春秋左氏伝 / 襄公二十七年 誰か能く兵を去らん
宋左師請賞。曰。請免死之邑。公與之邑六十。以示子罕。子罕曰。凡諸侯小國。晉楚所以兵威之。畏而後上下慈和。慈和而後能安靖其國家。以事大國。所以存也。無威則驕。驕則亂生。亂生必滅。所以亡也。天生五材。民並用之。廢一不可。誰能去兵。兵之設久矣。所以威不軌而昭文德也。聖人以興。亂人以廢。廢興存亡。昏明之術。皆兵之由也。而子求之。不亦誣乎。以誣道蔽諸侯。罪莫大焉。縱無大討。而又求賞。無厭之甚也。削而投之。左師辭邑。向氏欲攻司城。左師曰。我將亡。夫子存我。德莫大焉。又可攻乎。君子曰。
新字:宋左師請賞。曰。請免死之邑。公与之邑六十。以示子罕。子罕曰。凡諸侯小国。晋楚所以兵威之。畏而後上下慈和。慈和而後能安靖其国家。以事大国。所以存也。無威則驕。驕則乱生。乱生必滅。所以亡也。天生五材。民並用之。廃一不可。誰能去兵。兵之設久矣。所以威不軌而昭文徳也。聖人以興。乱人以廃。廃興存亡。昏明之術。皆兵之由也。而子求之。不亦誣乎。以誣道蔽諸侯。罪莫大焉。縦無大討。而又求賞。無厭之甚也。削而投之。左師辞邑。向氏欲攻司城。左師曰。我将亡。夫子存我。徳莫大焉。又可攻乎。君子曰。
書き下し
宋の左師、賞を請ひて曰く、「死を免るるの邑を請ふ」と。公、之に邑六十を與ふ。以て子罕に示す。子罕曰く、「凡そ諸侯の小國は、晉・楚の兵を以て之を威す所なり。畏れて而る後に上下慈和す。慈和して而る後に能く其の國家を安靖し、以て大國に事ふ。存する所以なり。威無ければ則ち驕り、驕れば則ち亂生じ、亂生ずれば必ず滅ぶ。亡ぶる所以なり。天、五材を生じ、民並びに之を用ゐる。一を廢するも不可なり。誰か能く兵を去らん。兵の設くるや久し。不軌を威して文德を昭らかにする所以なり。聖人は以て興り、亂人は以て廢る。廢興存亡、昏明の術は、皆兵の由るなり。而るに子之を求む、亦た誣ひざらんや。誣道を以て諸侯を蔽ふ、罪焉より大なるは莫し。縱ひ大討無くとも、而も又賞を求む、厭くこと無きの甚だしきなり」と。削りて之を投ず。左師、邑を辭す。向氏、司城を攻めんと欲す。左師曰く、「我將に亡びんとするに、夫子我を存す。德焉より大なるは莫し。又攻むべけんや」と。君子曰く、
現代語訳
宋の左師(向戌、弭兵の盟を成立させた人物)が褒賞を求めて言った。「死を免れた功に対して邑をいただきたい」。平公は彼に六十の邑を与えた。向戌はその賜与の文書を子罕(楽喜、宋の司城)に見せた。子罕は言った。「そもそも諸侯の小国は、晋や楚がその兵力によって威圧しているものです。畏れがあってこそ、上下が互いにいたわり和合します。いたわり和合してこそ、その国家を安らかに治め、大国に仕えることができます。それが小国の存続する理由です。威圧がなければ驕り、驕れば乱が生じ、乱が生じれば必ず滅びます。それが滅びる理由です。天は金・木・水・火・土の五つの材を生み、民はそのすべてを用いています。一つとして廃することはできません。誰が兵をなくすことなどできましょう。兵が設けられてから久しいのです。それは道に外れた者を威圧し、文の徳を明らかにするためのものです。聖人はそれによって興り、乱をなす者はそれによって滅びます。滅亡と興隆、存続と滅亡、暗愚と聡明の分かれ目は、みな兵によるのです。それなのにあなたは兵をなくすことを求めた。欺瞞ではありませんか。欺瞞の道によって諸侯の目をくらます、これより大きな罪はありません。たとえ大きな処罰を受けなかったとしても、そのうえ褒賞を求めるとは、欲に際限がないことの甚だしいものです」。そして文書の文字を削り取って投げ捨てた。左師は邑を辞退した。向氏の一族は司城(子罕)を攻めようとした。左師は言った。「私が滅びかけていたところを、あの方が救ってくださった。これ以上の恩徳はない。どうして攻めてよいものか」。君子はこれについて言った。
解説
この章句が説くこと
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尚書・太甲下言の汝の心に逆らふ有らば、必ず諸(これ)を道に求めよ。言の汝の志に遜(したが)ふ有らば、必ず諸を非道に求めよ。嗚呼(ああ)、
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史記 周本紀敢へて業を怠らず、時に其の徳を序し、其の緒を遵ひ修め、其の訓典を修め、朝夕恪勤し、守るに敦篤を以てし、奉ずるに忠信を以てす。奕世徳を載ひ、前人を忝めず。文王・武王に至り、前の光明を昭らかにして之に加ふるに慈和を以てし、神に事へ民を保ち、欣喜せざる無し。商王帝辛大いに民に悪まれ、庶民忍びず、武王を訢載して、以て戎を商の牧に致す。是の故に先王は武を務むるに非ず、民の隠を勤恤して其の害を除くなり。夫れ先王の制、邦内は甸服、邦外は侯服、侯衛は賓服、夷蛮は要服、戎翟は荒服。甸服の者は祭り、侯服の者は祀り、賓服の者は享し、要服の者は貢し、荒服の者は王とす。日に祭り、月に祀り、時に享し、歳に貢し、終に王とす。先王の順祀や、祭らざる有れば則ち意を修め、祀らざる有れば則ち言を修め、享せざる有れば則ち文を修め、貢せざる有れば則ち名を修め、王とせざる有れば則ち徳を修め、序成りて至らざる有れば則ち刑を修む。是に於て祭らざるを刑し、祀らざるを伐ち、享せざるを征し、貢せざるを譲め、王とせざるに告ぐる有り。是に於て刑罰の辟有り、攻伐の兵有り、征討の備有り、威譲の命有り、文告の辞有り。令を布き辞を陳べて至らざる有れば、則ち増して徳を修め、民を遠きに勤むること無し。是を以て近きは聴かざる無く、遠きは服せざる無し。今大畢・伯士の終はりしより、犬戎氏其の職を以て来王す。天子曰く、『予必ず享せざるを以て之を征し、且つ之に兵を観さん』と。乃ち先王の訓を廃して、王幾ど頓れんか。吾聞く、犬戎は敦を樹て、旧徳に率ひて終はりを守ること純固なりと。其れ以て我を御ぐ有らん」と。王遂に之を征し、四白狼・四白鹿を得て以て帰る。是れより荒服の者至らず。諸侯睦まざる者有り。甫侯王に言ひ、修刑辟を作る。王曰く、「吁、来たれ。国有り土有るもの、汝に祥刑を告げん。
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