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春秋左氏伝 / 襄公十六年 穆叔、圻父を賦す

秋。齊侯圍郕。孟孺子速徼之。齊侯曰。是好勇。去之以為之名。速遂塞海陘而還。冬。穆叔如晉聘。且言齊故。晉人曰。以寡君之未禘祀。與民之未息。不然。不敢忘。穆叔曰。以齊人之朝夕釋憾於敝邑之地。是以大請。敝邑之急。朝不及夕。引領西望曰。庶幾乎比執事之間。恐無及也。見中行獻子賦圻父。獻子曰。偃知罪矣。敢不從執事。以同恤社稷。而使魯及此。見范宣子。賦鴻鴈之卒章。宣子曰。匄在此。敢使魯無鳩乎。

新字:秋。斉侯囲郕。孟孺子速徼之。斉侯曰。是好勇。去之以為之名。速遂塞海陘而還。冬。穆叔如晋聘。且言斉故。晋人曰。以寡君之未禘祀。与民之未息。不然。不敢忘。穆叔曰。以斉人之朝夕釈憾於敝邑之地。是以大請。敝邑之急。朝不及夕。引領西望曰。庶幾乎比執事之間。恐無及也。見中行献子賦圻父。献子曰。偃知罪矣。敢不従執事。以同恤社稷。而使魯及此。見范宣子。賦鴻鴈之卒章。宣子曰。匄在此。敢使魯無鳩乎。

書き下し

秋、齊侯郕を圍む。孟孺子速之を徼ふ。齊侯曰く、「是れ勇を好む。之を去りて以って之が名と為さん」と。速遂に海陘を塞ぎて還る。冬、穆叔晉に如きて聘し、且つ齊の故を言ふ。晉人曰く、「寡君の未だ禘祀せざると、民の未だ息はざるとを以ってなり。然らずんば、敢へて忘れず」と。穆叔曰く、「齊人の朝夕に憾みを敝邑の地に釋くを以って、是を以って大いに請ふ。敝邑の急なる、朝に夕を及ばず。領を引きて西望して曰く、『庶幾はくは』と。執事の間なるに比ぶ頃には、恐らくは及ぶ無からん」と。中行獻子に見えて圻父を賦す。獻子曰く、「偃罪を知れり。敢へて執事に從ひて、以って同じく社稷を恤へずして、魯をして此に及ばしめんや」と。范宣子に見えて、鴻鴈の卒章を賦す。宣子曰く、「匄此に在り。敢へて魯をして鳩まること無からしめんや」と。

現代語訳

秋、斉侯(霊公)が魯の郕(せい)の邑を包囲した。孟孺子速(もうじゅしそく、孟荘子、仲孫速)がこれを迎え撃った。斉侯は言った。「この若者は勇を好む。われらが退いて、あの者に名を上げさせてやろう」。孟孺子速はそこで海陘(かいけい)の隘路をふさいで帰った。冬、穆叔(ぼくしゅく、叔孫豹)が晋に聘問し、あわせて斉の侵攻のことを訴えた。晋の人は言った。「わが君がまだ(先君悼公の喪明けの)禘祭を行っておらず、民もまだ休まっていないからです。そうでなければ、決して忘れてはおりません」。穆叔は言った。「斉の人々が朝に夕に、わが国の土地で恨みを晴らしているので、こうしてたって救援をお願いしているのです。わが国の危急は、朝に夕方のことが分からないほどです。首を伸ばして西(晋の方角)を望み、『どうか来てくれますように』と言っております。執事の方々の手が空くのを待っていては、おそらく間に合わないでしょう」。穆叔は中行献子(荀偃)に会って、『詩経』小雅の「圻父」を歌った。この詩は、王の軍司令官がその務めを怠って民を苦しめていると責める歌である。献子は言った。「偃(私)は罪を承知しました。どうして執事の方々に従い、ともに魯の社稷を案じようとせず、魯をこのような目にあわせておけましょうか」。穆叔は范宣子(士匄)に会って、『詩経』小雅の「鴻鴈」の最後の章を歌った。この章は、困窮して流浪する民の嘆きを歌ったものである。宣子は言った。「匄(私)がここにおります。どうして魯を安んじないでおりましょうか」。

解説

斉の侵攻に苦しむ魯が、盟主晋に救援を求める外交の場面である。晋は、新君の禘祭が済んでいない、民が疲れていると理由を挙げて先延ばしにする。穆叔は「朝に夕を及ばず」、朝に夕方のことも分からないほどの危急だと訴え、手が空くのを待っていては間に合わないと迫る。読みどころは、その後の詩の使い方である。晋の軍の実権者である中行献子には、職務を怠る軍司令官を責める「圻父」を、執政の范宣子には、流浪する民の嘆きを歌う「鴻鴈」を歌う。直接相手を非難せず、相手の立場に刺さる詩を選んで思いを伝える。二人はすぐに意図を察し、罪を認めて救援を約束した。前半の斉の霊公が、若い孟孺子速の勇を愛でてわざと退いた話も面白い。頼みごとをするとき、相手の役割に合わせて言葉を選ぶことの効き目がよく分かる一節である。

この章句が説くこと

交渉賦詩危機の訴え同盟伝え方

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