春秋左氏伝 / 昭公十二年 易は険を占わず
元。善之長也。中不忠。不得其色。下不共。不得其飾。事不善。不得其極。外内倡和為忠。率事以信為共。供養三德為善。非此三者弗當。且夫易。不可以占險。將何事也。且可飾乎。中美能黃。上美為元。下美則裳。參成可筮。猶有闕也。筮雖吉。未也。將適費。飲鄉人酒。鄉人或謌之曰。我有圃。生之杞乎。從我者子乎。去我者鄙乎。倍其鄰者恥乎。已乎已乎。非吾黨之士乎。平子欲使昭子逐叔仲小。小聞之。不敢朝。昭子命吏謂小待政於朝。曰。吾不為怨府。
新字:元。善之長也。中不忠。不得其色。下不共。不得其飾。事不善。不得其極。外内倡和為忠。率事以信為共。供養三徳為善。非此三者弗当。且夫易。不可以占険。将何事也。且可飾乎。中美能黄。上美為元。下美則裳。参成可筮。猶有闕也。筮雖吉。未也。将適費。飲郷人酒。郷人或謌之曰。我有圃。生之杞乎。従我者子乎。去我者鄙乎。倍其鄰者恥乎。已乎已乎。非吾党之士乎。平子欲使昭子逐叔仲小。小聞之。不敢朝。昭子命吏謂小待政於朝。曰。吾不為怨府。
書き下し
元は、善の長なり。中忠ならざれば、其の色を得ず。下共ならざれば、其の飾りを得ず。事善ならざれば、其の極を得ず。外内倡和するを忠と為し、事を率ゐるに信を以ってするを共と為し、三德を供養するを善と為す。此の三者に非ざれば當たらず。且つ夫れ易は、以って險を占ふべからず。將に何事をかせんとする。且つ飾るべけんや。中美にして能く黃、上美にして元為り、下美なれば則ち裳。參成りて筮すべし。猶ほ闕くる有らば、筮吉なりと雖も、未だし」と。將に費に適かんとし、鄉人に酒を飲ましむ。鄉人或いは之を謌ひて曰く、「我に圃有り、之に杞を生ぜんか。我に從ふ者は子か。我を去る者は鄙か。其の鄰に倍く者は恥か。已みなんか已みなんか。吾が黨の士に非ざるか」と。平子昭子をして叔仲小を逐はしめんと欲す。小之を聞き、敢へて朝せず。昭子吏に命じて小に謂はしむ、朝に政を待て、と。曰く、「吾は怨府と為らず」と。
現代語訳
元は善の長である。内なる心が忠でなければ、その(黄の)色を得られない。下にある者が恭しくなければ、その(裳の)飾りを得られない。事が善でなければ、その極み(元)を得られない。外と内が呼応し調和するのを忠とし、事を行うのに信をもってするのを恭とし、(忠・信・恭の)三つの徳を養うのを善とする。この三つでなければ、この爻には当たらない。それに易は、危険な企てを占うのに用いてはならない。あなたは何をしようというのか。それに(この爻の徳を)取り繕えるものだろうか。内が美しくて黄となり、上が美しくて元となり、下が美しくて裳となる。この三つがそろって初めて筮に当たる。一つでも欠けていれば、筮が吉と出ても、まだ吉とは言えない」。南蒯は費に行こうとして、郷里の人々に酒を振る舞った。郷里の人の一人が歌った。「わが畑に、(野菜ではなく)杞(くこ)が生えたか。わしについてくる者は立派な男、わしから去る者は卑しい奴か。隣人に背く者こそ恥知らずだ。やめよう、やめよう。わが郷党の士ではないのか」。季平子は叔孫昭子に叔仲小を追放させようとした。叔仲小はそれを聞き、朝廷に出ようとしなかった。昭子は役人に命じて、叔仲小に朝廷に出て処置を待つよう伝えさせ、言った。「私は怨みの集まる所になるつもりはない」。
解説
この章句が説くこと
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論語・子罕篇子曰く、忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること毋かれ。過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。
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