春秋左氏伝 / 襄公二十二年 死を生かし骨に肉す
曰然則臣王乎。曰棄父事讎。吾弗忍也。遂縊而死。復使薳子馮為令尹。公子齮為司馬。屈建為莫敖。有寵於薳子者八人。皆無祿而多馬。他日朝。與申叔豫言。弗應而退。從之。入於人中。又從之。遂歸。退朝見之。曰。子三困我於朝。吾懼不敢不見。吾過。子姑告我。何疾我也。對曰。吾不免是懼。何敢告子。曰。何故。對曰。昔觀起有寵於子南。子南得罪。觀起車裂。何故不懼。自御而歸。不能當道。至。謂八人者曰。吾見申叔夫子。所謂生死而肉骨也。知我者。如夫子則可。不然請止。辭八人者。而後王安之。
新字:曰然則臣王乎。曰棄父事讎。吾弗忍也。遂縊而死。復使薳子馮為令尹。公子齮為司馬。屈建為莫敖。有寵於薳子者八人。皆無禄而多馬。他日朝。与申叔予言。弗応而退。従之。入於人中。又従之。遂帰。退朝見之。曰。子三困我於朝。吾懼不敢不見。吾過。子姑告我。何疾我也。対曰。吾不免是懼。何敢告子。曰。何故。対曰。昔観起有寵於子南。子南得罪。観起車裂。何故不懼。自御而帰。不能当道。至。謂八人者曰。吾見申叔夫子。所謂生死而肉骨也。知我者。如夫子則可。不然請止。辞八人者。而後王安之。
書き下し
曰く、「然らば則ち王に臣たらんか」と。曰く、「父を棄てて讎に事ふるは、吾忍びざるなり」と。遂に縊れて死す。復た薳子馮をして令尹と為し、公子齮を司馬と為し、屈建を莫敖と為す。薳子に寵有る者八人、皆祿無くして馬多し。他日朝して、申叔豫と言ふ。應へずして退く。之に從ふ。人中に入る。又之に從ふ。遂に歸る。朝を退きて之を見て曰く、「子三たび我を朝に困しむ。吾懼れて敢へて見えずんばあらず。吾過てり、子姑く我に告げよ。何ぞ我を疾むや」と。對へて曰く、「吾免れざるを是れ懼る。何ぞ敢へて子に告げん」と。曰く、「何の故ぞ」と。對へて曰く、「昔觀起子南に寵有り。子南罪を得て、觀起車裂せらる。何の故に懼れざらん」と。自ら御して歸るに、道に當たること能はず。至りて、八人の者に謂ひて曰く、「吾申叔夫子に見ゆ。所謂死を生かして骨に肉する者なり。我を知る者、夫子の如くんば則ち可なり。然らずんば、請ふ止めよ」と。八人の者を辭して、而る後に王之に安んず。
現代語訳
家臣たちは言った。「それならば王に仕え続けますか」。棄疾は言った。「父を棄てて仇に仕えるのは、私には忍びない」。こうして首をくくって死んだ。王は再び薳子馮を令尹とし、公子齮を司馬とし、屈建を莫敖とした。薳子馮には寵愛する者が八人いて、みな禄がないのに馬を多く持っていた。ある日、朝廷で薳子馮が申叔豫に話しかけた。申叔豫は応えずに退いた。薳子馮はあとを追った。申叔豫は人混みの中に入った。薳子馮はさらに追った。申叔豫はそのまま帰ってしまった。薳子馮は朝廷を退出してから申叔豫を訪ねて言った。「あなたは朝廷で三度も私を困らせた。私は恐ろしくて、お目にかからずにはいられなかった。私に過ちがあるなら、どうか教えてほしい。なぜ私を嫌われるのか」。申叔豫は答えた。「私は自分が禍を免れないことを恐れているのです。どうしてあなたに教えたりできましょう」。薳子馮は言った。「どういうわけか」。申叔豫は答えた。「昔、観起は子南に寵愛されていました。子南が罪を得ると、観起は車裂きにされました。どうして恐れずにいられましょう」。薳子馮は自分で車を御して帰ったが、動揺のあまりまっすぐ道を進めなかった。家に着くと、八人の寵臣に言った。「私は申叔先生にお会いしてきた。いわゆる死者を生き返らせ、白骨に肉をつけてくださる方だ。私をよく分かってくれる者が先生のようであればよい。そうでないなら、ここを去ってほしい」。そして八人を辞めさせた。その後、王は薳子馮を信任して安心した。
解説
この章句が説くこと
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史記 周本紀敢へて業を怠らず、時に其の徳を序し、其の緒を遵ひ修め、其の訓典を修め、朝夕恪勤し、守るに敦篤を以てし、奉ずるに忠信を以てす。奕世徳を載ひ、前人を忝めず。文王・武王に至り、前の光明を昭らかにして之に加ふるに慈和を以てし、神に事へ民を保ち、欣喜せざる無し。商王帝辛大いに民に悪まれ、庶民忍びず、武王を訢載して、以て戎を商の牧に致す。是の故に先王は武を務むるに非ず、民の隠を勤恤して其の害を除くなり。夫れ先王の制、邦内は甸服、邦外は侯服、侯衛は賓服、夷蛮は要服、戎翟は荒服。甸服の者は祭り、侯服の者は祀り、賓服の者は享し、要服の者は貢し、荒服の者は王とす。日に祭り、月に祀り、時に享し、歳に貢し、終に王とす。先王の順祀や、祭らざる有れば則ち意を修め、祀らざる有れば則ち言を修め、享せざる有れば則ち文を修め、貢せざる有れば則ち名を修め、王とせざる有れば則ち徳を修め、序成りて至らざる有れば則ち刑を修む。是に於て祭らざるを刑し、祀らざるを伐ち、享せざるを征し、貢せざるを譲め、王とせざるに告ぐる有り。是に於て刑罰の辟有り、攻伐の兵有り、征討の備有り、威譲の命有り、文告の辞有り。令を布き辞を陳べて至らざる有れば、則ち増して徳を修め、民を遠きに勤むること無し。是を以て近きは聴かざる無く、遠きは服せざる無し。今大畢・伯士の終はりしより、犬戎氏其の職を以て来王す。天子曰く、『予必ず享せざるを以て之を征し、且つ之に兵を観さん』と。乃ち先王の訓を廃して、王幾ど頓れんか。吾聞く、犬戎は敦を樹て、旧徳に率ひて終はりを守ること純固なりと。其れ以て我を御ぐ有らん」と。王遂に之を征し、四白狼・四白鹿を得て以て帰る。是れより荒服の者至らず。諸侯睦まざる者有り。甫侯王に言ひ、修刑辟を作る。王曰く、「吁、来たれ。国有り土有るもの、汝に祥刑を告げん。
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