翁問答 / 上卷之末
惣じて天地萬物みな精はすくなく粗はおほきことはりにて候、人のかたちにて見るに、眼はかたちの精なればたゞふたつあり、毛髪はかたちの粗なればその數多し、これにて精粗の多寡をおしあきらめらるべし、さて何れのものもその物のうちにて精なる者は、その物のかなめとなり主たり、粗はその精にしたがふ者なり然るに依て人間の精をうけたる聖賢君子は愚痴不肖の主君として愚不肖をおさめて敎給ふ、粗をうけたる愚不肖は聖賢君子の臣下として聖賢の下知にしたがふ、天命の本然なり、本來君は少なく臣下はおほき者なれば主君となる聖賢はすくなく臣下となる愚不肖はおほきことはり、辨へずして分明なり、
新字:惣じて天地万物みな精はすくなく粗はおほきことはりにて候、人のかたちにて見るに、眼はかたちの精なればたゞふたつあり、毛髪はかたちの粗なればその数多し、これにて精粗の多寡をおしあきらめらるべし、さて何れのものもその物のうちにて精なる者は、その物のかなめとなり主たり、粗はその精にしたがふ者なり然るに依て人間の精をうけたる聖賢君子は愚痴不肖の主君として愚不肖をおさめて教給ふ、粗をうけたる愚不肖は聖賢君子の臣下として聖賢の下知にしたがふ、天命の本然なり、本来君は少なく臣下はおほき者なれば主君となる聖賢はすくなく臣下となる愚不肖はおほきことはり、弁へずして分明なり、
書き下し
惣じて天地万物みな精はすくなく粗はおほきことはりにて候、人のかたちにて見るに、眼はかたちの精なればたゞふたつあり、毛髪はかたちの粗なればその数多し、これにて精粗の多寡をおしあきらめらるべし、さて何れのものもその物のうちにて精なる者は、その物のかなめとなり主たり、粗はその精にしたがふ者なり然るに依て人間の精をうけたる聖賢君子は愚痴不肖の主君として愚不肖をおさめて教給ふ、粗をうけたる愚不肖は聖賢君子の臣下として聖賢の下知にしたがふ、天命の本然なり、本来君は少なく臣下はおほき者なれば主君となる聖賢はすくなく臣下となる愚不肖はおほきことはり、弁へずして分明なり、
現代語訳
総じて天地万物はみな、精は少なく粗は多い道理である。人の形で見ると、眼は形の精であるからただ二つあり、毛髪は形の粗であるからその数が多い。これで精粗の多寡を推し量って明らかにすべきである。さて、どのものもその物の中で精なるものはその物の要となり主となり、粗はその精に従うものである。それゆえ人間の精を受けた聖賢君子は愚痴不肖の主君として愚不肖を治めて教えられ、粗を受けた愚不肖は聖賢君子の臣下として聖賢の下知に従う。これが天命の本然である。本来、君は少なく臣下は多いものであるから、主君となる聖賢は少なく臣下となる愚不肖は多い道理は、わきまえるまでもなく明らかである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 暦書昔古に在りしより、暦は正を建てて孟春に作る。時に於いて冰泮け蟄発し、百草奮ひ興り、秭鳺先づ滜く。物廼ち歳に具はり、東に生じ、次いで四時に順ひ、冬分に卒はる、時に雞三たび号びて、卒に明く。十二節を撫して、丑に卒はる。日月成る、故に明らかなり。明とは孟なり、幽とは幼なり、幽明とは雌雄なり。雌雄代々興りて、至正の統に順ふなり。日は西に帰し、明を東に起こす。月は東に帰し、明を西に起こす。正、天に率はず、又人に由らざれば、則ち凡そ事壊れ易くして成り難し。王者は姓を易へ命を受くれば、必ず始初を慎み、正朔を改め、服色を易へ、天元に推し本づき、厥の意に順承す。太史公曰く、神農以前は尚し。蓋し黄帝は星暦を考定し、五行を建立し、消息を起こし、閏余を正す、是に於いて天地神祇物類の官有り、是を五官と謂ふ。各々其の序を司り、相乱れざるなり。民是を以て能く信有り、神是を以て能く明徳有り。民神業を異にし、敬して瀆さず、故に神之に嘉生を降し、民物を以て享し、災禍生ぜず、求むる所匱しからず。少暤氏の衰ふるや、九黎徳を乱し、民神雑擾し、物を放ふべからず、禍菑薦りに至り、其の気を尽くす莫し。顓頊之を受け、乃ち南正重に命じて天を司りて以て神を属めしめ、火正黎に命じて地を司りて以て民を属めしめ、旧常に復して、相侵瀆すること無からしむ。其の後三苗九黎の徳に服す、故に二官咸職とする所を廃し、而して閏余次を乖き、孟陬殄滅し、摂提紀無く、暦数序を失ふ。堯復た重・黎の後の、旧を忘れざる者を遂げ、復た之を典らしめ、而して羲和の官を立つ。時を明らかにし度を正せば、則ち陰陽調ひ、風雨節あり、茂気至り、民夭疫無し。年耆いて舜に禅り、文祖に申戒して云ふ「天の暦数爾の躬に在り」と。舜も亦以て禹に命ず。是に由りて之を観れば、王者の重んずる所なり。
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『春秋左氏伝』襄公二十九年 君子屢盟えば乱長ず十二月己巳、鄭の大夫、伯有氏に盟ふ。裨諶曰く、「是の盟や、其れ幾何(いくばく)に與(あづか)らん。詩に曰く、『君子屢々盟ひ、亂是を用て長ず』と。今是れ長ず、亂の道なり。禍未だ歇まざるなり。必ず三年にして而る後に能く紓びん」と。然明曰く、「政將に焉くにか往かん」と。裨諶曰く、「善の不善に代はるは、天命なり。其れ焉んぞ辟けん。子產は、舉ぐるに等を踰えず、則ち位班なり。善を擇びて舉ぐ、則ち世隆し。天又之を除く、伯有の魄を奪ひ、子西世に即く。將た焉んぞ之を辟けん。天の鄭に禍すること久し。其れ必ず子產をして之を息めしめん。乃ち猶ほ以て戾(さだ)まるべし。然らずんば、將に亡びんとす」と。
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孔子家語・五儀解哀公孔子に問いて曰く、「夫れ国家の存亡禍福は、信に天命有りて、唯だ人のみに非ざるか。」孔子対えて曰く、「存亡禍福は、皆己のみ。天災地妖は、加うる能わざるなり。」公曰く、「善いかな。吾子の言、豈に其の事有るか。」孔子曰く、「昔者殷王帝辛の世、雀の大鳥を城隅に生む有り。之を占いて曰く、『凡そ小を以て大を生ずれば、則ち国家必ず王として名必ず昌んならん』と。是に於て帝辛雀の徳を介として、国政を修めず、亢暴極まり無く、朝臣救うこと莫く、外寇乃ち至りて、殷国以て亡ぶ。此れ即ち己を以て天時に逆らい、福を詭りて反りて禍と為す者なり。又其の先世殷王太戊の時、道缺け法圮れ、以て夭櫱・桑穀朝に致し、七日にして大いに拱す。之を占う者曰く、『桑穀は野木にして朝に合生せず、意者国亡びんか』と。太戊恐駭し、身を側めて行を修め、先王の政を思い、養民の道を明らかにす。三年の後、遠方義を慕いて重訳して至る者、十有六国。此れ即ち己を以て天時に逆らい、禍を得て福と為す者なり。故に天災地妖は、人主を儆む所以の者なり。寤夢征怪は、人臣を儆む所以の者なり。災妖は善政に勝たず、寤夢は善行に勝たず。能く此を知る者は、至治の極なり。唯だ明王のみ此に達す。」公曰く、「寡人鄙固此くの如きに、亦た君子の教を聞くを得ざりしなり。」
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史記 西南夷列伝楚の先豈に天禄有らんや。周に在りては文王の師為り、楚に封ぜらる。周の衰ふるに及び、地は五千里と称す。秦諸侯を滅ぼすも、唯だ楚の苗裔のみ尚ほ滇王有り。漢西南夷を誅し、国多く滅ぶ、唯だ滇のみ復た寵王と為る。然れども南夷の端は、枸醤を番禺に見、大夏の杖・
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論語・堯曰篇堯曰く、「咨、爾舜、天の暦数爾の躬に在り。允に其の中を執れ。四海困窮せば、天禄永く終わらん。」舜も亦た以て禹に命ず。曰く、「予小子履、敢えて玄牡を用い、敢えて昭らかに皇皇たる后帝に告ぐ。罪有るは敢えて赦さず。帝の臣は蔽わず、簡ぶこと帝の心に在り。朕が躬罪有らば、万方を以てすること無かれ。万方罪有らば、罪は朕が躬に在り。」「周に大賚有り、善人是れ富む。」「周親有りと雖も、仁人に如かず。百姓過ち有らば、予一人に在り。」権量を謹み、法度を審らかにし、廃官を脩むれば、四方の政行われん。滅国を興し、絶世を継ぎ、逸民を挙ぐれば、天下の民心を帰せん。重んずる所は、民・食・喪・祭。寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち民任じ、敏なれば則ち功有り、公なれば則ち説ぶ。
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孟子・梁惠王章句下魯の平公將に出でんとす。嬖人臧倉なる者請うて曰く、「他日、君出づれば、則ち必ず有司に之く所を命ず。今、輿に乘り已に駕す。有司未だ之く所を知らず。敢て請う。」公曰く、「將に孟子を見んとす。」曰く、「何ぞや。君の為す所、身を輕んじて以て匹夫に先だつとは。以て賢と為すか。禮義は賢者由り出づ。而るに孟子の後喪は前喪に踰えたり。君、見る無かれ。」公曰く、「諾。」樂正子、入り見えて曰く、「君、奚為れぞ孟軻を見ざるや。」曰く、「或ひと寡人に告げて曰く、『孟子の後喪は前喪を踰えたり。』是を以て往きて見ざるなり。」曰く、「何ぞや。君の所謂踰ゆとは。前には士を以てし、後には大夫を以てし、前には三鼎を以てし、後には五鼎を以てしたるか。」曰く、「否。棺槨衣衾の美を謂うなり。」曰く、「所謂踰ゆるには非ざるなり。貧富同じからざればなり。」樂正子、孟子に見えて曰く、「克、君に告ぐ。君、來たり見んと為す。嬖人に臧倉なる者有り、君を沮む。君是を以て來たることを果たさざるなり。」曰く、「行くも之を使しむる或り、止まるも之を尼むる或り。行止は人の能くする所に非ざるなり。吾の魯侯に遇わざるは、天なり。臧氏の子、焉ぞ能く予をして遇わしめざらんや。」
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