孟子 / 公孫丑章句下
孟子去齊、居休。公孫丑問曰、仕而不受祿、古之道乎。曰、非也。於崇、吾得見王。退而有去志。不欲變。故不受也。繼而有師命。不可以請。久於齊、非我志也。
新字:孟子去斉、居休。公孫丑問曰、仕而不受禄、古之道乎。曰、非也。於崇、吾得見王。退而有去志。不欲変。故不受也。継而有師命。不可以請。久於斉、非我志也。
書き下し
孟子、齊を去り、休に居る。公孫丑、問いて曰く、「仕えて祿を受けざるは、古の道か。」曰く、「非なり。崇に於いて、吾、王に見ゆるを得たり。退いて去る志有り。變ずるを欲せず。故に受けざるなり。繼いで師命有り。以て請う可からず。齊に久しきは、我が志に非ざるなり。」
現代語訳
孟子が齊を去って、休という町に滞在していたとき、弟子の公孫丑が尋ねた。 「君に仕えていながら、禄を受けないというのは、昔からの正しい道なのでしょうか。」 「そうではない。祟という所で、私は齊王にお会いしたが、どうも善政を行うことが出来そうに思えなかったので、退いてからすぐに齊を去る気持ちになった。その意思を変えるつもりはなかったので、禄をお受けしなかったのだ。ところがすぐに去るつもりが、戦争がはじまりそうになって、ごたごたしていた為に、暇乞いすることが出来ず、つい長居してしまったが、それは私の本意ではなかったのである。」
解説
自分の役割や責任を果たせない状況にいると判断したならば、それに対する報酬を受け取るべきではありません。仕事において、ただ利益を得るためだけに留まるのではなく、自分の価値観や本来の目的に合致しているかを常に問い直す誠実さが求められます。予期せぬトラブルで決断が遅れることがあっても、自分の中の確固たる基準を見失わないことが、誇り高い生き方に繋がります。
この章句が説くこと
報酬誠実さ引き際責任
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史記 范雎蔡沢列伝身の服する所の者七十余城、功已に成れり、而して遂に剣を賜はりて杜郵に死す。呉起は楚の悼王の為に法を立て、大臣の威重を卑減し、無能を罷め、無用を廃し、不急の官を損じ、私門の請ひを塞ぎ、楚国の俗を一にし、游客の民を禁じ、耕戦の士を精にし、南のかた楊越を収め、北のかた陳・蔡を并せ、横を破り従を散じ、馳説の士をしてその口を開く所無からしめ、朋党を禁じて以て百姓を励まし、楚国の政を定め、兵は天下に震ひ、威は諸侯を服す。功已に成れり、而して卒に枝解せらる。大夫種は越王の為に深謀遠計し、会稽の危ふきを免れ、亡を以て存と為し、辱に因りて栄と為し、草を墾き邑に入れ、地を辟き穀を殖やし、四方の士を率ゐ、上下の力を専らにし、句践の賢を輔け、夫差の讎に報い、卒に勁呉を擒にす。越をして霸を成さしむ。功已に彰れて信なり、句践終に負きてこれを殺す。此の四子の者は、功成りて去らず、禍此に至る。此れ所謂信びて詘する能はず、往きて返る能はざる者なり。范蠡これを知り、超然として世を辟け、長く陶朱公と為る。君独り夫の博する者を観ずや。或いは大いに投ぜんと欲し、或いは功を分かたんと欲す。此れ皆君の明らかに知る所なり。今、君秦に相たり、計は席を下らず、謀は廊廟を出でずして、坐して諸侯を制し、利は三川に施し、以て宜陽を実たし、羊腸の険を決し、太行の道を塞ぎ、また范・中行の涂を斬り、六国をして合従するを得ざらしめ、桟道千里、蜀漢に通じ、天下をして皆秦を畏れしむ。秦の欲得たり、君の功極まれり、此れまた秦の功を分かつの時なり。是くの如くにして退かずんば、則ち商君・白公・呉起・大夫種是れなり。吾これを聞く、『水に鑒みる者は面の容を見、人に鑒みる者は吉と凶とを知る』と。書に曰く『成功の下には、久しく処るべからず』と。四子の禍、君何ぞ居らんや。
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史記 范雎蔡沢列伝蔡沢笑ひて謝して去り、その御者に謂ひて曰く、「吾粱を持し肥を刺歯し、馬を躍らせて疾く駆け、黄金の印を懐き、紫綬を要に結び、人主の前に揖譲し、肉を食らひ富貴なること、四十三年にして足れり」と。去りて趙に之き、逐はる。韓・魏に之き、釜鬲を涂に奪はるるに遇ふ。応侯の鄭安平・王稽を任じて皆重罪を秦に負ひ、応侯内に慚づるを聞き、蔡沢乃ち西して秦に入る。将に昭王に見えんとし、人をして宣言せしめて以て応侯を感怒せしめて曰く、「燕の客蔡沢は、天下の雄俊弘弁の智士なり。彼一たび秦王に見えば、秦王必ず君を困しめて君の位を奪はん」と。応侯聞きて曰く、「五帝三代の事、百家の説、吾既にこれを知る。衆口の弁、吾皆これを摧く。是れ悪んぞ能く我を困しめて我が位を奪はんや」と。人をして蔡沢を召さしむ。蔡沢入り、則ち応に揖す。応侯固より快からず、これに見ゆるに及び、また倨る。応侯因りてこれを譲めて曰く、「子嘗て宣言して我に代はりて秦に相たらんと欲すと、寧ろこれ有るか」と。対へて曰く、「然り」と。応侯曰く、「請ふその説を聞かん」と。蔡沢曰く、「吁、君何ぞこれを見ることの晩きや。夫れ四時の序、功を成す者は去る。夫れ人生まれて百体堅彊、手足便利、耳目聡明にして心聖智なるは、豈に士の願ひに非ずや」と。応侯曰く、「然り」と。蔡沢曰く、「仁を質とし義を秉り、道を行ひ徳を施し、志を天下に得、天下懐楽敬愛してこれを尊慕し、皆願ひて以て君王と為す、豈に弁智の期に非ずや」と。応侯曰く、「然り」と。蔡沢また曰く、「富貴顕栄、万物を成理し、各々その所を得しむ。性命寿長、その天年を終へて夭傷せず。天下その統を継ぎ、その業を守り、これを無窮に伝ふ。名実純粋、沢千里に流れ、世世これを称して絶ゆる無く、天地と終始す。豈に道徳の符にして聖人の所謂吉祥善事なる者に非ずや」と。応侯曰く、「然り」と。
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