春秋左氏伝 / 襄公十四年 定姜、三罪を数う
四月。己未。子展奔齊。公如鄄。使子行請於孫子。孫子又殺之。公出奔齊。孫氏追之。敗公徒于河澤。鄄人執之。初。尹公佗學射於庾公差。庾公差學射於公孫丁。二子追公。公孫丁御公。子魚曰。射為背師。不射為戮。射為禮乎。射兩軥而還。尹公佗曰。子為師。我則遠矣。乃反之。公孫丁授公轡而射之。貫臂。子鮮從公及竟。公使祝宗告亡。且告無罪。定姜曰。無神何告。若有。不可誣也。有罪若何告無。舍大臣而與小臣謀。一罪也。先君有冢卿以為師保。而蔑之。二罪也。余以巾櫛事先君。而暴妾使余。三罪也。
新字:四月。己未。子展奔斉。公如鄄。使子行請於孫子。孫子又殺之。公出奔斉。孫氏追之。敗公徒于河沢。鄄人執之。初。尹公佗学射於庾公差。庾公差学射於公孫丁。二子追公。公孫丁御公。子魚曰。射為背師。不射為戮。射為礼乎。射両軥而還。尹公佗曰。子為師。我則遠矣。乃反之。公孫丁授公轡而射之。貫臂。子鮮従公及竟。公使祝宗告亡。且告無罪。定姜曰。無神何告。若有。不可誣也。有罪若何告無。舎大臣而与小臣謀。一罪也。先君有冢卿以為師保。而蔑之。二罪也。余以巾櫛事先君。而暴妾使余。三罪也。
書き下し
四月己未、子展齊に奔る。公鄄に如く。子行をして孫子に請はしむ。孫子又之を殺す。公出でて齊に奔る。孫氏之を追ひ、公の徒を河澤に敗る。鄄人之を執ふ。初め、尹公佗は射を庾公差に學び、庾公差は射を公孫丁に學ぶ。二子公を追ふ。公孫丁公に御たり。子魚曰く、「射れば師に背くと為し、射ずんば戮せらると為る。射るは禮と為さんか」と。兩軥を射て還る。尹公佗曰く、「子は師の為なり。我は則ち遠し」と。乃ち之に反る。公孫丁公に轡を授けて之を射、臂を貫く。子鮮公に從ひて竟に及ぶ。公祝宗をして亡を告げしめ、且つ罪無きを告げしむ。定姜曰く、「神無くんば何ぞ告げん。若し有らば、誣ふべからざるなり。罪有るに若何ぞ無しと告げん。大臣を舍てて小臣と謀る、一の罪なり。先君冢卿有りて以って師保と為すに、之を蔑ろにす、二の罪なり。余巾櫛を以って先君に事へしに、暴妾をば余を使ふこと、三の罪なり。
現代語訳
四月己未の日、子展(してん、衛の公族)が斉に亡命した。献公は鄄(けん)に行き、子行(しこう)を遣わして孫文子に和解を請わせたが、孫文子はこれもまた殺した。献公は国を出て斉に亡命した。孫氏はこれを追い、献公の従者たちを河沢で破った。鄄の人々は(逃げ遅れた献公の従者を)捕らえた。これより前のこと、尹公佗(いんこうた)は弓術を庾公差(ゆこうさ)に学び、庾公差は弓術を公孫丁(こうそんてい)に学んでいた。尹公佗と庾公差の二人が献公を追ったとき、公孫丁が献公の車の御者を務めていた。子魚(しぎょ、庾公差)は言った。「射れば師に背くことになり、射なければ(主命に背いて)殺される。射るのが礼にかなうのだろうか」。そこで車の両側の軛の端(軥)だけを射当てて引き返した。尹公佗は言った。「あなたにとっては師匠だが、私にとっては師匠の師匠で縁が遠い」。そこで引き返して追いかけた。公孫丁は献公に手綱を渡して尹公佗を射て、その腕を射抜いた。子鮮(しせん、献公の同母弟)は献公に従って国境まで行った。献公は祝宗(祭祀を司る官)に命じて、亡命することを祖先の廟に告げさせ、また自分には罪がないと告げさせようとした。献公の嫡母の定姜(ていきょう)が言った。「神がいないのなら何を告げることがあろう。もし神がいるなら、偽ることはできない。罪があるのに、どうして罪がないと告げられようか。大臣を捨てて小臣と謀ったのが第一の罪である。先君が上卿を置いて君の師・守り役としたのに、それをないがしろにしたのが第二の罪である。私は櫛や手ぬぐいを捧げて先君に仕えた正夫人であるのに、下賤な妾のように私をこき使ったのが第三の罪である。
解説
この章句が説くこと
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史記 周本紀敢へて業を怠らず、時に其の徳を序し、其の緒を遵ひ修め、其の訓典を修め、朝夕恪勤し、守るに敦篤を以てし、奉ずるに忠信を以てす。奕世徳を載ひ、前人を忝めず。文王・武王に至り、前の光明を昭らかにして之に加ふるに慈和を以てし、神に事へ民を保ち、欣喜せざる無し。商王帝辛大いに民に悪まれ、庶民忍びず、武王を訢載して、以て戎を商の牧に致す。是の故に先王は武を務むるに非ず、民の隠を勤恤して其の害を除くなり。夫れ先王の制、邦内は甸服、邦外は侯服、侯衛は賓服、夷蛮は要服、戎翟は荒服。甸服の者は祭り、侯服の者は祀り、賓服の者は享し、要服の者は貢し、荒服の者は王とす。日に祭り、月に祀り、時に享し、歳に貢し、終に王とす。先王の順祀や、祭らざる有れば則ち意を修め、祀らざる有れば則ち言を修め、享せざる有れば則ち文を修め、貢せざる有れば則ち名を修め、王とせざる有れば則ち徳を修め、序成りて至らざる有れば則ち刑を修む。是に於て祭らざるを刑し、祀らざるを伐ち、享せざるを征し、貢せざるを譲め、王とせざるに告ぐる有り。是に於て刑罰の辟有り、攻伐の兵有り、征討の備有り、威譲の命有り、文告の辞有り。令を布き辞を陳べて至らざる有れば、則ち増して徳を修め、民を遠きに勤むること無し。是を以て近きは聴かざる無く、遠きは服せざる無し。今大畢・伯士の終はりしより、犬戎氏其の職を以て来王す。天子曰く、『予必ず享せざるを以て之を征し、且つ之に兵を観さん』と。乃ち先王の訓を廃して、王幾ど頓れんか。吾聞く、犬戎は敦を樹て、旧徳に率ひて終はりを守ること純固なりと。其れ以て我を御ぐ有らん」と。王遂に之を征し、四白狼・四白鹿を得て以て帰る。是れより荒服の者至らず。諸侯睦まざる者有り。甫侯王に言ひ、修刑辟を作る。王曰く、「吁、来たれ。国有り土有るもの、汝に祥刑を告げん。
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説苑・尊賢魯人鄪を攻む。曾子鄪君に辞して曰く、「請う出でん、寇罷みて後復た来らん、請う姑く狗豕をして吾が舎に入らしむる毋かれ」と。鄪君曰く、「寡人の先生に於けるや、人聞かざる無し。今魯人我を攻めて先生我を去らば、我胡ぞ先生の舎を守らんや」と。魯人果たして鄪を攻めて之を数うるに罪十あり、而して曾子の争う所の者九つなり。魯師罷みて、鄪君復た曾子の舎を修めて而る後に之を迎う。
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『春秋左氏伝』文公元年 秦伯、孟明を責めず殽の役、晉人既に秦の師を歸す。秦の大夫及び左右皆秦伯に言ひて曰く、「是の敗や、孟明の罪なり。必ず之を殺せ」と。秦伯曰く、「是れ孤の罪なり。周の芮良夫の詩に曰く、『大風隧(みち)有り、貪人類を敗る。聽言には則ち對へ、誦言には醉へるが如し。其の良を用ゐず、覆つて我をして悖らしむ』と。是れ貪の故なり、孤の謂なり。孤實に貪りて以って夫子に禍す。夫子何の罪かあらん」と。復た政を為さしむ。
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尚書・太甲下言の汝の心に逆らふ有らば、必ず諸(これ)を道に求めよ。言の汝の志に遜(したが)ふ有らば、必ず諸を非道に求めよ。嗚呼(ああ)、
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『呻吟語』内篇・問學・無過の過は大なり余に責善の友有り。既に別れて兩月なり。見て之に問ひて曰く、「近ごろ僕に過ち有るを聞かざるか」と。友曰く、「子に過ち無し」と。余曰く、「此れ吾の大過なり。過ち有るの過ちは小さく、過ち無きの過ちは大なり。何となれば、諫を拒み自ら矜りて人敢へて言はず、非を飾り惡を掩ひて人知る能はず。過ちの此より大なる者有らんや。余をして即ち聖人ならしめば、則ち可なり。余は聖人に非ず。而るに人無過と謂ふ。余は其れ大過なるかな」と。
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『幽夢影』巻下・鏡をして知有らしめば必ず撲破に遭はん媸顏陋質の、鏡と仇を爲さざる者は、亦鏡を以て無知の死物と爲すのみ。鏡をして知有らしめば、必ず撲破に遭はん。
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