春秋左氏伝 / 昭公十一年 美悪周れば必ず復る
楚師在蔡。晉荀吳謂韓宣子曰。不能救陳。又不能救蔡。物以無親。晉之不能。亦可知也。己為盟主。而不恤亡國。將焉用之。秋。會于厥憖。謀救蔡也。鄭子皮將行。子產曰。行不遠。不能救蔡也。蔡小而不順。楚大而不德。天將棄蔡以壅楚。盈而罰之。蔡必亡矣。且喪君而能守者鮮矣。三年。王其有咎乎。美惡周必復。王惡周矣。晉人使狐父請蔡于楚。弗許。單子會韓宣子于戚。視下言徐。叔向曰。單子其將死乎。朝有著定。會有表。衣有襘。帶有結。會朝之言。必聞于表著之位。所以昭事序也。視不過結襘之中。所以道容貌也。言以命之。容貌以明之。失則有闕。今單子為王官伯。而命事於會。視不登帶言不過步。貌不道容。而言不昭矣。不道不共。不昭不從。無守气矣。
新字:楚師在蔡。晋荀呉謂韓宣子曰。不能救陳。又不能救蔡。物以無親。晋之不能。亦可知也。己為盟主。而不恤亡国。将焉用之。秋。会于厥憖。謀救蔡也。鄭子皮将行。子産曰。行不遠。不能救蔡也。蔡小而不順。楚大而不徳。天将棄蔡以壅楚。盈而罰之。蔡必亡矣。且喪君而能守者鮮矣。三年。王其有咎乎。美悪周必復。王悪周矣。晋人使狐父請蔡于楚。弗許。単子会韓宣子于戚。視下言徐。叔向曰。単子其将死乎。朝有著定。会有表。衣有襘。帯有結。会朝之言。必聞于表著之位。所以昭事序也。視不過結襘之中。所以道容貌也。言以命之。容貌以明之。失則有闕。今単子為王官伯。而命事於会。視不登帯言不過歩。貌不道容。而言不昭矣。不道不共。不昭不従。無守气矣。
書き下し
楚の師蔡に在り。晉の荀吳韓宣子に謂ひて曰く、「陳を救ふ能はず、又蔡を救ふ能はず。物以って親しむ無し。晉の不能も、亦た知るべきなり。己盟主為りて、亡國を恤へず。將た焉んぞ之を用ゐん」と。秋、厥憖に會す。蔡を救はんことを謀るなり。鄭の子皮將に行かんとす。子產曰く、「行くも遠からず。蔡を救ふ能はざるなり。蔡は小にして順ならず、楚は大にして德あらず。天將に蔡を棄てて以って楚を壅めんとす。盈ちて之を罰せん。蔡必ず亡びん。且つ君を喪ひて能く守る者は鮮し。三年にして、王其れ咎有らんか。美惡周れば必ず復る。王の惡周れり」と。晉人狐父をして蔡を楚に請はしむ。許さず。單子韓宣子に戚に會す。視ること下くして言ふこと徐かなり。叔向曰く、「單子其れ將に死せんとするか。朝には著定有り、會には表有り、衣には襘有り、帶には結有り。會朝の言は、必ず表著の位に聞こゆ。事序を昭らかにする所以なり。視ること結襘の中を過ぎず。容貌を道ふ所以なり。言は以って之に命じ、容貌は以って之を明らかにす。失へば則ち闕くる有り。今單子王の官伯為りて、事を會に命ず。視ること帶に登らず、言ふこと步を過ぎず。貌は容を道はず、而して言は昭らかならず。道はざれば共ならず、昭らかならざれば從はれず。守る气無し」と。
現代語訳
楚の軍は蔡にいた。晋の荀呉(中行穆子、晋の卿)が韓宣子に言った。「陳を救うことができず、また蔡を救うこともできない。これでは誰も晋に親しまなくなる。晋の無力さも知れ渡るだろう。自分が盟主でありながら、滅びかけた国を気にかけない。それでは盟主など何の役に立とうか」。秋、厥憖で会合した。蔡を救う相談のためである。鄭の子皮が行こうとした。子産は言った。「行っても晋は遠くまで兵を出さないでしょう。蔡を救うことはできません。蔡は小国で道にかなわず、楚は大国で徳がありません。天は蔡を見捨てて楚の悪を積み重ねさせ、満ちたところで楚を罰するでしょう。蔡は必ず滅びます。それに、君を失って国を守り通せる者はまれです。三年のうちに、楚王には災いがあるでしょう。善も悪も、一巡りすれば必ず報いが返ってきます。王の悪はもう一巡りしました」。晋人は狐父を遣わして、蔡を許すよう楚に願ったが、楚は許さなかった。単子(単成公、周の卿士)が戚で韓宣子と会見した。単子は視線が低く、言葉が遅かった。叔向は言った。「単子は死ぬのではないか。朝廷にはそれぞれの立ち位置が定まっており、会合には目印の表がある。衣には襟の合わせ目(襘)があり、帯には結び目がある。会合や朝廷での言葉は、必ず表や定位置にいる人々に聞こえるように言う。それによって事の順序を明らかにするのである。視線は帯の結び目と襟の合わせ目の間を越えない。それによって容貌を整えるのである。言葉によって命じ、容貌によってそれを明らかにする。これを失えば欠けるところが生じる。いま単子は王の官の長として、会合で事を命じている。それなのに視線は帯より上に上がらず、言葉は一歩先にも届かない。容貌は整わず、言葉は明らかでない。整わなければ恭しさがなく、明らかでなければ人は従わない。身を保つ気力がもうないのだ」。
解説
この章句が説くこと
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説苑・說叢夫れ水は山に出でて海に入り、稼は田に生じて廩に藏す。聖人は生ずる所を見れば則ち歸する所を知る。
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『墨子』法儀昔の聖王、禹・湯・文・武は、兼ねて天下の百姓を愛し、率いて以て天を尊び鬼に事う。其の人を利すること多し、故に天、之を福し、立てて天子と為さしめ、天下の諸侯、皆な賓として之に事う。暴王、桀・紂・幽・厲は、兼ねて天下の百姓を惡み、率いて以て天を詬り鬼を侮る。其の人を賊うこと多し、故に天、之を禍し、遂に其の國家を失わしめ、身死して天下に僇と為り、後世の子孫、之を毁り、今に至るまで息まず。故に不善を為して以て禍を得る者は、桀・紂・幽・厲是れなり。人を愛し人を利して以て福を得る者は、禹・湯・文・武是れなり。人を愛し人を利して以て福を得る者は有り、人を惡み人を賊うて以て禍を得る者も亦た有り。
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