説苑 / 權謀
孔子與齊景公坐,左右白曰:「周使來言廟燔。」齊景公出問曰:「何廟也?」孔子曰:「是釐王廟也。」景公曰:「何以知之?」孔子曰:「詩云:『皇皇上帝,其命不忒。』天之與人,必報有德,禍亦如之。夫釐王變文武之制而作玄黃宮室,輿馬奢侈,不可振也。故天殃其廟,是以知之。」景公曰:「天何不殃其身而殃其廟乎?」子曰:「天以文王之故也。若殃其身,文王之祀,無乃絕乎?故殃其廟以章其過也。」左右入報曰:「周釐王廟也。」景公大驚,起拜曰:「善哉!聖人之智,豈不大乎!」
新字:孔子与斉景公坐,左右白曰:「周使来言廟燔。」斉景公出問曰:「何廟也?」孔子曰:「是釐王廟也。」景公曰:「何以知之?」孔子曰:「詩云:『皇皇上帝,其命不忒。』天之与人,必報有徳,禍亦如之。夫釐王変文武之制而作玄黄宮室,輿馬奢侈,不可振也。故天殃其廟,是以知之。」景公曰:「天何不殃其身而殃其廟乎?」子曰:「天以文王之故也。若殃其身,文王之祀,無乃絶乎?故殃其廟以章其過也。」左右入報曰:「周釐王廟也。」景公大驚,起拝曰:「善哉!聖人之智,豈不大乎!」
書き下し
孔子齊景公と坐す。左右白して曰く、「周使來りて廟燔くと言ふ」と。齊景公出でて問ひて曰く、「何の廟ぞや」と。孔子曰く、「是れ釐王の廟なり」と。景公曰く、「何を以て之を知る」と。孔子曰く、「詩に云ふ、『皇皇たる上帝、其の命忒はず』と。天の人に與するや、必ず徳有るに報ゆ。禍も亦た之の如し。夫れ釐王は文武の制を變じて玄黃の宮室を作り、輿馬奢侈にして振ふべからず。故に天其の廟に殃す。是を以て之を知る」と。景公曰く、「天何ぞ其の身に殃せずして其の廟に殃するや」と。子曰く、「天は文王の故を以てなり。若し其の身に殃せば、文王の祀、無乃ち絶えんか。故に其の廟に殃して以て其の過を章かにす」と。左右入りて報じて曰く、「周の釐王の廟なり」と。景公大いに驚き、起ちて拜して曰く、「善き哉、聖人の智、豈に大ならざらんや」と。
現代語訳
孔子が斉の景公と同席していたとき、側近が「周から使者が来て、廟が焼けたと告げています」と告げた。景公は出て行って「どの廟か」と問うと、孔子は「それは釐王の廟でしょう」と答えた。景公が「なぜそれが分かるのか」と問うと、孔子は言った。「詩経に『天は輝かしく、その命令に誤りはない』とあります。天が人に対するとき、必ず徳ある者には報い、禍もまた同様に下されます。釐王は文王・武王の定めた制度を変えて贅を尽くした宮殿を建て、車馬も奢侈を極め、もはや立て直せぬほどでした。だから天はその廟に禍を下したのです。それで分かるのです」と。景公が「天はなぜ本人ではなく廟に禍を下すのか」と問うと、孔子は「天は文王の存在を考慮したのです。もし本人に禍を下せば、文王の祭祀が絶えてしまうでしょう。だから廟に禍を下して、その過ちを明らかにしたのです」と答えた。そこへ側近が入ってきて「周の釐王の廟です」と報告した。景公は大いに驚き、立ち上がって拝礼し、「素晴らしい。聖人の知恵とは、なんと大きなものか」と言った。
解説

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