説苑 / 臣術
楚令尹死,景公遇成公幹曰:「令尹將焉歸?」成公幹曰:「殆於屈春乎!」景公怒曰:「國人以為歸於我。」成公幹曰:「子資少,屈春資多,子義獲天下之至憂也,而以為友;鳴鶴與芻狗,其知甚少,而子玩之。鴟夷子皮日侍於屈春,損頗為友,二人者之智,足以為令尹,不敢專其智而委之屈春,故曰:政其歸於屈春乎!」
新字:楚令尹死,景公遇成公幹曰:「令尹将焉帰?」成公幹曰:「殆於屈春乎!」景公怒曰:「国人以為帰於我。」成公幹曰:「子資少,屈春資多,子義獲天下之至憂也,而以為友;鳴鶴与芻狗,其知甚少,而子玩之。鴟夷子皮日侍於屈春,損頗為友,二人者之智,足以為令尹,不敢専其智而委之屈春,故曰:政其帰於屈春乎!」
書き下し
楚の令尹死す。景公成公幹に遇いて曰く、「令尹将た焉くにか帰せん」と。成公幹曰く、「殆ど屈春に於いてか」と。景公怒りて曰く、「国人以て我に帰すと為す」と。成公幹曰く、「子の資少なく、屈春の資多し。子義天下の至憂を獲て、而れども以て友と為す。鳴鶴と芻狗と、其の知甚だ少なきも、而れども子之を玩ぶ。鴟夷子皮日に屈春に侍し、損頗友と為る。二人の智、以て令尹と為るに足るも、敢えて其の智を専らにせずして之を屈春に委ぬ。故に曰く、政其れ屈春に帰せんかと」と。
現代語訳
楚の令尹(宰相)が死んだ。景公が成公幹に出会って「令尹の座は誰の手に帰するだろうか」と尋ねた。成公幹は「おそらく屈春でしょう」と言った。景公は怒って「国人は私に帰すると思っている」と言った。成公幹は言った。「あなたは資質が少なく、屈春は資質が多い。あなたは義のために天下の大きな憂いを引き受ける人物を友としています。鳴く鶴や藁で作った犬のような、知恵の少ない者たちを、あなたは可愛がっています。鴟夷子皮は日々屈春のもとに仕え、損頗も彼の友となっています。この二人の知恵は令尹となるに十分でありながら、あえてその知恵を独占せず屈春に委ねています。だから政治の実権はおそらく屈春に帰するでしょう、と申し上げたのです。」
解説

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