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春秋左氏伝 / 昭公十八年 学は殖なり

六月。鄅人藉稻。邾人襲鄅。鄅人將閉門。邾人羊羅。攝其首焉。遂入之。盡俘以歸。鄅子曰。余無歸矣。從帑於邾。邾莊公反鄅夫人。而舍其女。秋。葬曹平公。往者見周原伯魯焉。與之語。不說學。歸以語閔子馬。閔子馬曰。周其亂乎。夫必多有是說。而後及其大人。大人患失而惑。又曰。可以無學。無學不害。不害而不學。則苟而可。於是乎下陵上替。能無亂乎。夫學。殖也。不學將落。原氏其亡乎。

新字:六月。鄅人藉稲。邾人襲鄅。鄅人将閉門。邾人羊羅。摂其首焉。遂入之。尽俘以帰。鄅子曰。余無帰矣。従帑於邾。邾荘公反鄅夫人。而舎其女。秋。葬曹平公。往者見周原伯魯焉。与之語。不説学。帰以語閔子馬。閔子馬曰。周其乱乎。夫必多有是説。而後及其大人。大人患失而惑。又曰。可以無学。無学不害。不害而不学。則苟而可。於是乎下陵上替。能無乱乎。夫学。殖也。不学将落。原氏其亡乎。

書き下し

六月、鄅人稻を藉(し)く。邾人鄅を襲ふ。鄅人將に門を閉ぢんとす。邾人羊羅、其の首を攝(と)る。遂に之に入り、盡く俘にして以て歸る。鄅子曰く、「余歸る無し」と。帑に從ひて邾に於いてす。邾の莊公鄅の夫人を反し、而して其の女を舍(とど)む。秋、曹の平公を葬る。往く者周の原伯魯に見え、之と語る。學を說ばず。歸りて以て閔子馬に語る。閔子馬曰く、「周其れ亂れんか。夫れ必ず多く是の說有りて、而る後に其の大人に及ぶ。大人失ふを患へて惑ひ、又曰く、『以て學ぶこと無かる可し。學ぶこと無きも害あらず』と。害あらずとして學ばざれば、則ち苟くも可なりとす。是に於いてか下陵ぎ上替(すた)る。能く亂るること無からんや。夫れ學は殖なり。學ばざれば將に落ちんとす。原氏其れ亡びんか」と。

現代語訳

六月、鄅(う)の人々が稲の植え付けに出ていたところを、邾の人々が襲った。鄅の人々が城門を閉じようとしたとき、邾の羊羅が門を閉じようとした者の首を取った。こうして邾は鄅に攻め入り、住民をことごとく捕虜にして連れ帰った。鄅子(鄅の君)は「私にはもう帰る所がない」と言い、妻子のあとを追って邾に行った。邾の荘公は鄅の夫人を鄅子に返したが、娘は手もとにとどめた。秋、曹の平公を葬った。葬儀に行った魯の者が、周の原伯魯(周の大夫)に会って話をしたところ、原伯魯は学問を好まなかった。帰国してそれを閔子馬(びんしば、魯の大夫)に話した。閔子馬は言った。「周は乱れるであろう。そもそもそういう考えは、まず下の者の間に多く広まり、そのあとで上に立つ人にまで及ぶものだ。上に立つ人は地位を失うことを気に病んで判断に迷い、そのうえ『学ばなくてもよい。学ばなくても差しつかえない』と言う。差しつかえないからと学ばなければ、何事もいい加減で済ませてよいことになる。こうして下の者が上を侮り、上に立つ者は衰える。乱れずにいられようか。そもそも学ぶことは、作物を植え育てるようなものだ。学ばなければ、枝葉が落ちるように衰えていく。原氏は滅びるであろう」。

解説

前半は邾が小国鄅を奇襲して併呑した記事で、後半が読みどころである。曹の葬儀に赴いた魯の者が、周の大夫原伯魯が学問を好まないのを見て帰り、閔子馬に話した。閔子馬はそこから周の乱れと原氏の滅亡を予見する。その筋道は、学ばなくてよいという風潮がまず下に広まり、やがて上に立つ者に及ぶ。上の者は地位を失うことを恐れて迷い、学ばなくても害はないと言い出す。害がないから学ばないとなれば、何事も「とりあえず済めばよい」になり、下が上を侮り上は衰える、というものである。結びの「學は殖なり、學ばざれば將に落ちんとす」は、学びを作物を植え育てることにたとえる。学ばない害はすぐには見えず、見えた時には枝葉が落ちている、ということだろう。目先の実務で困らないから学ばなくてよい、という判断が組織の上層に広がったとき何が起こるか。閔子馬の見立ては一つの見方を与えている。

この章句が説くこと

学び衰退風潮上下の秩序成長

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