春秋左氏伝 / 昭公十一年 尾大掉わず
十二月。單成公卒。楚子城陳蔡不羹。使棄疾為蔡公。王問於申無宇曰。棄疾在蔡何如。對曰。擇子莫如父。擇臣莫如君。鄭莊公城櫟而寘子元焉。使昭公不立。齊桓公城穀而寘管仲焉。至于今賴之。臣聞五大不在邊。五細不在庭。親不在外。羈不在内。今棄疾在外。鄭丹在内。君其少戒。王曰。國有大城何如。對曰。鄭京櫟實殺曼伯。宋蕭亳實殺子游。齊渠丘實殺無知。衛蒲戚實出獻公。若由是觀之。則害於國。末大必折。尾大不掉。君所知也。
新字:十二月。単成公卒。楚子城陳蔡不羹。使棄疾為蔡公。王問於申無宇曰。棄疾在蔡何如。対曰。択子莫如父。択臣莫如君。鄭荘公城櫟而寘子元焉。使昭公不立。斉桓公城穀而寘管仲焉。至于今頼之。臣聞五大不在辺。五細不在庭。親不在外。羈不在内。今棄疾在外。鄭丹在内。君其少戒。王曰。国有大城何如。対曰。鄭京櫟実殺曼伯。宋蕭亳実殺子游。斉渠丘実殺無知。衛蒲戚実出献公。若由是観之。則害於国。末大必折。尾大不掉。君所知也。
書き下し
十二月、單の成公卒す。楚子陳・蔡・不羹に城き、棄疾をして蔡公為らしむ。王申無宇に問ひて曰く、「棄疾蔡に在ること何如」と。對へて曰く、「子を擇ぶは父に如くは莫く、臣を擇ぶは君に如くは莫し。鄭の莊公櫟に城きて子元を寘き、昭公をして立たざらしむ。齊の桓公穀に城きて管仲を寘き、今に至るまで之に賴る。臣聞く、五大は邊に在らず、五細は庭に在らず、親は外に在らず、羈は内に在らず、と。今棄疾外に在り、鄭丹内に在り。君其れ少しく戒めよ」と。王曰く、「國に大城有るは何如」と。對へて曰く、「鄭の京・櫟實に曼伯を殺し、宋の蕭・亳實に子游を殺し、齊の渠丘實に無知を殺し、衛の蒲・戚實に獻公を出だす。若し是に由りて之を觀れば、則ち國に害あり。末大なれば必ず折れ、尾大なれば掉はず。君の知る所なり」と。
現代語訳
十二月、単の成公が死んだ。楚子(霊王)は陳・蔡・不羹に城を築き、弟の公子棄疾を蔡公(蔡の地の長官)とした。王は申無宇(楚の大夫)に尋ねた。「棄疾を蔡に置いたのはどうか」。申無宇は答えた。「子を選ぶには父に及ぶ者はなく、臣を選ぶには君に及ぶ者はありません。しかし、鄭の荘公は櫟に城を築いて子元を置き、そのために太子の昭公は位を保てませんでした。斉の桓公は穀に城を築いて管仲を置き、今に至るまで斉はその恩恵に頼っています。私はこう聞いています。五つの大きな者(太子・同母弟・寵愛の公子・公孫・代々の正卿)は辺境に置かず、五つの小さな者(身分の低い者・年少の者・疎遠な者・新参の者・小身の者)は朝廷に置かず、近親は外に置かず、よそから来た者は内に置かない、と。いま棄疾(王の弟)は外におり、鄭丹(鄭から亡命してきた然丹)は内にいます。君は少しお気をつけください」。王は言った。「国に大きな城があるのはどうか」。申無宇は答えた。「鄭の京と櫟は、実に曼伯(鄭の昭公)を殺す拠点となりました。宋の蕭と亳は実に子游を殺す拠点となり、斉の渠丘は実に公孫無知を殺す拠点となり、衛の蒲と戚は実に献公を国外に追い出す拠点となりました。こうしたことから見れば、大きな城は国に害をなします。枝先が大きければ必ず折れ、尾が大きければ振り動かせません。これは君もご存じのことです」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』備城門老小の事とせざる者をして城上に守らしむ。術に當たらざる者なり。城、持ちて出づるには必ず眀填を為り、吏民をして皆な之を智知せしむ。一人より百人以上に従うも、持ちて出でて填章を操らざれば、人に従うも亦た故人に非ざれば、乃ち亦た稹章あるなり。千人の将以上、之を止め、行くを得しむる勿かれ。行きて吏卒、之に従わば、皆な斬り、具に以て上に聞す。此れ守城の重禁なり。夫れ姦の生ずる所、審らかにせざる可からざるなり。
-
史記 孝景本紀後九月、更めて(弋)[易]陽を以て陽陵と為す。復た津関を置き、伝を用ゐて出入せしむ。冬、趙国を以て邯鄲郡と為す。五年三月、陽陵・渭橋を作る。五月、募りて陽陵に徙し、銭二十万を予ふ。江都に大暴風西方より来り、城を壊すこと十二丈。丁卯、長公主の子蟜を封じて隆慮侯と為す。広川王を徙して趙王と為す。六年春、中尉(趙)綰を封じて建陵侯と為し、江都の丞相嘉を建平侯と為し、隴西の太守渾邪を平曲侯と為し、趙の丞相嘉を江陵侯と為し、故の将軍布を鄃侯と為す。
-
説苑・雜言孔子曰く、「船は水に非ざれば行く可からず、水船中に入れば、則ち其れ没す。故に曰く、君子は厳ならざる可からざるなり、小人は閉ざさざる可からざるなり」と。
-
孫子・九地篇是の故に其の兵は修めずして戒め、求めずして得、約せずして親しみ、令せずして信ず。祥を禁じ疑いを去れば、死に至るまで之く所無し。
-
説苑・修文齊の景公射に登るに、晏子禮を脩めて待つ。公曰く、「選射の禮、寡人之を厭う。吾天下の勇士を得て、之と國を圖らんと欲す。」晏子對えて曰く、「君子禮無ければ、是れ庶人なり。庶人禮無ければ、是れ禽獸なり。夫れ臣勇多ければ則ち其の君を弒し、子力多ければ則ち其の長を弒す。然れども敢えてせざる者は、惟だ禮を之れ謂うなり。禮とは民を御する所以なり、轡とは馬を御する所以なり。禮無くして能く國家を治むる者は、嬰未だ之を聞かざるなり。」と。景公曰く、「善し。」と。乃ち射を飭め席を更めて以て上客と為し、終日禮を問う。
-
孫子・軍争篇軍政に曰く、言うも相聞こえず、故に金鼓を為る。視るも相見えず、故に旌旗を為る、と。夫れ金鼓旌旗は、民の耳目を一にする所以なり。民既に専一なれば、則ち勇者も独り進むを得ず、怯者も独り退くを得ず。此れ衆を用うるの法なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る