春秋左氏伝 / 昭公八年 子旗、陳氏を訪う
八月。庚戌。逐子成。子工。子車。皆來奔。而立子良氏之宰。其臣曰。孺子長矣。而相吾室。欲兼我也。授甲將攻之。陳桓子善於子尾。亦授甲將助之。或告子旗。子旗不信。則數人告將往。又數人告於道。遂如陳氏。桓子將出矣。聞之而還。游服而逆之。請命。對曰。聞彊氏授甲將攻子。子聞諸。曰。弗聞。子盍亦授甲。無宇請從。子旗曰。子胡然。彼孺子也。吾誨之。猶懼其不濟。吾又寵秩之。其若先人何。子盍謂之。周書曰。惠不惠。茂不茂。康叔所以服弘大也。桓子稽顙曰。頃靈福子。吾猶有望。遂和之如初。陳公子招歸罪於公子過而殺之。九月。楚公子棄疾帥師奉孫吳圍陳。宋戴惡會之。
新字:八月。庚戌。逐子成。子工。子車。皆来奔。而立子良氏之宰。其臣曰。孺子長矣。而相吾室。欲兼我也。授甲将攻之。陳桓子善於子尾。亦授甲将助之。或告子旗。子旗不信。則数人告将往。又数人告於道。遂如陳氏。桓子将出矣。聞之而還。游服而逆之。請命。対曰。聞彊氏授甲将攻子。子聞諸。曰。弗聞。子盍亦授甲。無宇請従。子旗曰。子胡然。彼孺子也。吾誨之。猶懼其不済。吾又寵秩之。其若先人何。子盍謂之。周書曰。恵不恵。茂不茂。康叔所以服弘大也。桓子稽顙曰。頃霊福子。吾猶有望。遂和之如初。陳公子招帰罪於公子過而殺之。九月。楚公子棄疾帥師奉孫呉囲陳。宋戴悪会之。
書き下し
八月、庚戌、子成・子工・子車を逐ふ。皆來奔す。而して子良氏の宰を立つ。其の臣曰く、「孺子長ぜり。而るに吾が室を相く。我を兼ねんと欲するなり」と。甲を授けて將に之を攻めんとす。陳桓子子尾に善し。亦た甲を授けて將に之を助けんとす。或ひと子旗に告ぐ。子旗信ぜず。則ち數人告ぐ。將に往かんとす。又數人道に告ぐ。遂に陳氏に如く。桓子將に出でんとす。之を聞きて還り、游服して之を逆ふ。命を請ふ。對へて曰く、「彊氏甲を授けて將に子を攻めんとすと聞く。子諸を聞けるか」と。曰く、「聞かず」と。「子盍ぞ亦た甲を授けざる。無宇請ふ從はん」と。子旗曰く、「子胡ぞ然る。彼は孺子なり。吾之を誨ふるも、猶ほ其の濟らざるを懼る。吾又之を寵秩す。其れ先人を若何せん。子盍ぞ之に謂はざる。周書に曰く、『不惠に惠し、不茂に茂む』と。康叔の弘大に服する所以なり」と。桓子稽顙して曰く、「頃・靈子に福せん。吾猶ほ望む有り」と。遂に之を和すること初めの如し。陳の公子招罪を公子過に歸して之を殺す。九月、楚の公子棄疾師を帥ゐ、孫吳を奉じて陳を圍む。宋の戴惡之に會す。
現代語訳
八月庚戌の日、子旗は子成・子工・子車(いずれも子尾の家臣)を追放した。三人とも魯に亡命してきた。そして子旗は子良(高彊、子尾の子)の家に家宰を立てた。子良の家臣たちは言った。「若君はもう成長している。それなのに子旗がわが家の政務を取り仕切る。わが家を併合しようとしているのだ」。そして武器を配って子旗を攻めようとした。陳桓子(陳無宇、斉の大夫)は子尾と親しかったので、同じく武器を配って子良の側を助けようとした。ある人が子旗にこれを告げた。子旗は信じなかった。すると何人もが告げに来た。子旗は(陳氏のもとへ)行こうとした。道中でまた何人もが告げた。そのまま陳氏の家へ行った。桓子はちょうど出陣しようとしていたが、子旗が来ると聞いて引き返し、平服に着替えて出迎えた。子旗は(どうすべきか)意向を尋ねた。桓子は答えた。「彊氏が武器を配ってあなたを攻めようとしていると聞きました。あなたはお聞きですか」。子旗は言った。「聞いていない」。桓子は言った。「あなたも武器を配ってはいかがですか。私、無宇もお供いたします」。子旗は言った。「あなたはなぜそんなことを言うのか。あれはまだ若君だ。私が教え導いても、なお一人前にならないのではと心配している。そのうえ私は彼に目をかけて位も与えている。攻め合えば、亡き先人に何と申し開きできようか。あなたから彼らに言ってやってくれないか。『周書』に『恵みを知らない者にも恵みを施し、励まない者も励ます』とある。これこそ康叔が大きな度量を身につけた理由である」。桓子は額を地につけて拝し、「頃公・霊公(斉の先君)があなたに福を下されますように。私もあなたに望みを託します」と言った。そして両家を元どおりに和解させた。陳の公子招は罪を公子過に押しつけて彼を殺した。九月、楚の公子棄疾が軍を率い、(殺された太子偃師の子)孫呉を奉じて陳を包囲した。宋の戴悪がこれに加わった。
解説
この章句が説くこと
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