慎思録 / 巻之四
易曰。知崇禮卑。崇效天卑效地。故致知欲極其高。力行欲極其卑。伊川易傳。於復恒賁三卦。各發明其義。終之曰。非知道者。孰能識之。經說亦曰。動靜無端。陰陽無始。非知道者。孰能識之。咸九四傳曰。知道者。默而觀之。可也。此皆伊川有卓爾高識。以攄發胸中所自得而巳。與世儒矜高之言。不可同日而語。可謂實有所見得也。
新字:易曰。知崇礼卑。崇効天卑効地。故致知欲極其高。力行欲極其卑。伊川易伝。於復恒賁三卦。各発明其義。終之曰。非知道者。孰能識之。経説亦曰。動静無端。陰陽無始。非知道者。孰能識之。咸九四伝曰。知道者。黙而観之。可也。此皆伊川有卓爾高識。以攄発胸中所自得而巳。与世儒矜高之言。不可同日而語。可謂実有所見得也。
書き下し
易に曰く、知は崇く礼は卑し。崇きは天に效ひ、卑きは地に效ふ、と。故に致知は其の高きを極めんことを欲し、力行は其の卑きを極めんことを欲す。伊川易伝、復恒賁の三卦に於て、各其の義を発明し、之を終へて曰く、道を知る者に非ずんば、孰か能く之を識らん、と。経説にも亦た曰く、動静端無く、陰陽始め無し。道を知る者に非ずんば、孰か能く之を識らん、と。咸の九四の伝に曰く、道を知る者は、黙して之を観て可なり、と。此れ皆伊川卓爾たる高識有り、以て胸中の自得する所を攄発するのみ。世儒の矜高の言と、日を同じくして語るべからず。実に見得する所有りと謂ふべきなり。
現代語訳
『易』に「知は高く、礼は低い。高いのは天にならい、低いのは地にならう」とあります。ですから知を極めることは高さを極めようとし、力を尽くして行うことは低さ(謙虚で地道なこと)を極めようとするのです。程伊川の『易伝』は、復・恒・賁の三つの卦でそれぞれその意味を明らかにし、最後に「道を知る者でなければ、誰がこれを知り得ようか」と言っています。『経説』にもまた「動と静には端がなく、陰陽には始まりがない。道を知る者でなければ、誰がこれを知り得ようか」とあります。咸の卦の九四の伝には「道を知る者は、黙ってこれを観ればよい」とあります。これらはみな、伊川に抜きん出た高い見識があって、胸の内で自ら悟ったことを述べ表したものです。世の儒者が高ぶって言う言葉とは、同じ日に語ることはできません。本当に見えているものがあったと言うべきです。
解説
この章句が説くこと
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