春秋左氏伝 / 昭公三十一年 日食と入郢の予言
十二月。辛亥。朔。日有食之。是夜也。趙簡子夢童子臝而轉以謌。旦占諸史墨曰。吾夢如是。今而日食。何也。對曰。六年。及此月也。吳其入郢乎。終亦弗克。入郢必以庚辰。日月在辰尾。庚午之日。日始有謫。火勝金。故弗克。
新字:十二月。辛亥。朔。日有食之。是夜也。趙簡子夢童子臝而転以謌。旦占諸史墨曰。吾夢如是。今而日食。何也。対曰。六年。及此月也。呉其入郢乎。終亦弗克。入郢必以庚辰。日月在辰尾。庚午之日。日始有謫。火勝金。故弗克。
書き下し
十二月、辛亥、朔、日之を食する有り。是の夜や、趙簡子夢に童子臝(はだか)にして轉じて以って謌ふ。旦に諸を史墨に占ひて曰く、「吾夢是くの如し。今にして日食す、何ぞや」と。對へて曰く、「六年にして此の月に及ばん。吳其れ郢に入らんか。終に亦た克たず。郢に入るは必ず庚辰を以ってせん。日月辰尾に在り。庚午の日、日始めて謫有り。火金に勝つ、故に克たず」と。
現代語訳
十二月辛亥の朔日、日食があった。この夜、趙簡子(趙鞅)は、裸の童子がくるくる回りながら歌う夢を見た。翌朝、史墨(蔡墨)にこれを占わせて言った。「私はこのような夢を見た。そして今日、日食があった。これは何を意味するのか」。史墨は答えた。「六年後のこの月になると、呉が郢(楚の都)に入るのではないでしょうか。しかし最後まで勝ち切ることはできません。郢に入るのは必ず庚辰の日でしょう。(そのとき)太陽と月は辰尾(龍尾の星のあたり)にあります。庚午の日に、太陽に初めて異変(日食の兆し)が現れました。火は金に勝ちます。だから呉は勝ち切れないのです」。
解説
日食の夜、晋の趙簡子が、裸の子どもが回りながら歌う夢を見て、史官の史墨に占わせる。史墨は、六年後の同じ月に呉が楚の都郢に入るが、最終的には勝ち切れないと予言する。根拠は、日食の日の干支と星宿、そして五行の相克である。庚は金にあたり、それが火に制される配置にあるため、火が金に勝つ、つまり呉は楚を制しきれない、という理屈である。実際に左伝は定公四年、呉が柏挙で楚を破って郢に入ったと記し、翌年には秦の援軍などにより呉が撤退する。予言が的中する形になっているのは、左伝の編者が結果を知ったうえで記事を配置しているためとも考えられる。占いの記事は、信じるかどうかより、当時の人々が天象を政治や戦争の見通しと結びつけ、史官がその解釈を担っていたことを伝える資料として読むとよい。不確かな未来に理屈の枠組みを与える役を誰が担うのかが見えてくる。
この章句が説くこと
占い予言天象五行見通し
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