囲炉夜話 / 第九十三則・此に於て己に求むるの理を悟るべし
進食需箸,而箸亦只隨其操縱所使,於此可悟用人之方。 作書需筆,而筆不能必其字畫之工,於此可悟求己之理。
新字:進食需箸,而箸亦只随其操縦所使,於此可悟用人之方。 作書需筆,而筆不能必其字画之工,於此可悟求己之理。
書き下し
食を進むるに箸を需ふ、而して箸も亦た只だ其の操縱の使ふ所に隨ふ、此に於て人を用ふるの方を悟るべし。 書を作るに筆を需ふ、而して筆は其の字畫の工を必すること能はず、此に於て己に求むるの理を悟るべし。
現代語訳
食事をするには箸が要りますが、箸もまた、それを扱う人の操り方のままに動くだけです。ここから人を使う方法を悟ることができます。字を書くには筆が要りますが、筆は字画の出来ばえを保証することはできません。ここから自分に求めるという道理を悟ることができます。
解説
箸と筆という身近な道具から、人の使い方と自分の責任を学び取る則です。箸は使い手の動かし方どおりにしか動かないので、人を使うときも、うまくいくかどうかは使う側の采配しだいだと悟れ、と言います。筆もまた、良い筆を持てば字がうまくなるわけではなく、出来ばえは書き手の腕にかかっています。だから結果を道具のせいにせず自分に求めよ、という道理になります。これは論語衛霊公篇の、君子は諸を己に求む、という言葉とも響き合います。二句とも、道具や人のせいにしたくなる心を、使う自分の側へ引き戻している点でつながっています。今日の職場でも、部下が動かない、道具が悪いと言う前に、自分の指示や腕前を見直すことが先決です。
この章句が説くこと
用人自省責任修身道具
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