春秋左氏伝 / 昭公二十二年 華氏、楚に出奔す
二十二年春。王二月。甲子。齊北郭啟帥師伐莒。莒子將戰。苑羊牧之諫曰。齊帥賤。其求不多。不如下之。大國不可怒也。弗聽。敗齊師于壽餘。齊侯伐莒。莒子行成。司馬灶如莒蒞盟。莒子如齊蒞盟。盟于稷門之外。莒於是乎大惡其君。楚薳越使告于宋曰。寡君聞君有不令之臣。為君憂。無寧以為宗羞。寡君請受而戮之。對曰。孤不佞不能媚於父兄。以為君憂。拜命之辱。抑君臣日戰。君曰。余必臣是助。亦唯命。人有言曰。唯亂門之無過。君若惠保敝邑。無亢不衷。以獎亂人。孤之望也。唯君圖之。楚人患之。諸侯之戍謀曰。若華氏知困而致死。楚恥無功而疾戰。非吾利也。不如出之。以為楚功。其亦能無為也已。救宋而除其害。又何求。乃固請出之。宋人從之。己巳。宋華亥。向寧。華定。華貙。華登。皇奄傷。省臧。士平。出奔楚。宋公使公孫忌為大司馬。邊卬為大司徒。樂祁為司馬。仲幾為左師。樂大心為右師。樂輓為大司寇。以靖國人。
新字:二十二年春。王二月。甲子。斉北郭啓帥師伐莒。莒子将戦。苑羊牧之諫曰。斉帥賤。其求不多。不如下之。大国不可怒也。弗聴。敗斉師于寿余。斉侯伐莒。莒子行成。司馬灶如莒莅盟。莒子如斉莅盟。盟于稷門之外。莒於是乎大悪其君。楚薳越使告于宋曰。寡君聞君有不令之臣。為君憂。無寧以為宗羞。寡君請受而戮之。対曰。孤不佞不能媚於父兄。以為君憂。拝命之辱。抑君臣日戦。君曰。余必臣是助。亦唯命。人有言曰。唯乱門之無過。君若恵保敝邑。無亢不衷。以獎乱人。孤之望也。唯君図之。楚人患之。諸侯之戍謀曰。若華氏知困而致死。楚恥無功而疾戦。非吾利也。不如出之。以為楚功。其亦能無為也已。救宋而除其害。又何求。乃固請出之。宋人従之。己巳。宋華亥。向寧。華定。華貙。華登。皇奄傷。省臧。士平。出奔楚。宋公使公孫忌為大司馬。辺卬為大司徒。楽祁為司馬。仲幾為左師。楽大心為右師。楽輓為大司寇。以靖国人。
書き下し
二十二年春、王の二月、甲子、齊の北郭啟師を帥ゐて莒を伐つ。莒子將に戰はんとす。苑羊牧之諫めて曰く、「齊の帥は賤し、其の求むること多からず。之に下るに如かず。大國は怒らす可からざるなり」と。聽かず。齊の師を壽餘に敗る。齊侯莒を伐つ。莒子成を行ふ。司馬灶莒に如きて盟に蒞み、莒子齊に如きて盟に蒞む。稷門の外に盟ふ。莒是に於いてか大いに其の君を惡む。楚の薳越、宋に告げしめて曰く、「寡君、君に不令の臣有りて、君の憂ひと為ると聞く。寧ろ以って宗の羞と為す無からんや。寡君請ふ受けて之を戮せん」と。對へて曰く、「孤佞ならず、父兄に媚ぶる能はず、以って君の憂ひと為る。命の辱きを拜す。抑君臣日に戰ふ。君曰く、『余必ず臣を是れ助けん』と。亦た唯だ命のままなり。人言へる有り、曰く、『唯だ亂門にのみ過ぐる無し』と。君若し惠みて敝邑を保んじ、不衷に亢(かば)ひて、以って亂人を獎むる無くんば、孤の望みなり。唯だ君之を圖れ」と。楚人之を患ふ。諸侯の戍謀りて曰く、「若し華氏困しむを知りて死を致し、楚功無きを恥ぢて疾く戰はば、吾が利に非ざるなり。之を出だして、以って楚の功と為すに如かず。其れ亦た能く為す無からんのみ。宋を救ひて其の害を除く、又何をか求めん」と。乃ち固く之を出ださんことを請ふ。宋人之に從ふ。己巳、宋の華亥・向寧・華定・華貙・華登・皇奄傷・省臧・士平、出でて楚に奔る。宋公、公孫忌をして大司馬為らしめ、邊卬を大司徒と為し、樂祁を司馬と為し、仲幾を左師と為し、樂大心を右師と為し、樂輓を大司寇と為し、以って國人を靖んず。
現代語訳
昭公二十二年の春、周王の二月甲子の日、斉の北郭啓(ほくかくけい)が軍を率いて莒を討った。莒子は迎え撃とうとした。苑羊牧之(えんようぼくし)が諫めて言った。「斉の将は身分が低く、要求も大したものではありません。へりくだって和を結ぶのがよいでしょう。大国を怒らせてはなりません」。莒子は聞き入れず、斉の軍を寿余で破った。すると斉侯自らが莒を討った。莒子は和平を求めた。斉の司馬灶(しばそう)が莒へ行って盟約に臨み、莒子も斉へ行って盟約に臨み、斉の稷門の外で盟った。莒の人々はこれによって自分の君をひどく憎むようになった。楚の薳越は宋に使いを送って告げさせた。「わが君は、貴君に不届きな臣下がいて貴君の憂いとなっていると聞いております。それはかえって貴君の一族の恥となりましょう。わが君は、彼らを引き取って処罰したいと願っています」。宋の元公は答えた。「私は不才で、一族の長老たちに好かれることができず、貴君にまでご心配をかけました。ありがたいお言葉をお受けいたします。しかし君と臣とは日々戦っているところです。貴君が『私は必ず臣の方を助ける』とおっしゃるなら、それもまたご命令のままです。人の言葉に『乱れた家の門だけは通り過ぎるな(関わるな)』とあります。貴君がもし我が国を慈しみ守ってくださり、不正な者をかばって反乱者を勢いづかせることがなければ、それが私の望みです。どうか貴君にはよくお考えいただきたい」。楚の人々はこれに困った。宋に駐屯している諸侯の守備軍は相談して言った。「もし華氏が追い詰められたと知って決死の戦いをし、楚が手柄なしでは恥だと急いで戦えば、我々にとって得にならない。彼らを国外に出してやり、楚の手柄にさせるのがよい。そうすれば彼らも何もできなくなるだけだ。宋を救ってその害を取り除いたのだから、それ以上何を求めよう」。そこで強く華氏を国外に出すよう求め、宋はこれに従った。己巳の日、宋の華亥・向寧(しょうねい)・華定・華貙・華登・皇奄傷(こうえんしょう)・省臧(せいぞう)・士平が国を出て楚に亡命した。宋の元公は、公孫忌を大司馬に、辺卬(へんごう)を大司徒に、楽祁(がくき)を司馬に、仲幾(ちゅうき)を左師に、楽大心を右師に、楽輓(がくばん)を大司寇に任じて、国人を安んじた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』昭公五年 始めを敬して終はりを思ふ晉の韓宣子楚に如きて女を送る。叔向介為り。鄭の子皮・子大叔、諸を索氏に勞ふ。大叔叔向に謂ひて曰く、「楚王の汏侈已甚し。子其れ之を戒めよ」と。叔向曰く、「汏侈已甚しきは、身の災ひなり。焉んぞ能く人に及ばん。若し吾が幣帛を奉じ、吾が威儀を慎み、之を守るに信を以てし、之を行ふに禮を以てし、始めを敬して終はりを思はば、終に復せざる無し。從ひて儀を失はず、敬して威を失はず、之を道くに訓辭を以てし、之を奉ずるに舊法を以てし、之を考ふるに先王を以てし、之を度るに二國を以てせば、汏侈と雖も我を若何せん」と。楚に及ぶ。楚子其の大夫を朝せしめて曰く、「晉は吾が仇敵なり。苟も志を得ば、其の他を恤ふる無けん。今其の來たる者は、上卿・上大夫なり。若し吾韓起を以て閽と為し、羊舌肸を以て司宮と為さば、以て晉を辱むるに足り、吾も亦た志を得ん。可ならんか」と。大夫對ふる莫し。薳啟彊曰く、「可なり。苟も其の備へ有らば、何の故に可ならざらん。匹夫を恥づかしむるすら以て備へ無かるべからず、況んや國を恥づかしむるをや。是を以て聖王は禮を行ふに務めて、人を恥づかしむるを求めず。
-
史記 屈原賈生列伝屈平既に絀けらる。其の後秦斉を伐たんと欲す。斉と楚と従親す。恵王之を患ふ。乃ち張儀をして詳りて秦を去り、厚幣もて質を委ねて楚に事へしめて曰く、「秦は甚だ斉を憎む。斉と楚と従親す。楚誠に能く斉と絶たば、秦は商・於の地六百里を献ぜんことを願ふ」と。楚の懐王貪りて張儀を信じ、遂に斉と絶ち、使をして秦に如きて地を受けしむ。張儀之を詐りて曰く、「儀は王と六里を約せり。六百里を聞かず」と。楚の使怒りて去り、帰りて懐王に告ぐ。懐王怒り、大いに師を興して秦を伐つ。秦兵を発して之を撃ち、大いに楚の師を丹・淅に破り、首を斬ること八万、楚将屈丐を虜にし、遂に楚の漢中の地を取る。懐王乃ち悉く国中の兵を発して以て深く入りて秦を撃ち、藍田に戦ふ。魏之を聞き、楚を襲ひて鄧に至る。楚兵懼れ、秦より帰る。而して斉竟に怒りて楚を救はず。楚大いに困しむ。明年、秦漢中の地を割きて楚に与へ以て和す。楚王曰く、「地を得るを願はず。張儀を得て心を甘んぜんことを願ふ」と。張儀聞き、乃ち曰く、「一儀を以て漢中の地に当つ。臣請ふ往きて楚に如かん」と。楚に如き、又因りて厚幣もて事を用ふる者の臣靳尚に用ひ、而して詭弁を懐王の寵姫鄭袖に設く。懐王竟に鄭袖に聴き、復た張儀を釈し去らしむ。是の時屈平既に疏んぜられ、復た位に在らず。斉に使ひし、顧反し、懐王を諫めて曰く、「何ぞ張儀を殺さざる」と。懐王悔い、張儀を追へども及ばず。其の後諸侯共に楚を撃ち、大いに之を破り、其の将唐眛を殺す。時に秦の昭王楚と婚し、懐王と会せんと欲す。懐王行かんと欲す。屈平曰く、「秦は虎狼の国なり。信ずべからず。行くこと毋きに如かず」と。懐王の稚子子蘭、王に行くを勧む。「奈何ぞ秦の歓を絶たん」と。懐王卒に行く。武関に入る。秦伏兵もて其の後を絶ち、因りて懐王を留め、以て地を割かんことを求む。懐王怒り、聴かず。亡げて趙に走る。趙内れず。復た秦に之き、竟に秦に死して帰葬せらる。
-
『春秋左氏伝』襄公二十九年 魯を瘠せて杞を肥やす展瑕・展玉父、一耦と為る。公臣は、公巫召伯・仲顏莊叔、一耦と為る。鄫鼓父・黨叔、一耦と為る。晉侯、司馬女叔侯をして來りて杞田を治めしむ。盡くは歸さざるなり。晉の悼夫人慍りて曰く、「齊や貨を取れり。先君若し知る有らば、之を取るを尚ばざらん」と。公、叔侯に告ぐ。叔侯曰く、「虞・虢・焦・滑・霍・揚・韓・魏は、皆姬姓なり。晉是を以て大なり。若し小を侵すに非ずんば、將に何れの所より取らん。武・獻より以下、國を兼ぬること多し。誰か之を治むるを得ん。杞は夏の餘なり、而して東夷に即く。魯は周公の後なり、而して晉に睦まじ。杞を以て魯に封ずるも、猶ほ可なり。而るを何か有らん。魯の晉に於けるや、職貢乏しからず、玩好時に至り、公卿大夫、相繼いで朝す。史は書を絕たず、府は虛月無し。是くの如くにして可なり。何ぞ必ずしも魯を瘠せて以て杞を肥やさん。且つ先君にして知る有らば、毋寧ろ夫人ならん、而して焉んぞ老臣を用ゐん」と。杞の文公來りて盟ふ。書して子と曰ふは、之を賤しむなり。
-
『春秋左氏伝』哀公七年 信と仁の二徳對へて曰く、「豈に以て禮と為さんや。大國を畏るるなり。大國禮を以て諸侯に命ぜず。苟も禮を以てせずんば、豈に量るべけんや。寡君既に命に共(きょう)せり。其の老豈に敢へて其の國を棄てんや。大伯は端委して以て周禮を治む。仲雍之を嗣ぎ、髮を斷ち身に文し、臝(はだか)を以て飾りと為す。豈に禮ならんや。由りて然る有るなり」と。鄫より反りて、吳を以て能く為す無しと為す。季康子邾を伐たんと欲し、乃ち大夫を饗して以て之を謀る。子服景伯曰く、「小の大に事ふる所以は、信なり。大の小を保つ所以は、仁なり。大國に背くは不信、小國を伐つは不仁なり。民は城に保ち、城は德に保つ。二德を失ふ者は、危し。將た焉くにか保たん」と。孟孫曰く、「二三子以て何如と為す。惡んぞ賢にして之に逆はんや」と。對へて曰く、「禹、諸侯を塗山に合し、玉帛を執る者萬國。今其の存する者は、數十も無し。唯だ大は小を字(いつく)しまず、小は大に事へざればなり。必ず危ふきを知る、何の故に言はざらん。魯の德は邾の如くにして、眾を以て之に加ふ。可ならざらんや」と。樂しまずして出づ。
-
『春秋左氏伝』隠公六年 親仁善隣は国の宝六年春、鄭人來りて平を渝ふ、成を更むるなり。翼の九宗五正頃父の子嘉父、晉侯を隨に逆へ、諸を鄂に納る。晉人之を鄂侯と謂ふ。夏、艾に盟ふ、始めて齊に平ぐなり。五月庚申、鄭伯陳を侵し、大いに獲たり。往歲、鄭伯成を陳に請ふ、陳侯許さず。五父諫めて曰く、「仁に親しみ鄰に善くするは、國の寶なり。君其れ鄭を許せ」と。陳侯曰く、「宋・衛實に難し、鄭何ぞ能く為さん」と。遂に許さず。君子曰く、「善は失ふ可からず、惡は長ず可からずとは、其れ陳の桓公の謂か。惡を長じて悛めずんば、從ひて自ら及ばん。之を救はんと欲すと雖も、其れ將に能くせんや。商書に曰く、『惡の易るや、火の原に燎ゆるが如し。鄉邇す可からず、其れ猶ほ撲滅す可けんや』と。周任言へる有りて曰く、『國家を為むる者は、惡を見ること、農夫の務めて草を去るが如くす。芟夷して之を蘊崇し、其の本根を絕ち、能く殖えしむること勿かれ。則ち善なる者信びん』と」と。秋、宋人長葛を取る。冬、京師來りて饑を告ぐ。公之が為に糴を宋・衛・齊・鄭に請ふ、禮なり。鄭伯周に如く、始めて桓王に朝するなり。王禮せず。周の桓公王に言ひて曰く、「我が周の東遷するや、晉・鄭に焉れ依る。鄭を善くして以って來る者を勸むるも、猶ほ蔇らざるを懼る、況や禮せざるをや。鄭來らざらん」と。
-
『韓非子』說林上二十二君之に与へて以て智伯を驕らしむるに如かず。且つ君何ぞ天下を以て智氏を図るを釈てて、独り吾が国を以て智氏の質と為すや」と。君曰く、「善し」と。乃ち之に万戸の邑を与ふ。智伯大いに悦び、因りて地を趙に索む、与へず、因りて晋陽を囲む。韓・魏之に外に反し、趙氏之に内に応じ、智氏以て亡ぶ。秦の康公、台を築くこと三年。荊人兵を起こし、将に兵を以て斉を攻めんと欲す。任妄曰く、「饑は兵を召き、疾は兵を召き、労は兵を召き、乱は兵を召く。君台を築くこと三年、今荊人兵を起こして将に斉を攻めんとす、臣恐らくは其の斉を攻むるは声と為して、秦を襲ふを以て実と為さん。之に備ふるに如かず」と。東辺を戍りて、荊人行を輟む。斉、宋を攻む。宋、臧孫子をして南のかた救ひを荊に求めしむ。荊大いに説び、之を救ふことを許して甚だ勧む。臧孫子憂へて反る。其の御曰く、「救ひを索めて得たり、今子に憂色有るは何ぞや」と。臧孫子曰く、「宋は小にして斉は大なり。夫れ小宋を救ひて大斉に悪まるるは、此れ人の憂ふる所以なり。而るに荊王説ぶは、必ず以て我を堅くせんとすればなり。我堅くして斉敝るるは、荊の利とする所なり」と。臧孫子乃ち帰る。斉人、五城を宋に抜きて荊の救ひ至らず。魏の文侯、道を趙に借りて中山を攻めんとし、趙の粛侯将に許さざらんとす。趙刻曰く、「君過てり。魏、中山を攻めて取ること能はずんば、則ち魏必ず罷れん。罷るれば則ち魏軽く、魏軽ければ則ち趙重し。魏、中山を抜くとも、必ず趙を越えて中山を有つこと能はざるなり。是れ兵を用ふる者は魏にして、地を得る者は趙なり。君必ず之を許せ。之を許して大いに歓べば、彼将に君の之を利とするを知りて、必ず将に行を輟めんとす。君は之に道を借して、示すに已むを得ざるを以てするに如かず」と。鴟夷子皮、田成子に事ふ。田成子、斉を去り、走りて燕に之く。鴟夷子皮、伝を負ひて従ふ。望邑に至る。子皮曰く、「子独り涸沢の蛇を聞かざるか。沢涸るれば、蛇将に徙らんとす。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る