春秋左氏伝 / 成公十三年 麻隧の戦い
五月。丁亥。晉師以諸侯之師。及秦師戰于麻隧。秦師敗績。獲秦成差。及不更女父。曹宣公卒于師。師遂濟涇。及侯麗而還。迓晉侯于新楚。成肅公卒于瑕。六月。丁卯。夜。鄭公子班自訾求入于大宮。不能。殺子印。子羽。反軍于市。己巳。子駟帥國人盟于大宮。遂從而盡焚之。殺子如。子駹。孫叔。孫知。曹人使公子負芻守。使公子欣時逆曹伯之喪。秋。負芻殺其大子而自立也。諸侯乃請討之。晉人以其役之勞。請俟他年。冬。葬曹宣公。既葬。子臧將亡。國人皆將從之。成公乃懼。告罪。且請焉。乃反而致其邑。
新字:五月。丁亥。晋師以諸侯之師。及秦師戦于麻隧。秦師敗績。獲秦成差。及不更女父。曹宣公卒于師。師遂済涇。及侯麗而還。迓晋侯于新楚。成粛公卒于瑕。六月。丁卯。夜。鄭公子班自訾求入于大宮。不能。殺子印。子羽。反軍于市。己巳。子駟帥国人盟于大宮。遂従而尽焚之。殺子如。子駹。孫叔。孫知。曹人使公子負芻守。使公子欣時逆曹伯之喪。秋。負芻殺其大子而自立也。諸侯乃請討之。晋人以其役之労。請俟他年。冬。葬曹宣公。既葬。子臧将亡。国人皆将従之。成公乃懼。告罪。且請焉。乃反而致其邑。
書き下し
五月、丁亥、晉の師諸侯の師を以って、秦の師と麻隧に戰ふ。秦の師敗績す。秦の成差及び不更女父を獲たり。曹の宣公師に卒す。師遂に涇を濟り、侯麗に及びて還る。晉侯を新楚に迓ふ。成の肅公瑕に卒す。六月、丁卯、夜、鄭の公子班訾より大宮に入らんことを求む。能はず。子印・子羽を殺し、反りて市に軍す。己巳、子駟國人を帥ゐて大宮に盟ひ、遂に從ひて盡く之を焚き、子如・子駹・孫叔・孫知を殺す。曹人公子負芻をして守らしめ、公子欣時をして曹伯の喪を逆へしむ。秋、負芻其の大子を殺して自ら立つ。諸侯乃ち之を討たんことを請ふ。晉人其の役の勞を以って、他年を俟たんことを請ふ。冬、曹の宣公を葬る。既に葬りて、子臧將に亡げんとす。國人皆將に之に從はんとす。成公乃ち懼れ、罪を告げ、且つ請ふ。乃ち反りて其の邑を致す。
現代語訳
五月丁亥の日、晋の軍は諸侯の軍を率いて、秦の軍と麻隧で戦った。秦の軍は大敗した。秦の成差と、不更(秦の爵位名)の女父を捕らえた。曹の宣公が陣中で亡くなった。軍はそのまま涇水を渡り、侯麗まで進んで引き返した。軍は新楚で晋侯を出迎えた。成国の粛公が瑕で亡くなった。六月丁卯の夜、鄭の公子班(子如)が訾の地から都に入り、宗廟の大宮に入ろうとしたが、できなかった。そこで子印と子羽(ともに鄭の公子)を殺し、引き返して市場に陣取った。己巳の日、子駟(鄭の執政)が国人を率いて大宮で盟約し、そのまま公子班らを追って、その一党をことごとく焼き殺し、子如(公子班)・子駹(その弟)・孫叔・孫知(その子ら)を殺した。曹の人々は公子負芻(ふすう)に国の留守を任せ、公子欣時(子臧)に曹伯(宣公)の遺体を迎えに行かせた。秋、負芻は太子を殺して自ら君位に即いた(曹の成公)。諸侯はそこで彼を討つことを願い出た。晋は今回の出兵の疲れを理由に、別の年まで待つよう求めた。冬、曹の宣公を葬った。葬儀が済むと、子臧は国を去ろうとし、国人はみな彼に従って去ろうとした。成公はそこで恐れ、罪を告げて詫び、留まるよう頼んだ。子臧はそこで戻ったが、自分の邑を返上した。
解説
この章句が説くこと
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史記 晋世家子圉遂に亡げて晋に帰る。十四年九月、恵公卒し、太子圉立つ。是を懐公と為す。子圉の亡ぐるや、秦之を怨み、乃ち公子重耳を求め、之を内れんと欲す。子圉の立つや、秦の伐たんことを畏る。乃ち国中の諸々の重耳に従ひて亡げし者に令して与に期し、期尽きて到らざる者は尽く其の家を滅ぼさんとす。狐突の子毛及び偃重耳に従ひて秦に在り。召すを肯ぜず。懐公怒り、狐突を囚ふ。突曰く、「臣の子重耳に事ふること年数有り。今之を召すは、是れ之に君に反くことを教ふるなり。何を以て之を教へん」と。懐公卒に狐突を殺す。秦の繆公乃ち兵を発して送りて重耳を内れ、人をして欒・郤の党に告げて内応を為さしめ、懐公を高梁に殺し、重耳を入る。重耳立つ。是を文公と為す。晋の文公重耳は、晋の献公の子なり。少きより士を好み、年十七にして、賢士五人有り。趙衰と曰ひ、狐偃咎犯、文公の舅なり、賈佗、先軫、魏武子なり。献公の太子為りし時より、重耳固より已に成人たり。献公即位するとき、重耳年二十一なり。献公の十三年、驪姫の故を以て、重耳蒲城に備へて秦を守る。献公の二十一年、献公太子申生を殺す。驪姫之を讒す。恐れて、献公に辞せずして蒲城を守る。献公の二十二年、献公宦者履鞮をして趣(すみ)やかに重耳を殺さしむ。重耳垣を踰ゆ。宦者逐ひて其の衣袪を斬る。重耳遂に狄に奔る。狄は、其の母の国なり。是の時重耳年四十三なり。此の五士に従ひ、其の余の名あらざる者数十人、狄に至る。狄咎如を伐ち、二女を得たり。長女を以て重耳に妻し、伯鯈・叔劉を生む。少女を以て趙衰に妻し、盾を生む。狄に居ること五歳にして晋の献公卒す。里克已に奚斉・悼子を殺し、乃ち人をして迎へしめ、重耳を立てんと欲す。重耳殺されんことを畏れ、因りて固く謝し、敢て入らず。已にして晋更に其の弟夷吾を迎へて之を立つ。是を恵公と為す。
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史記 楚世家陳・蔡に君として、方城の外焉に属す。苛慝作らず、盗賊伏隠し、私欲違はず、民に怨心無し。先神之に命じ、国民之を信ず。羋姓に乱有らば、必ず季実に立つは、楚の常なり。子比の官は、則ち右尹なり。其の貴寵を数ふれば、則ち庶子なり。神の命ずる所を以てすれば、則ち又之に遠し。民に懐ふこと無し。将た何を以て立たん」と。宣子曰く、「斉の桓・晋の文も亦た是ならずや」と。対へて曰く、「斉の桓は、衛姫の子なり。釐公に寵有り。鮑叔牙・賓須無・隰朋有りて以て輔と為し、莒・衛有りて以て外主と為し、高・国有りて以て内主と為す。善に従ふこと流るるが如く、恵みを施して倦まず。国を有つこと、亦た宜ならずや。昔我が文公は、狐季姫の子なり。献公に寵有り。学を好みて倦まず。生まれて十七年にして、士五人有り。先大夫子余・子犯有りて以て腹心と為し、魏犫・賈佗有りて以て股肱と為し、斉・宋・秦・楚有りて以て外主と為し、欒・郤・狐・先有りて以て内主と為す。亡ぐること十九年、志を守ること彌々篤し。恵・懐民を棄て、民従ひて之に与す。故に文公国を有つこと、亦た宜ならずや。子比は民に施すこと無く、外に援け無し。晋を去るも、晋送らず。楚に帰るも、楚迎へず。何を以て国を有たん」と。子比果たして終へず。卒に立つ者は棄疾なり。叔向の言の如し。平王の二年、費無忌をして秦に如きて太子建の為に婦を取らしむ。婦好し。来たりて、未だ至らざるに、無忌先に帰り、平王に説きて曰く、「秦の女好し。自ら娶るべし。太子の為に更に求めよ」と。平王之を聴き、卒に自ら秦の女を娶り、熊珍を生む。更に太子の為に娶る。是の時伍奢太子の太傅為り、無忌少傅為り。無忌太子に寵無く、常に太子建を讒悪す。建時に年十五なり。其の母は蔡の女なり。王に寵無く、王稍く益々建を疎外す。六年、太子建をして城父に居り、辺を守らしむ。
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