春秋左氏伝 / 襄公三十一年 子産、能を択ぶ
十二月。北宮文子相衛襄公以如楚。宋之盟故也。過鄭。印段迋勞于棐林。如聘禮而以勞辭。文子入聘。子羽為行人。馮簡子與子大叔逆客。事畢而出。言於衛侯曰。鄭有禮。其數世之福也。其無大國之討乎。詩曰。誰能執熱。逝不以濯。禮之於政。如熱之有濯也。濯以救熱。何患之有。子產之從政也。擇能而使之。馮簡子能斷大事。子大叔美秀而文。公孫揮能知四國之為。而辨於其大夫之族姓。班位貴賤能否。而又善為辭令。裨諶能謀。謀於野則獲。謀於邑則否。鄭國將有諸侯之事。子產乃問四國之為於子羽。且使多為辭令。與裨諶乘以適野。使謀可否。而告馮簡子使斷之。事成。乃授子大叔使行之。以應對賓客。是以鮮有敗事。北宮文子所謂有禮也。
新字:十二月。北宮文子相衛襄公以如楚。宋之盟故也。過鄭。印段迋労于棐林。如聘礼而以労辞。文子入聘。子羽為行人。馮簡子与子大叔逆客。事畢而出。言於衛侯曰。鄭有礼。其数世之福也。其無大国之討乎。詩曰。誰能執熱。逝不以濯。礼之於政。如熱之有濯也。濯以救熱。何患之有。子産之従政也。択能而使之。馮簡子能断大事。子大叔美秀而文。公孫揮能知四国之為。而弁於其大夫之族姓。班位貴賤能否。而又善為辞令。裨諶能謀。謀於野則獲。謀於邑則否。鄭国将有諸侯之事。子産乃問四国之為於子羽。且使多為辞令。与裨諶乗以適野。使謀可否。而告馮簡子使断之。事成。乃授子大叔使行之。以応対賓客。是以鮮有敗事。北宮文子所謂有礼也。
書き下し
十二月、北宮文子衛の襄公に相として以て楚に如く。宋の盟の故なり。鄭を過ぐ。印段棐林に迋勞す。聘禮の如くして勞辭を以てす。文子入りて聘す。子羽行人為り、馮簡子と子大叔と客を逆ふ。事畢りて出で、衛侯に言ひて曰く、「鄭は禮有り。其れ數世の福なり。其れ大國の討無からんか。詩に曰く、『誰か能く熱を執りて、逝きて以て濯はざらん』と。禮の政に於けるや、熱の濯有るが如し。濯ひて以て熱を救ふ、何の患か之れ有らん」と。子產の政に從ふや、能を擇びて之を使ふ。馮簡子は能く大事を斷ず。子大叔は美秀にして文なり。公孫揮は能く四國の為を知りて、其の大夫の族姓・班位・貴賤・能否を辨じ、而して又善く辭令を為す。裨諶は能く謀る。野に謀れば則ち獲、邑に謀れば則ち否ず。鄭國將に諸侯の事有らんとすれば、子產乃ち四國の為を子羽に問ひ、且つ多く辭令を為らしむ。裨諶と乘りて以て野に適き、可否を謀らしむ。而して馮簡子に告げて之を斷ぜしむ。事成れば、乃ち子大叔に授けて之を行はしめ、以て賓客に應對す。是を以て敗事有ること鮮し。北宮文子の所謂禮有るなり。
現代語訳
十二月、北宮文子(北宮佗)は衛の襄公の補佐として楚に赴いた。宋での盟約(晋と楚の双方に朝見する約束)のためである。鄭を通過すると、印段が棐林まで出迎えて慰労した。聘問の礼と同じ手厚さで、慰労の言葉を述べた。文子は鄭の都に入って聘問した。子羽(公孫揮)が接待役の行人を務め、馮簡子と子大叔(游吉)が客を出迎えた。行事が終わって退出すると、文子は衛侯に言った。「鄭には礼があります。これは数代にわたる福となるでしょう。大国から討たれることもないでしょう。『詩』に『誰が熱いものを持って、手を水で洗わずにいられようか』とあります。政治にとって礼は、熱いものを持ったときの水洗いのようなものです。水で洗って熱さを救うのですから、何の心配がありましょう」。子産が政治を行うにあたっては、才能ある者を選んで用いた。馮簡子は大事を決断することができた。子大叔は容姿がすぐれ、教養豊かであった。公孫揮(子羽)は四方の国々の動きをよく知り、その大夫たちの家柄・序列・身分・才能の有無を見分け、さらに外交の言葉を巧みに作った。裨諶は策を練るのが得意であったが、郊外で考えればよい案が得られ、町中で考えるとうまくいかなかった。鄭が諸侯との外交案件を抱えると、子産はまず四方の国々の動きを子羽に尋ね、外交文書の案を多く作らせた。そして裨諶と車に乗って郊外へ行き、その可否を検討させた。それを馮簡子に告げて決断させた。事が決まると、子大叔に託して実行させ、賓客に応対させた。そのため失敗することがほとんどなかった。北宮文子が「礼がある」と言ったのはこのことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・憲問篇子曰く、命を為るに、裨諶之を草創し、世叔之を討論し、行人子羽之を脩飾し、東里の子産之を潤色す。
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説苑・修文天子諸侯事無ければ則ち歲に三たび田す、一を乾豆と為し、二を賓客と為し、三を君の庖に充つと為す。事無くして田せざるを、不敬と曰い、田するに禮を以てせざるを、天物を暴うと曰う。天子は合圍せず、諸侯は群を揜わず。天子殺せば則ち大緌を下し、諸侯殺せば則ち小緌を下し、大夫殺せば則ち佐轝を止め、佐轝止まれば則ち百姓畋獵す。獺魚を祭りて、然る後漁人澤梁に入る。鳩化して鴈と為りて、然る後罻羅を設く。草木零落して、然る後山林に入る。昆蟲蟄せざれば火田せず、麛せず卵せず、殀夭せず、巢を覆さず。此れ皆聖人上に在り、君子位に在り、能者職に在るは、大德の發する所なり。是の故に皋陶大理と為るや、民各おの服して其の實を得。伯夷禮を主どり、上下皆讓る。倕工師と為り、百工功を致す。益虞を主どり、山澤辟き成る。棄稷を主どり、百穀時に茂る。契司徒を主どり、百姓親和す。龍賓客を主どり、遠人至る。十二牧行われて、九州敢えて僻違せず。禹九澤を陂き、九道を通じ、九州を定め、各おの其の職を以て來貢し、厥の宜しきを失わず、方五十里より荒服に至る。南は交趾・大發を撫し、西は析支渠・搜氐羌に、北は山戎・肅慎に至り、東は長夷・島夷に至り、四海の內皆帝舜の功を戴く。是に於て禹乃ち九韶の樂を興し、異物を致し、鳳凰來翔し、天下德を明らかにするなり。
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『春秋左氏伝』襄公二十六年 叔向、子朱と争う二十六年春、秦伯の弟鍼晉に如きて成を脩む。叔向、行人子員を召さしむ。行人子朱曰く、「朱や御に當たる」と。三たび云ふも、叔向應へず。子朱怒りて曰く、「班爵同じきに、何を以て朱を朝に黜くる」と。劍を撫して之に從ふ。叔向曰く、「秦・晉和せざること久し。今日の事、幸ひにして集らば、晉國之に賴らん。集らずんば、三軍骨を暴さん。子員は二國の言を道ひて私無し。子は常に之を易ふ。姦以て君に事ふる者は、吾が能く御ぐ所なり」と。衣を拂ひて之に從ふ。人之を救ふ。平公曰く、「晉其れ庶からんか。吾が臣の爭ふ所の者大なり」と。師曠曰く、「公室卑からんことを懼る。臣心もて競はずして力もて爭ひ、德を務めずして善を爭ふ。私欲已に侈いなり。能く卑きこと無からんや」と。
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『春秋左氏伝』昭公五年 始めを敬して終はりを思ふ晉の韓宣子楚に如きて女を送る。叔向介為り。鄭の子皮・子大叔、諸を索氏に勞ふ。大叔叔向に謂ひて曰く、「楚王の汏侈已甚し。子其れ之を戒めよ」と。叔向曰く、「汏侈已甚しきは、身の災ひなり。焉んぞ能く人に及ばん。若し吾が幣帛を奉じ、吾が威儀を慎み、之を守るに信を以てし、之を行ふに禮を以てし、始めを敬して終はりを思はば、終に復せざる無し。從ひて儀を失はず、敬して威を失はず、之を道くに訓辭を以てし、之を奉ずるに舊法を以てし、之を考ふるに先王を以てし、之を度るに二國を以てせば、汏侈と雖も我を若何せん」と。楚に及ぶ。楚子其の大夫を朝せしめて曰く、「晉は吾が仇敵なり。苟も志を得ば、其の他を恤ふる無けん。今其の來たる者は、上卿・上大夫なり。若し吾韓起を以て閽と為し、羊舌肸を以て司宮と為さば、以て晉を辱むるに足り、吾も亦た志を得ん。可ならんか」と。大夫對ふる莫し。薳啟彊曰く、「可なり。苟も其の備へ有らば、何の故に可ならざらん。匹夫を恥づかしむるすら以て備へ無かるべからず、況んや國を恥づかしむるをや。是を以て聖王は禮を行ふに務めて、人を恥づかしむるを求めず。
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『春秋左氏伝』文公十二年 国に陋なし春、郕伯卒す。郕人君を立つ。大子夫鍾と郕邽とを以って來奔す。公諸侯を以って之を逆ふ、禮に非ざるなり。故に書して曰く、「郕伯來奔す」と。地を書せざるは、諸侯を尊ぶなり。杞の桓公來朝す、始めて公に朝するなり。且つ叔姬を絕たんことを請ひて、昏を絕つこと無からんとす、公之を許す。二月、叔姬卒す。杞と言はざるは、絕てばなり。叔姬と書するは、女に非ざるを言ふなり。楚の令尹大孫伯卒し、成嘉令尹と為る。群舒楚に叛く。夏、子孔舒子平、及び宗子を執へ、遂に巢を圍む。秋、滕の昭公來朝す、亦た始めて公に朝するなり。秦伯西乞術をして來聘せしめ、且つ將に晉を伐たんとするを言ふ。襄仲玉を辭して曰く、「君先君の好を忘れず、魯國を照臨し、其の社稷を鎮撫し、之に重ぬるに大器を以ってす。寡君敢へて玉を辭す」と。對へて曰く、「不腆(ふてん)の敝器、辭するに足らざるなり」と。主人三たび辭す。賓答へて曰く、「寡君周公・魯公に福を徼(もと)めて、以って君に事へんことを願ふ。不腆なる先君の敝器、下臣をして諸を執事に致さしめ、以って瑞節と為し、好命を要結す。寡君の命を藉(し)きて、二國の好を結ぶ所以なり。是を以って敢へて之を致す」と。襄仲曰く、「君子有らずんば、其れ能く國せんや。國陋なること無し」と。厚く之に賄す。秦令狐の役の為の故に、
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『春秋左氏伝』定公十年 夾谷の会十年春、齊と平ぐ。夏、公、齊侯に祝其に會す。實は夾谷なり。孔丘、相たり。犁彌、齊侯に言ひて曰く、「孔丘は禮を知れども勇無し。若し萊人をして兵を以て魯侯を劫かさしめば、必ず志を得ん」と。齊侯、之に從ふ。孔丘、公を以て退きて曰く、「士、之に兵せよ。兩君好を合はするに、裔夷の俘、兵を以て之を亂す。齊君の諸侯に命ずる所以に非ざるなり。裔は夏を謀らず、夷は華を亂さず、俘は盟を干さず、兵は好に偪らず。神に於いては不祥と為し、德に於いては義を愆つと為し、人に於いては禮を失ふと為す。君必ず然らざらん」と。齊侯、之を聞き、遽かに之を辟く。將に盟はんとす。齊人、載書に加へて曰く、「齊の師、竟を出づるに、甲車三百乘を以て我に從はざる者は、此の盟の如き有らん」と。孔丘、茲無還をして揖して對へしめて曰く、「而、我が汶陽の田を反さずして、吾をして以て命に共せしむる者も、亦た之の如くならん」と。齊侯、將に公を享せんとす。孔丘、梁丘據に謂ひて曰く、
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