春秋左氏伝 / 襄公十四年 巧言の卒章
衛獻公戒孫文子。寧惠子食。皆服而朝。日旰不召。而射鴻於囿。二子從之。不釋皮冠而與之言。二子怒。孫文子如戚。孫蒯入使。公飲之酒。使大師歌巧言之卒章。大師辭。師曹請為之。初。公有嬖妾。使師曹誨之琴。師曹鞭之。公怒。鞭師曹三百。故師曹欲歌之。以怒孫子。以報公。公使歌之。遂誦之。蒯懼。告文子。文子曰。君忌我矣。弗先。必死。并帑於戚。而入見蘧伯玉曰。君之暴虐。子所知也。大懼社稷之傾覆。將若之何。對曰。君制其國。臣敢奸之。雖奸之。庸知愈乎。遂行。從近關出。公使子蟜。子伯。子皮。與孫子盟于丘宮。孫子皆殺之。
新字:衛献公戒孫文子。寧恵子食。皆服而朝。日旰不召。而射鴻於囿。二子従之。不釈皮冠而与之言。二子怒。孫文子如戚。孫蒯入使。公飲之酒。使大師歌巧言之卒章。大師辞。師曹請為之。初。公有嬖妾。使師曹誨之琴。師曹鞭之。公怒。鞭師曹三百。故師曹欲歌之。以怒孫子。以報公。公使歌之。遂誦之。蒯懼。告文子。文子曰。君忌我矣。弗先。必死。并帑於戚。而入見蘧伯玉曰。君之暴虐。子所知也。大懼社稷之傾覆。将若之何。対曰。君制其国。臣敢奸之。雖奸之。庸知愈乎。遂行。従近関出。公使子蟜。子伯。子皮。与孫子盟于丘宮。孫子皆殺之。
書き下し
衛の獻公、孫文子・甯惠子を戒めて食せしむ。皆服して朝す。日旰るるまで召さずして、鴻を囿に射る。二子之に從ふ。皮冠を釋かずして之と言ふ。二子怒る。孫文子、戚に如く。孫蒯入りて使ひす。公之に酒を飲ましめ、大師をして巧言の卒章を歌はしむ。大師辭す。師曹請ひて之を為す。初め、公に嬖妾有り、師曹をして之に琴を誨へしむ。師曹之を鞭うつ。公怒りて、師曹を鞭うつこと三百。故に師曹之を歌ひ、以って孫子を怒らせ、以って公に報いんと欲す。公之を歌はしむ。遂に之を誦す。蒯懼れて文子に告ぐ。文子曰く、「君我を忌めり。先んぜずんば、必ず死せん」と。帑を戚に并せて、入りて蘧伯玉に見えて曰く、「君の暴虐は、子の知る所なり。大いに社稷の傾覆を懼る。將に之を若何せんとする」と。對へて曰く、「君其の國を制す。臣敢へて之を奸さんや。之を奸すと雖も、庸ぞ愈れるを知らんや」と。遂に行き、近關より出づ。公、子蟜・子伯・子皮をして孫子と丘宮に盟はしむ。孫子皆之を殺す。
現代語訳
衛の献公は、孫文子(そんぶんし、孫林父)と甯恵子(ねいけいし、甯殖)に、食事に招くから備えておくようにと告げた。二人は礼服を着て朝廷に出た。ところが日が暮れかかっても献公は呼ばず、御苑で鴻(おおとり)を射ていた。二人がそこへ出向くと、献公は狩りの皮の冠を脱がないまま二人と話をした。二人は怒った。孫文子は自分の領地の戚(せき)へ去り、子の孫蒯(そんかい)が朝廷に入って使いの役を務めた。献公は孫蒯に酒を飲ませ、楽師長の大師に『詩経』小雅「巧言」の最後の章を歌わせようとした。その章は「河のほとりにいて、力もないのに乱を起こそうとする者」をそしる歌で、孫氏への当てこすりになるため、大師は辞退した。すると楽師の師曹(しそう)が自分が歌うと願い出た。これより前、献公には寵愛する妾がおり、師曹に琴を教えさせたところ、師曹はその妾を鞭で打った。献公は怒り、師曹を三百回鞭打った。それで師曹はこの歌を歌って孫氏を怒らせ、それによって献公に仕返ししようとしたのである。献公が歌わせると、師曹は(節をつけて歌うだけでは意味が伝わりにくいので)はっきりと朗誦した。孫蒯は恐れて父の文子に告げた。文子は言った。「君は私を憎んでおられる。先手を打たなければ、必ず殺される」。そこで妻子を戚に集め、都に入って蘧伯玉(きょはくぎょく、衛の賢大夫)に会って言った。「君の暴虐はあなたもご存じのとおりだ。社稷(国家)が傾き覆ることをたいへん恐れている。どうしたらよいだろうか」。蘧伯玉は答えた。「君は国を治める方です。臣下がどうしてそれを犯すことができましょう。たとえ犯したとしても、それで今よりよくなるとどうして分かりましょうか」。そして自分は国を去り、最も近い関所から出国した。献公は子蟜(しきょう)、子伯(しはく)、子皮(しひ)の三人を遣わして、孫文子と丘宮で盟約を結ばせようとしたが、孫文子は三人とも殺してしまった。
解説
この章句が説くこと
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史記 衛康叔世家二子之に従ふ。公射服を釈かずして之と言ふ。二子怒り、宿に如く。孫文子の子数々公に侍りて飲む。師曹をして巧言の卒章を歌はしむ。師曹又公の嘗て笞うつこと三百なりしを怒り、乃ち之を歌ひ、以て孫文子を怒らしめ、衛の献公に報いんと欲す。文子蘧伯玉に語る。伯玉曰く、「臣知らざるなり」と。遂に攻めて献公を出す。献公斉に奔る。斉衛の献公を聚邑に置く。孫文子・甯恵子共に定公の弟秋を立てて衛君と為す。是を殤公と為す。殤公秋立ち、孫文子林父を宿に封ず。十二年、甯喜孫林父と寵を争ひて相悪む。殤公甯喜をして孫林父を攻めしむ。林父晋に奔り、復た故の衛の献公を入れんことを求む。献公斉に在り、斉の景公之を聞き、衛の献公と晋に如きて入らんことを求む。晋為に衛を伐ち、誘ひて与に盟ふ。衛の殤公晋の平公に会す。平公殤公と甯喜とを執へて復た衛の献公を入る。献公亡げて外に在ること十二年にして入る。献公の後の元年、甯喜を誅す。三年、呉の延陵季子使ひして衛を過ぎ、蘧伯玉・史(史鰌)を見て曰く、「衛は君子多し。其の国故無からん」と。宿を過ぐ。孫林父為に磬を撃つ。曰く、「楽しからず。音大いに悲し。衛をして乱れしむるは乃ち此なり」と。是の年、献公卒し、子の襄公悪立つ。襄公の六年、楚の霊王諸侯を会す。襄公病と称して往かず。九年、襄公卒す。初め、襄公に賤妾有り、之を幸し、身有り。夢に人有りて謂ひて曰く、「我は康叔なり。若が子をして必ず衛を有たしめん。而の子に名づけて元と曰へ」と。妾之を怪しみ、孔成子に問ふ。成子曰く、「康叔は衛の祖なり」と。子を生むに及びて、男なり。以て襄公に告ぐ。襄公曰く、「天の置く所なり」と。之に名づけて元と曰ふ。襄公の夫人子無し。是に於て乃ち元を立てて嗣と為す。是を霊公と為す。四十二年春、霊公郊に游び、子郢をして仆たらしむ。郢は霊公の少子なり。字は子南。
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『春秋左氏伝』襄公十四年 定姜、三罪を数う四月己未、子展齊に奔る。公鄄に如く。子行をして孫子に請はしむ。孫子又之を殺す。公出でて齊に奔る。孫氏之を追ひ、公の徒を河澤に敗る。鄄人之を執ふ。初め、尹公佗は射を庾公差に學び、庾公差は射を公孫丁に學ぶ。二子公を追ふ。公孫丁公に御たり。子魚曰く、「射れば師に背くと為し、射ずんば戮せらると為る。射るは禮と為さんか」と。兩軥を射て還る。尹公佗曰く、「子は師の為なり。我は則ち遠し」と。乃ち之に反る。公孫丁公に轡を授けて之を射、臂を貫く。子鮮公に從ひて竟に及ぶ。公祝宗をして亡を告げしめ、且つ罪無きを告げしむ。定姜曰く、「神無くんば何ぞ告げん。若し有らば、誣ふべからざるなり。罪有るに若何ぞ無しと告げん。大臣を舍てて小臣と謀る、一の罪なり。先君冢卿有りて以って師保と為すに、之を蔑ろにす、二の罪なり。余巾櫛を以って先君に事へしに、暴妾をば余を使ふこと、三の罪なり。
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『春秋左氏伝』襄公七年 臣と為りて君たり衛の孫文子來聘す。且つ武子の言を拜して、孫桓子の盟を尋(あたた)む。公登れば亦た登る。叔孫穆子相たり。趨り進みて曰く、「諸侯の會に、寡君未だ嘗て衛君に後れず。今、吾子寡君に後れず。寡君未だ過つ所を知らず。吾子其れ少しく安んぜよ」と。孫子辭無く、亦た悛(あらた)むる容無し。穆叔曰く、「孫子必ず亡びん。臣と爲りて君たり、過ちて悛めず、亡の本なり。詩に曰く、『退食して公よりす、委蛇(いい)たり委蛇たり』と。從ふ者を謂ふなり。衡にして委蛇たらば必ず折れん」と。楚の子囊、陳を圍む。鄬(い)に會して以て之を救ふ。鄭の僖公の大子たるや、成の十六年に於て、子罕と晉に適き、焉を禮せず。又子豐と楚に適き、亦た焉を禮せず。其の元年に及び、晉に朝す。子豐、諸を晉に愬へて之を廢せんと欲す。子罕之を止む。將に鄬に會せんとするに及び、子駟相たり。又焉を禮せず。侍者諫む。聽かず。又諫む。之を殺す。鄵(そう)に及び、子駟、賊をして夜に僖公を弒せしめて、瘧疾を以て諸侯に赴す。簡公生まれて五年なり。奉じて之を立つ。陳人、楚を患ふ。慶虎・慶寅、楚人に謂ひて曰く、「吾、公子黃をして往かしめん。而(なんぢ)之を執へよ」と。楚人之に從ふ。二慶、使をして陳侯に會に告げしめて曰く、「楚人、公子黃を執へたり。君若し來らずんば、群臣社稷宗廟に忍びず、二圖有らんことを懼る」と。陳侯逃れ歸る。
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『春秋左氏伝』襄公二十六年 衛献公の復帰二月庚寅、甯喜・右宰穀孫氏を伐つ。克たず。伯國傷つく。甯子出でて郊に舍る。伯國死す。孫氏夜哭す。國人甯子を召す。甯子復た孫氏を攻め、之に克つ。辛卯、子叔及び大子角を殺す。書して「甯喜其の君剽を弒す」と曰ふは、罪の甯氏に在るを言ふなり。孫林父戚を以て晉に如く。書して「戚に入りて以て叛く」と曰ふは、孫氏を罪するなり。臣の祿は、君實に之を有す。義なれば則ち進み、否なれば則ち身を奉じて退く。祿を專らにして以て周旋するは、戮なり。甲午、衛侯入る。書して「國に復歸す」と曰ふは、之を納るればなり。大夫の竟に逆ふる者は、其の手を執りて之と言ふ。道に逆ふる者は、車よりして之に揖す。門に逆ふる者は、之に頷くのみ。公至り、大叔文子を讓めしむ。曰く、「寡人外に淹恤す。二三子皆寡人をして朝夕衛國の言を聞かしむ。吾子獨り寡人に在らず。古人言へること有り、曰く『怨む所に非ずんば怨むこと勿かれ』と。寡人怨めり」と。對へて曰く、「臣罪を知れり。臣不佞にして、羈絏を負ひて以て從ひ、牧圉を扞る能はず。臣の罪一なり。出づる者有り、居る者有り。臣貳して外內の言を通じ以て君に事ふる能はず。臣の罪二なり。二罪有り、敢へて其の死を忘れんや」と。乃ち行き、近關より出づ。公之を止めしむ。衛人戚の東鄙を侵す。孫氏晉に愬ふ。晉茅氏に戍る。殖綽茅氏を伐ち、晉の戍三百人を殺す。孫蒯之を追ふも、敢へて擊たず。文子曰く、「厲にも之れ如かず」と。遂に衛の師に從ひ、之を圉に敗る。雍鉏殖綽を獲たり。復た晉に愬ふ。
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『春秋左氏伝』定公十四年 蒯聵、南子を殺さんとす秋、齊侯・宋公、洮に會す。范氏の故なり。衛侯、夫人南子の為に宋朝を召し、洮に會す。大子蒯聵、盂を齊に獻じ、宋の野を過ぐ。野人之を歌ひて曰く、「既に爾が婁豬を定む、盍ぞ吾が艾豭を歸さざる」と。大子之を羞ぢ、戲陽速に謂ひて曰く、「我に從ひて少君に朝せよ。少君我を見ば、我顧みん。乃ち之を殺せ」と。速曰く、「諾」と。乃ち夫人に朝す。夫人大子を見る。大子三たび顧みるも、速進まず。夫人其の色を見、啼きて走りて曰く、「蒯聵將に余を殺さんとす」と。公其の手を執りて以て臺に登る。大子宋に奔る。盡く其の黨を逐ふ。故に公孟彄出でて鄭に奔り、鄭より齊に奔る。大子人に告げて曰く、「戲陽速、余に禍せり」と。戲陽速人に告げて曰く、「大子則ち余に禍せり。大子無道にして、余をして其の母を殺さしむ。余許さずんば、將に余を戕(そこな)はんとす。若し夫人を殺さば、將に余を以て說(と)かんとす。余是の故に許して為さず、以て余が死を紓(ゆる)めんとす。諺に曰く、『民は信に保んず』と。吾は義を以て信と為すなり」と。冬、十二月、晉人、范・中行氏の師を潞に敗り、籍秦・高彊を獲たり。又鄭の師及び范氏の師を百泉に敗る。
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『春秋左氏伝』襄公二十六年 衛侯、晋に囚わる六月、公晉の趙武・宋の向戌・鄭の良霄・曹人と澶淵に會し、以て衛を討ち、戚の田を疆し、衛の西鄙懿氏六十を取りて、以て孫氏に與ふ。趙武書せざるは、公を尊ぶなり。向戌書せざるは、後るればなり。鄭宋に先んずるは、所を失はざればなり。是に於いて衛侯之に會す。晉人寧喜・北宮遺を執へ、女齊をして以て先づ歸らしむ。衛侯晉に如く。晉人執へて之を士弱氏に囚ふ。秋、七月、齊侯・鄭伯、衛侯の故の為に晉に如く。晉侯兼ねて之を享す。晉侯嘉樂を賦す。國景子齊侯に相として蓼蕭を賦す。子展鄭伯に相として緇衣を賦す。叔向晉侯に命じて二君を拜せしめて曰く、「寡君敢へて齊君の我が先君の宗祧を安んずるを拜す。敢へて鄭君の貳せざるを拜す」と。國子晏平仲をして叔向に私せしむ。
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