春秋左氏伝 / 襄公二十五年 政は農功の如し
楚蒍掩為司馬。子木使庀賦。數甲兵。甲午。蒍掩書土田。度山林。鳩藪澤。辨京陵。表淳鹵。數疆潦。規偃豬。町原防。牧隰皋。井衍沃。量入脩賦。賦車。籍馬。賦車兵。徒卒。甲楯之數。既成。以授子木。禮也。十二月。吳子諸樊伐楚。以報舟師之役。門于巢。巢牛臣曰。吳王勇而輕。若啟之。將親門。我獲射之。必殪。是君也死。彊其少安。從之。吳子門焉。牛臣隱於短牆以射之。卒。楚子以滅舒鳩賞子木。辭曰。先大夫蒍子之功也。以與蒍掩。晉程鄭卒。子產始知然明。問為政焉。對曰。視民如子。見不仁者誅之。如鷹鸇之逐鳥雀也。子產喜以語子大叔。且曰。他日吾見蔑之面而已。今吾見其心矣。子大叔問政於子產。子產曰。政如農功。日夜思之。思其始而成其終。朝夕而行之。行無越思。如農之有畔。其過鮮矣。
新字:楚蒍掩為司馬。子木使庀賦。数甲兵。甲午。蒍掩書土田。度山林。鳩藪沢。弁京陵。表淳鹵。数疆潦。規偃豬。町原防。牧隰皋。井衍沃。量入脩賦。賦車。籍馬。賦車兵。徒卒。甲楯之数。既成。以授子木。礼也。十二月。呉子諸樊伐楚。以報舟師之役。門于巣。巣牛臣曰。呉王勇而軽。若啓之。将親門。我獲射之。必殪。是君也死。彊其少安。従之。呉子門焉。牛臣隠於短牆以射之。卒。楚子以滅舒鳩賞子木。辞曰。先大夫蒍子之功也。以与蒍掩。晋程鄭卒。子産始知然明。問為政焉。対曰。視民如子。見不仁者誅之。如鷹鸇之逐鳥雀也。子産喜以語子大叔。且曰。他日吾見蔑之面而已。今吾見其心矣。子大叔問政於子産。子産曰。政如農功。日夜思之。思其始而成其終。朝夕而行之。行無越思。如農之有畔。其過鮮矣。
書き下し
楚の蒍掩司馬と為る。子木賦を庀め、甲兵を數へしむ。甲午、蒍掩土田を書し、山林を度り、藪澤を鳩め、京陵を辨じ、淳鹵を表し、疆潦を數へ、偃豬を規り、原防を町し、隰皋に牧し、衍沃を井し、入を量りて賦を脩め、車を賦し、馬を籍し、車兵・徒卒・甲楯の數を賦す。既に成り、以て子木に授く。禮なり。十二月、吳子諸樊楚を伐ち、以て舟師の役に報ゆ。巢に門す。巢の牛臣曰く、「吳王は勇にして輕し。若し之を啟かば、將に親ら門せんとす。我獲て之を射ば、必ず殪れん。是の君や死なば、彊其れ少しく安からん」と。之に從ふ。吳子焉に門す。牛臣短牆に隱れて以て之を射る。卒す。楚子舒鳩を滅ぼすを以て子木を賞す。辭して曰く、「先大夫蒍子の功なり」と。以て蒍掩に與ふ。晉の程鄭卒す。子產始めて然明を知り、政を為すを問ふ。對へて曰く、「民を視ること子の如くし、不仁者を見ては之を誅すること、鷹鸇の鳥雀を逐ふが如くす」と。子產喜びて以て子大叔に語り、且つ曰く、「他日吾蔑の面を見しのみ。今吾其の心を見たり」と。子大叔政を子產に問ふ。子產曰く、「政は農功の如し。日夜之を思ひ、其の始めを思ひて其の終はりを成す。朝夕にして之を行ひ、行ひ思ひを越ゆること無きこと、農の畔有るが如くせば、其の過ち鮮からん」と。
現代語訳
楚の蒍掩が司馬となった。令尹の子木は彼に、軍賦(兵役と軍用物資の負担)を整え、甲冑と武器の数を調べさせた。甲午の日、蒍掩は田地を帳簿に記し、山林の広さを測り、沼沢の産物を集計し、高地と丘陵を区別し、塩分の多い荒れ地を標示し、水の溜まる土地の広さを数え、堤で水をせき止めた池を区画し、堤防の間の小さな平地を畦で区切り、湿った低地を牧場とし、肥沃な平地を井田に区画した。そうして収入を量って賦課を定め、兵車の負担を割り当て、馬を登録し、車上の兵・歩兵・甲冑と盾の数を割り当てた。作業が終わると、それを子木に差し出した。これは礼にかなっている。十二月、呉子諸樊が楚を攻めた。先年の楚の水軍の侵攻に報復するためである。呉軍は巣の城門を攻めた。巣の牛臣が言った。「呉王は勇猛だが軽率だ。もし城門を開けてみせれば、自ら門に攻め入ってくるだろう。私がその機会をとらえて射れば、必ず倒せる。この君主が死ねば、国境はしばらく安らかになる」。人々はこれに従った。呉子が門に攻め入ると、牛臣は低い土塀に隠れて射た。呉子は死んだ。楚子(康王)は舒鳩を滅ぼした功で子木を賞したが、子木は辞退して「これは先の大夫、蒍子(蒍子馮)の功です」と言い、その賞を蒍掩(蒍子馮の子)に与えた。晋の程鄭が死んだ。子産は初めて然明(鬷蔑)の人物を知り、政治のやり方を尋ねた。然明は答えた。「民を見ることわが子を見るようにし、不仁な者を見れば、鷹や隼が小鳥を追うように誅します」。子産は喜んで子大叔(游吉)に話し、さらに言った。「以前は蔑の顔を見ていただけだった。今、その心を見た」。子大叔が子産に政治について尋ねた。子産は言った。「政治は農作業のようなものだ。昼も夜もそれを思い、始めを思って終わりまで成し遂げる。朝から晩までそれを行い、行いが思ったところを越えないこと、農地に畦があるようにすれば、過ちは少なくてすむ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之二政を為すの道は、教養の二者、闕くべからず。二者は養を先と為し、教之に次ぐ。是れ先づ養ひて而る後に教ふるなり。舜は先づ后稷をして民に稼穡を教へしめ、五穀熟して民人育す。而る後に契をして司徒と為し、教ふるに人倫を以てせしむ。此れ養ひて而る後に教ふるなり。既に之を養ひ又之を教へて、民従はず。所以に刑有りて其の罪を正し、民をして教へに従はしむるなり。是を以て舜又皐陶に命じ、士と為りて五刑を司らしむ。其の序の紊るべからざること此くの如し。夫れ後世の政にも、亦た刑法有り。既に刑法有れば、則ち復た先づ教へ無かるべからず。孔子曰く、教へずして殺す、之を虐と謂ふ、と。此れ以て聖人の政は、養を先にし中ごろ教へ刑を後にす。蓋し既に養ひ且つ教へて、苟も従はざる者有らば、已むを得ずして刑を用ゐるのみ。
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『慎思録』巻之五天地の間、人を殺すこと最も多き者、四件有り。刑・兵・歳・病なり。刑罰を省き曲直を明らかにすれば、則ち寃死無し。乱源を禁遏すれば、則ち兵死無し。歳の凶なるに方りて、窮民を周恤すれば、則ち餓死無し。医を択びて病を済へば、則ち枉死無し。政に従ふ者、知らざるべからず。
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『学問のすゝめ』初編・愚民の上に苛き政府ありかかる愚民を支配するには、とても道理をもって諭すべき方便なければ、ただ威をもって畏すのみ。西洋の諺に「愚民の上に苛き政府あり」とはこのことなり。こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。ゆえに今わが日本国においても、この人民ありてこの政治あるなり。仮りに人民の徳義今日よりも衰えて、なお無学文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段厳重になるべく、もしまた、人民みな学問に志して、物事の理を知り、文明の風に赴くことあらば、政府の法もなおまた寛仁大度の場合に及ぶべし。法の苛きと寛やかなるとは、ただ人民の徳不徳によりておのずから加減あるのみ。人誰か苛政を好みて良政を悪む者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外国の侮りを甘んずる者あらん、これすなわち人たる者の常の情なり。
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論語・為政篇或るひと孔子に謂いて曰く、「子奚ぞ政を為さざる。」子曰く、「書に云う、『孝なるかな惟れ孝、兄弟に友なり。』有政に施すと。是れも亦た政を為すなり。奚ぞ其れ政を為すことのみを為さんや。」
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論語・顔淵篇季康子、政を孔子に問う。孔子対えて曰く、「政とは、正なり。子帥いるに正を以てせば、孰か敢えて正しからざらん。」
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『慎思録』巻之六君たり吏たる者、卑賤の人に対して、厳威過ぎて高ければ、則ち勢分相隔絶して、下に在る者、其の情を尽くすことを得ずして、下情達せず、其の利害を詳らかにすること能はず。苟も温顔にして言を受くれば、則ち下情通ず。大率政を為すの道は、下情を通ずるを以て善と為す。
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