり。おおよそ世間の事物、進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。進まず退かずして潴滞する者はあるべからざるの理なり。今、日本の有様を見るに、文明の形は進むに似たれども、文明の精神たる人民の気力は日に退歩に赴けり。請う、試みにこれを論ぜん。在昔、足利・徳川の政府においては民を御するにただ力を用い、人民の政府に服するは力足らざればなり。力足らざる者は心服するにあらず、ただこれを恐れて服従の容をなすのみ。今の政府はただ力あるのみならず、その智恵すこぶる敏捷にして、かつて事の機に後るることなし。一新の後、いまだ十年ならずして、学校・兵備の改革あり、鉄道・電信の設あり、その他石室を作り、鉄橋を架する等、その決断の神速なるとその成功の美なるとに至りては、実に人の耳目を驚かすに足れり。
-
『墨子』耕柱子墨子、管黔をして髙石子を衛に游ばしむ。衛君、禄を致すこと甚だ厚く、之を卿に設く。髙石子、三たび朝して必ず言を盡くすも、言、行わるる者無し。去りて齊に之き、子墨子に見えて曰く、「衛君、夫子の故を以て、禄を致すこと甚だ厚く、我を卿に設く。石、三たび朝して必ず言を盡くすも、言、行わるる無し。是を以て之を去るなり。衛君、乃ち石を以て狂と為すこと無からんや」と。子墨子曰く、「之を去るに茍くも道あらば、狂を受くるも何ぞ傷まん。古者、周公旦、管叔を非とし、三公を辭し、東のかた商盖に處る。人、皆な之を狂と謂う。後世、其の徳を稱し、其の名、今に至るまで息まず。且つ翟、之を聞く、義を為すは毁を避け譽に就くに非ず。之を去るに茍くも道あらば、狂を受くるも何ぞ傷まん」と。髙石子曰く、「石の之を去るや、焉んぞ敢えて道あらざらんや。昔者、夫子に言有りて曰く、『天下に道無くんば、仁士は厚きに處らず』と。今、衛君は道無くして、其の禄爵を貪らば、則ち是れ我れ茍くも人の厚きに處ると為すなり」と。子墨子、説びて、子禽子を召して曰く、「姑く此を聴けや。夫れ義に倍きて禄に鄉う者は、我れ常に之を聞けり。禄に倍きて義に鄉う者は、髙石子に於いて焉れを見るなり」と。
-
説苑・雜言賢人君子は、盛衰の時に通じ、成敗の端に明らかに、治乱の紀を察し、人情を審らかにす。去就する所を知る、故に窮すと雖も亡国の勢に処らず、貧しと雖も汙君の禄を受けず。是を以て太公は七十にして自ら達せず、孫叔敖は三たび相を去りて自ら悔いず。何となれば則ち、強いて其の人に非ざるに合せざればなり。太公は一たび周に合して侯たること七百歳、孫叔敖は一たび楚に合して封ぜらるること十世。大夫種は越を存亡して覇たらしめしも、句踐は死を前に賜う。李斯は功を秦に積みしも、卒に五刑を被る。忠を尽くして君を憂い、身を危うくして国を安んずる、其の功は一なり。或いは封侯して絶えず、或いは死を賜いて刑を被る。慕う所・由る所異なればなり。故に箕子は国を去りて狂を佯り、范蠡は越を去りて名を易え、智過は君弟を去りて姓を更う、皆遠きを見て微を識り、仁は能く富勢を去りて以て萌生の禍を避くる者なり。夫れ暴乱の君、孰か能く縶を離ちて其の身を役し、患いに与らんや。故に賢者は死を畏れ害を避くるのみに非ざるなり、身を殺すも益無くして明主の暴なればなり。比干は紂に死すも其の行いを正す能わず、子胥は呉に死すも其の国を存する能わず。二子は強諫して死す、適に明主の暴を明らかにするのみ、未だ始めより秋毫の端の如きも益有らざるなり。是を以て賢人は其の智を閉じ、其の能を塞ぎ、其の人を得るを待ちて然る後に合す。故に言えば聴かれざる無く、行えば疑わるる無く、君臣両つながら与にし、終身患い無し。今其の時を得るに非ず、又其の人無く、直だ私意已む能わず、世の乱れを閔れみ、主の危うきを憂う。貲無きの身を以て、蔽塞の路を渉り、讒人の前を経、無量の主に造り、不測の罪を犯す。其の天性を傷る、豈に惑いならざらんや。故に文信侯・李斯は、天下謂う所の賢なり、国の為に計り微を揣り隠を射る、所謂過策無きなり。戦いて勝ち攻めて取る、所謂強敵無きなり。功を積むこと甚だ大に、勢利甚だ高し。賢人用いられず、讒人事を用う、自ら用いられざるを知るも、其の仁去る能わず。敵を制し功を積むこと、秋毫を失わず。患いを避け害を去ること、丘山を見ず。其の欲する所を積みて、以て其の悪む所に至る、豈に勢利に惑わさるるに非ざらんや。詩に云う、『人は其の一を知りて、其の他を知る莫し』と。此を之れ謂うなり。
-
『呻吟語』内篇・談道・行かざるを得ざる所に行く君子の事に於けるや、其の行かざるを得ざる所に行き、其の止まらざるを得ざる所に止まる。言に於けるや、其の語らざるを得ざる所に語り、其の默せざるを得ざる所に默す。尤悔庶幾はくは寡からん。