春秋左氏伝 / 昭公十八年 子産、火災に処す
國幾亡。吾身泯焉。弗良及也。國遷。其可乎。子產曰。雖可。吾不足以定遷矣。及火。里析死矣。未葬。子產使輿三十人遷其柩。火作。子產辭晉公子公孫于東門。使司寇出新客。禁舊客。勿出於宮。使子寬。子上。巡群屏攝至于大宮。使公孫登徙大龜。使祝史徙主祐於周廟。告於先君。使府人。庫人。各儆其事。商成公。儆司宮。出舊宮人。寘諸火所不及。司馬。司寇。列居火道。行火所焮。城下之人。伍列登城。明日。使野司寇。各保其徵。郊人助祝史除於國北。禳火于玄冥回祿。祈于四鄘。書焚室而寬其征。與之材。三日哭。國不市。使行人告於諸侯。宋衛皆如是。陳不救火。許不弔災。君子是以知陳許之先亡也。
新字:国幾亡。吾身泯焉。弗良及也。国遷。其可乎。子産曰。雖可。吾不足以定遷矣。及火。里析死矣。未葬。子産使輿三十人遷其柩。火作。子産辞晋公子公孫于東門。使司寇出新客。禁旧客。勿出於宮。使子寛。子上。巡群屏摂至于大宮。使公孫登徙大亀。使祝史徙主祐於周廟。告於先君。使府人。庫人。各儆其事。商成公。儆司宮。出旧宮人。寘諸火所不及。司馬。司寇。列居火道。行火所焮。城下之人。伍列登城。明日。使野司寇。各保其徴。郊人助祝史除於国北。禳火于玄冥回禄。祈于四鄘。書焚室而寛其征。与之材。三日哭。国不市。使行人告於諸侯。宋衛皆如是。陳不救火。許不弔災。君子是以知陳許之先亡也。
書き下し
國幾ど亡びん。吾が身泯(ほろ)びんも、及ぶに良(あた)はず。國遷らば、其れ可ならんか」と。子產曰く、「可なりと雖も、吾以て遷るを定むるに足らず」と。火に及びて、里析死せり。未だ葬らず。子產輿三十人をして其の柩を遷さしむ。火作る。子產晉の公子・公孫を東門に辭す。司寇をして新客を出だし、舊客を禁じて宮を出づる勿からしむ。子寬・子上をして群屏攝を巡りて大宮に至らしむ。公孫登をして大龜を徙さしむ。祝史をして主祐を周廟に徙し、先君に告げしむ。府人・庫人をして各其の事を儆めしむ。商成公をして司宮を儆めしめ、舊宮人を出だして、諸を火の及ばざる所に寘(お)く。司馬・司寇、火道に列居し、火の焮(や)く所を行(めぐ)る。城下の人、伍列して城に登る。明日、野司寇をして各其の徵を保たしむ。郊人祝史を助けて國の北に除(はら)ひ、火を玄冥・回祿に禳ひ、四鄘に祈る。焚けし室を書して其の征を寬くし、之に材を與ふ。三日哭し、國市せず。行人をして諸侯に告げしむ。宋・衛皆是くの如し。陳は火を救はず、許は災を弔はず。君子是を以て陳・許の先づ亡びんことを知る。
現代語訳
国はほとんど滅びるでしょう。私の身も滅びるでしょうが、それを見届けることはできますまい。都を移せば、よいのではないでしょうか」。子産は言った。「よいかもしれないが、私一人では遷都を決めるには足りない」。火災が起きたとき、里析はすでに亡くなっていて、まだ葬られていなかった。子産は人夫三十人に命じて、その棺を安全な場所に移させた。火災が起こると、子産は晋の公子や公孫たちに対し、東門で面会を断って(国内の混乱に巻き込まぬよう)引き取ってもらった。司寇(警察の長)に命じて、新しく来た客人は国外に出し、以前から滞在している客人は宿舎から出ないよう禁じさせた。子寛と子上に命じて、祭祀の場所の塀や垣を巡視させ、大宮(始祖の廟)まで見回らせた。公孫登に命じて大亀(占い用の宝亀)を移させた。祝史に命じて位牌の箱を周の廟(厲王の廟)に移させ、先君の霊に報告させた。府人(財貨の蔵の役人)と庫人(武器の蔵の役人)に命じて、それぞれの持ち場を警戒させた。商成公に命じて司宮(宮中の官)に警戒させ、先君の宮女たちを外に出して、火の及ばない場所に置かせた。司馬と司寇は火の通り道に並んで陣取り、火が燃え広がる所を見回った。城下の人々は隊伍を組んで城壁に登った。翌日、野司寇(郊外の治安役)に命じて、それぞれ徴発した人夫を掌握させた。郊外の人々は祝史を助けて都の北で祓いを行い、水の神である玄冥と火の神である回禄に火災を払う祭りを行い、四方の城壁で祈った。焼けた家を記録して租税を軽くし、再建の材木を与えた。三日間哭礼を行い、都の市を休んだ。外交官を遣わして諸侯に火災を報告させた。宋と衛もみな同じように対処した。陳は火を消し止めようとせず、許は災害を見舞わなかった。君子はこのことから、陳と許が真っ先に滅びるであろうと知った。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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『春秋左氏伝』昭公十八年 小国、守りを忘るれば危うし七月、鄭の子產火の故の為に、大いに社を為(つく)り、四方に祓禳して、火災を振除す。禮なり。乃ち兵を簡(えら)びて大いに蒐す。將に蒐の為に除(はら)はんとす。子大叔の廟は道の南に在り、其の寢は道の北に在り。其の庭小なり。期を過ぐること三日なり。除徒をして道の南、廟の北に陳せしめて曰く、「子產女(なんぢ)を過ぎて、速やかに除けと命ぜば、乃ち而(なんぢ)が鄉(む)かふ所に毀て」と。子產朝す。過ぎて之を怒る。除く者南に毀つ。子產衝に及び、從者をして之を止めしめて曰く、「北方を毀て」と。火の作るや、子產兵を授けて陴に登らしむ。子大叔曰く、「晉乃ち討ずること無からんや」と。子產曰く、「吾之を聞く、小國守を忘るれば則ち危うし、と。況んや災有るをや。國の小とす可からざるは、備へ有るが故なり」と。既にして晉の邊吏鄭を讓(せ)めて曰く、「鄭國災有り。晉君・大夫敢へて寧居せず、卜筮走望して、牲玉を愛しまず。鄭の災有るは、寡君の憂ひなり。今執事撊然として兵を授けて陴に登らしむ。將に誰を以て罪せんとする」と。
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