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春秋左氏伝 / 襄公十年 篳門閨竇の訴へ

王叔陳生與伯輿爭政。王右伯輿。王叔陳生怒而出奔。及河。王復之。殺史狡以說焉。不入。遂處之。晉侯使士匄平王室。王叔與伯輿訟焉。王叔之宰。與伯輿之大夫瑕禽。坐獄於王庭。士匄聽之。王叔之宰曰。篳門閨竇之人。而皆陵其上。其難為上矣。瑕禽曰。昔平王東遷。吾七姓從王。牲用備具。王賴之。而賜之騂旄之盟。曰。世世無失職。若篳門閨竇。其能來東底乎。且王何賴焉。今自王叔之相也。政以賄成。而刑放於寵。官之師旅。不勝其富。吾能無篳門閨竇乎。唯大國圖之。下而無直。則何謂正矣。范宣子曰。天子所右。寡君亦右之。所左亦左之。使王叔氏與伯輿合要。王叔氏不能舉其契。王叔奔晉。不書。不告也。單靖公為卿士。以相王室。

新字:王叔陳生与伯輿争政。王右伯輿。王叔陳生怒而出奔。及河。王復之。殺史狡以説焉。不入。遂処之。晋侯使士匄平王室。王叔与伯輿訟焉。王叔之宰。与伯輿之大夫瑕禽。坐獄於王庭。士匄聴之。王叔之宰曰。篳門閨竇之人。而皆陵其上。其難為上矣。瑕禽曰。昔平王東遷。吾七姓従王。牲用備具。王頼之。而賜之騂旄之盟。曰。世世無失職。若篳門閨竇。其能来東底乎。且王何頼焉。今自王叔之相也。政以賄成。而刑放於寵。官之師旅。不勝其富。吾能無篳門閨竇乎。唯大国図之。下而無直。則何謂正矣。范宣子曰。天子所右。寡君亦右之。所左亦左之。使王叔氏与伯輿合要。王叔氏不能舉其契。王叔奔晋。不書。不告也。単靖公為卿士。以相王室。

書き下し

王叔陳生、伯輿と政を爭ふ。王、伯輿を右(たす)く。王叔陳生怒りて出奔す。河に及ぶ。王之を復し、史狡を殺して以て說(よろこ)ばしむ。入らず、遂に之に處る。晉侯、士匄をして王室を平がしむ。王叔と伯輿と焉に訟ふ。王叔の宰と、伯輿の大夫瑕禽(かきん)と、獄に王庭に坐す。士匄之を聽く。王叔の宰曰く、「篳門閨竇(ひつもんけいとう)の人にして、皆其の上を陵ぐ。其れ上為ること難し」と。瑕禽曰く、「昔、平王東遷するに、吾が七姓、王に從ひ、牲用備具す。王之に賴り、而して之に騂旄(せいばう)の盟を賜ひて曰く、『世世職を失ふ無かれ』と。若し篳門閨竇ならば、其れ能く東に來り底(いた)らんや。且つ王何ぞ焉に賴らん。今、王叔の相たりしより、政は賄を以て成り、刑は寵に放(したが)ふ。官の師旅、其の富に勝へず。吾能く篳門閨竇無からんや。唯だ大國之を圖れ。下にして直無くんば、則ち何をか正と謂はん」と。范宣子曰く、「天子の右くる所は、寡君も亦た之を右け、左くる所は亦た之を左く」と。王叔氏と伯輿とをして要を合せしむ。王叔氏、其の契を舉ぐる能はず。王叔、晉に奔る。書せざるは、告げざればなり。單靖公、卿士と為り、以て王室を相く。

現代語訳

王叔陳生(周の卿士)が伯輿と政権を争った。周の霊王は伯輿の側に立った。王叔陳生は怒って都を出奔し、黄河のほとりまで行った。王は彼を呼び戻そうとし、史狡を殺して王叔陳生の機嫌を取った。しかし王叔陳生は都に入らず、そのまま黄河のほとりにとどまった。晋の悼公は士匄(范宣子)を遣わして王室の争いを調停させた。王叔と伯輿は士匄のもとで訴訟を起こした。王叔の家宰と、伯輿の家臣である瑕禽とが、王の庭で対審し、士匄がそれを聴いた。王叔の家宰は言った。「柴の門に壁をくり抜いた戸口の家に住むような卑しい者たちが、みな上の者をしのごうとしている。これでは上に立つのは難しい」。瑕禽は言った。「昔、平王が東の洛邑に都を遷したとき、我々七つの家は王に従い、祭祀の犠牲や用具をすべて備えました。王はそれに頼り、赤い牛を犠牲にした盟約を賜って、『代々その職を失うことのないように』と仰せられました。もし我々が柴の門の卑しい家柄だったなら、どうして東の都まで王に従って来られたでしょうか。また王がどうして我々に頼られたでしょうか。いま王叔が執政となってから、政治は賄賂で動き、刑罰は寵愛する者の思うままです。その下の役人たちは、富を抱えきれないほどです。これでは我々が柴の門に住むほど貧しくならずにいられましょうか。どうか大国(晋)がこれをお考えください。下の者が正しくても道理が通らないなら、何をもって公正と言えましょうか」。范宣子(士匄)は言った。「天子が味方される者に我が君も味方し、天子が退けられる者は我が君も退けます」。そして王叔氏と伯輿にそれぞれの証拠となる契約書を突き合わせさせた。王叔氏はその契約書を提出することができなかった。王叔は晋に亡命した。『春秋』がこれを記していないのは、周から魯に通告がなかったからである。単靖公が卿士となり、王室を補佐した。

解説

周の王室で、卿士の王叔陳生と伯輿が権力を争い、晋の士匄(范宣子)が調停に入った場面である。法廷のような対審の場で、王叔の家宰は伯輿側を「篳門閨竇の人」、つまり柴の門に壁をくり抜いた戸口の家に住む身分の低い者と見下した。これに対し伯輿の家臣瑕禽は、平王の東遷に従った七姓の由緒を挙げ、自分たちを貧しくしたのは王叔の賄賂政治だと切り返した。家柄の攻撃を、由緒と相手の腐敗の指摘とで反転させた見事な弁論である。士匄は「天子の右くる所は寡君も亦た之を右く」と、周王の判断に従う立場をとりつつ、双方に証拠の文書を出させて決着をつけた。調停者が自らの好みでなく、正統な権威と証拠に基づいて裁いた点に要がある。立場や出自で相手を貶める議論が、事実を突きつけられて崩れる。調停や社内の紛争処理を考える上で、手続きと証拠の重みを教える一節である。

この章句が説くこと

調停証拠公正賄賂弁論

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