春秋左氏伝 / 襄公二十二年 父を棄てて讎に事えず
冬。會于沙隨。復錮欒氏也。欒盈猶在齊。晏子曰。禍將作矣。齊將伐晉。不可以不懼。楚觀起有寵於令尹子南。未益祿而有馬數十乘。楚人患之。王將討焉。子南之子棄疾為王御士。王每見之必泣。棄疾曰。君三泣臣矣。敢問誰之罪也。王曰。令尹之不能。爾所知也。國將討焉。爾其居乎。對曰。父戮子居。君焉用之。洩命重刑。臣亦不為。王遂殺子南於朝。轘觀起於四竟。子南之臣謂棄疾。請徙子尸於朝。曰君臣有禮。唯二三子。三日。棄疾請尸。王許之。既葬。其徒曰。行乎。曰吾與殺吾父。行將焉入。
新字:冬。会于沙随。復錮欒氏也。欒盈猶在斉。晏子曰。禍将作矣。斉将伐晋。不可以不懼。楚観起有寵於令尹子南。未益禄而有馬数十乗。楚人患之。王将討焉。子南之子棄疾為王御士。王毎見之必泣。棄疾曰。君三泣臣矣。敢問誰之罪也。王曰。令尹之不能。爾所知也。国将討焉。爾其居乎。対曰。父戮子居。君焉用之。洩命重刑。臣亦不為。王遂殺子南於朝。轘観起於四竟。子南之臣謂棄疾。請徙子尸於朝。曰君臣有礼。唯二三子。三日。棄疾請尸。王許之。既葬。其徒曰。行乎。曰吾与殺吾父。行将焉入。
書き下し
冬、沙隨に會す、復た欒氏を錮するなり。欒盈猶ほ齊に在り。晏子曰く、「禍將に作らんとす。齊將に晉を伐たんとす。以って懼れざる可からず」と。楚の觀起、令尹子南に寵有り。未だ祿を益さずして馬數十乘有り。楚人之を患ふ。王將に焉を討ぜんとす。子南の子棄疾、王の御士為り。王之を見る每に必ず泣く。棄疾曰く、「君三たび臣に泣けり。敢へて問ふ、誰の罪ぞや」と。王曰く、「令尹の不能なるは、爾の知る所なり。國將に焉を討ぜんとす。爾其れ居らんか」と。對へて曰く、「父戮せられて子居らば、君焉んぞ之を用ゐん。命を洩らして刑を重くするは、臣も亦た為さず」と。王遂に子南を朝に殺し、觀起を四竟に轘す。子南の臣棄疾に謂ふ、「請ふ子の尸を朝より徙さん」と。曰く、「君臣禮有り。唯だ二三子のみ」と。三日にして、棄疾尸を請ふ。王之を許す。既に葬る。其の徒曰く、「行かんか」と。曰く、「吾吾が父を殺すに與れり。行きて將た焉くにか入らん」と。
現代語訳
冬、諸侯が沙随で会合した。再び欒氏を受け入れないよう禁錮するためである。欒盈はなお斉にいた。晏子は言った。「禍が起ころうとしている。斉は晋を攻めるつもりだ。恐れないわけにはいかない」。楚の観起は令尹子南(公子追舒)に寵愛され、禄が増えてもいないのに馬車数十乗分の馬を持っていた。楚の人々はこれを憂えた。王(康王)は子南を討とうとした。子南の子の棄疾は王の御士(側近の車の御者)であった。王は棄疾に会うたびに必ず涙を流した。棄疾は言った。「君は三度も私に向かって泣かれました。あえてお尋ねします。誰の罪なのでしょうか」。王は言った。「令尹が無能なのは、そなたも知っているとおりだ。国は令尹を討とうとしている。そなたはそれでもとどまるか」。棄疾は答えた。「父が殺されて子がとどまるなら、君はそのような者をどうして用いられましょう。しかし君のご命令を漏らして刑を重くすることも、私はいたしません」。王はついに子南を朝廷で殺し、観起を車裂きにして四方の国境にさらした。子南の家臣が棄疾に言った。「どうか子南様の遺体を朝廷から移させてください」。棄疾は言った。「君臣の間には礼がある(勝手に動かすことはできない)。あとはそなたたちに任せる」。三日たって、棄疾は遺体の下げ渡しを願い出た。王はそれを許した。葬儀が終わると、家臣たちは言った。「国を出ましょうか」。棄疾は言った。「私は父が殺されることに加担したも同然だ。出て行って、どこに身を寄せられようか」。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』襄公二十二年 死を生かし骨に肉す曰く、「然らば則ち王に臣たらんか」と。曰く、「父を棄てて讎に事ふるは、吾忍びざるなり」と。遂に縊れて死す。復た薳子馮をして令尹と為し、公子齮を司馬と為し、屈建を莫敖と為す。薳子に寵有る者八人、皆祿無くして馬多し。他日朝して、申叔豫と言ふ。應へずして退く。之に從ふ。人中に入る。又之に從ふ。遂に歸る。朝を退きて之を見て曰く、「子三たび我を朝に困しむ。吾懼れて敢へて見えずんばあらず。吾過てり、子姑く我に告げよ。何ぞ我を疾むや」と。對へて曰く、「吾免れざるを是れ懼る。何ぞ敢へて子に告げん」と。曰く、「何の故ぞ」と。對へて曰く、「昔觀起子南に寵有り。子南罪を得て、觀起車裂せらる。何の故に懼れざらん」と。自ら御して歸るに、道に當たること能はず。至りて、八人の者に謂ひて曰く、「吾申叔夫子に見ゆ。所謂死を生かして骨に肉する者なり。我を知る者、夫子の如くんば則ち可なり。然らずんば、請ふ止めよ」と。八人の者を辭して、而る後に王之に安んず。
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『春秋左氏伝』襄公二十一年 欒祁の讒訴齊侯慶佐をして大夫と為さしむ。復た公子牙の黨を討じ、公子買を句瀆の丘に執ふ。公子鉏來奔す。叔孫還燕に奔る。夏、楚の子庚卒す。楚子薳子馮をして令尹と為さしめんとし、申叔豫に訪ふ。叔豫曰く、「國に寵多くして王弱し。國為む可からざるなり」と。遂に疾を以って辭す。方に暑きに、地を闕(ほ)りて冰を下し、而して床す。繭を重ね裘を衣、食を鮮(すく)なくして寢ぬ。楚子醫をして之を視しむ。復して曰く、「瘠(や)すること則ち甚だし。而れども血氣未だ動かず」と。乃ち子南をして令尹と為さしむ。欒桓子范宣子に娶りて、懷子を生む。范鞅其の亡げしを以って、欒氏を怨む。故に欒盈と公族大夫と為りて、相能くせず。桓子卒す。欒祁其の老州賓と通じ、幾ど室を亡ぼさんとす。懷子之を患ふ。祁其の討を懼れ、諸を宣子に愬へて曰く、「盈將に亂を為さんとす。范氏を以って桓主を死なしめて政を專らにすと為せり。曰く、『吾が父鞅を逐ふや、怒らずして寵を以って之に報ゆ。又吾と官を同じくして之を專らにす。吾が父死して益々富む。吾が父を死なしめて國に專らなり。死有るのみ、吾之に從ふこと蔑(な)からん』と。其の謀是くの如し。主を害せんことを懼る。吾敢へて言はずんばあらず」と。范鞅之が徵を為す。懷子施しを好み、士多く之に歸す。宣子其の士の多きを畏れ、之を信ず。懷子下卿為り。宣子著に城かしめて遂に之を逐ふ。
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『春秋左氏伝』襄公二年 鄭成公、楚に背かず二年春、鄭の師、宋を侵す。楚の令なり。齊侯、萊を伐つ。萊人、正輿子をして夙沙衛に賂(まひな)ふに索馬牛を以てせしむ、皆百匹。齊の師乃ち還る。君子是を以て齊の靈公の靈たるを知る。夏、齊姜薨ず。初め、穆姜、美檟を擇ばしめ、以て自ら櫬(ひつぎ)と頌琴とを爲る。季文子取りて以て葬る。君子曰く、「禮に非ざるなり。禮は逆ふる所無し。婦は姑を養ふ者なり。姑を虧きて以て婦を成す、逆焉より大なるは莫し。詩に曰く、『其れ惟れ哲人、之に話言を告ぐれば、德に順ひて之れ行ふ』と。季孫是に於て哲ならずと爲す。且つ姜氏は君の妣なり。詩に曰く、『酒を爲り醴を爲り、烝(すす)めて祖妣に畀(あた)へ、以て百禮を洽(あまね)くし、福を降すこと孔(はなは)だ偕(あまね)し』と」と。齊侯、諸姜・宗婦をして來りて葬を送らしむ。萊子を召す。萊子會せず。故に晏弱、東陽に城きて以て之に偪る。鄭の成公疾む。子駟、肩を晉に息めんことを請ふ。公曰く、「楚君、鄭の故を以て、親ら矢を其の目に集む。異人の任に非ず、寡人なり。若し之に背かば、是れ力と言とを棄つるなり。其れ誰か我に暱(した)しまん。寡人を免(ゆる)さば、唯だ二三子のみ」と。
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『春秋左氏伝』襄公五年 季文子、私積無し九月、丙午、戚に盟ふ。吳に會し、且つ陳を戍ることを命ずるなり。穆叔、鄫を屬するを以て不利と爲し、鄫の大夫をして命を會に聽かしむ。楚の子囊、令尹と爲る。范宣子曰く、「我、陳を喪はん。楚人、貳を討ちて子囊を立つ。必ず行ひを改めて、疾(と)く陳を討たん。陳は楚に近く、民朝夕に急なり。能く往くこと無からんや。陳を有つは、吾が事に非ざるなり。之を無くして後に可なり」と。冬、諸侯陳を戍る。子囊、陳を伐つ。十一月、甲午、城棣に會して以て之を救ふ。季文子卒す。大夫入りて斂す。公、位に在り。宰、家器を庀(そな)へて葬の備へと爲す。帛を衣るの妾無く、粟を食むの馬無く、金玉を藏すること無く、重器の備へ無し。君子是を以て季文子の公室に忠なるを知る。三君に相として、私積無し。忠と謂はざるべけんや。
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『春秋左氏伝』襄公二十二年 貴にして能く貧し四月、又朝して以って事を聽く。不朝の間を期するも、歲として聘せざる無く、役として從はざる無し。大國の政令の常無きを以って、國家罷病し、不虞荐(しき)りに至り、日として惕(おそ)れざる無し。豈に敢へて職を忘れんや。大國若し之を安定せば、其れ朝夕庭に在らん、何ぞ命を辱くせん。若し其の患を恤へずして、以って口實と為さば、其れ乃ち命に任ふるに堪へずして、翦りて仇讎と為る無からんや。敝邑是れを懼る。其れ敢へて君の命を忘れんや。諸を執事に委ぬ。執事實に重ねて之を圖れ」と。秋、欒盈楚より齊に適く。晏平仲齊侯に言ひて曰く、「商任の會に、命を晉に受けたり。今欒氏を納る、將た安んぞ之を用ゐん。小の大に事ふる所以は、信なり。信を失へば立たず。君其れ之を圖れ」と。聽かず。退きて陳文子に告げて曰く、「人に君たる者は信を執り、人に臣たる者は共を執る。忠信篤敬、上下之を同じくするは、天の道なり。君自ら棄つるなり。久しきこと能はざらん」と。九月、鄭の公孫黑肱疾有り。邑を公に歸す。室老・宗人を召し、段を立てて、官を黜け祭を薄くせしむ。祭るに特羊を以ってし、殷するに少牢を以ってす、以って祀に共するに足る。盡く其の餘邑を歸して曰く、「吾之を聞く、亂世に生まれては、貴にして能く貧しければ、民求むること無く、以って後に亡ぶ可しと。敬み共して君と二三子とに事へよ。生は敬戒に在り、富に在らざるなり」と。己巳、伯張卒す。君子曰く、「戒を善くす。詩に曰く、『爾の侯度を慎み、用って不虞を戒む』と。鄭の子張其れ焉有り」と。
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『春秋左氏伝』襄公二十三年 欒盈、曲沃に入る二十三年春、杞の孝公卒す。晉の悼夫人之を喪す。平公樂を徹せず、禮に非ざるなり。禮は鄰國の為に闕く。陳侯楚に如く。公子黃二慶を楚に愬ふ。楚人之を召す。慶樂をして往かしむ。之を殺す。慶氏陳を以って叛く。夏、屈建陳侯に從ひて陳を圍む。陳人板隊に城きて人を殺す。役人相命じて、各々其の長を殺し、遂に慶虎・慶寅を殺す。楚人公子黃を納る。君子謂ふ、「慶氏不義なり、肆にす可からず」と。故に書に曰く、「惟れ命は常に于いてせず」と。晉將に女を吳に嫁がせんとす。齊侯析歸父をして之に媵せしめ、藩を以って欒盈及び其の士を載せ、諸を曲沃に納る。欒盈夜胥午に見えて之に告ぐ。對へて曰く、「不可なり。天の廢する所、誰か能く之を興さん。子必ず免れざらん。吾死を愛しむに非ざるなり。集らざるを知るなり」と。盈曰く、「然りと雖も、子に因りて死せば、吾悔ゆること無し。我實に天ならず。子に咎無し」と。許諾す。之を伏せて曲沃の人に觴す。樂作る。午言ひて曰く、「今や欒孺子を得ば何如」と。對へて曰く、「主を得て之が為に死せば、猶ほ死せざるがごとし」と。皆歎ず。泣く者有り。爵行る。又言ふ。皆曰く、「主を得ば何の貳か之れ有らん」と。盈出でて、遍く之を拜す。
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