李衛公問対 / 卷中
文能附眾,武能威敵。
書き下し
文は能く衆を附け、武は能く敵を威す。
現代語訳
文の徳は人々を心服させて集めることができ、武の力は敵を威圧することができる。
解説
人を集める力と敵を制する力とは、性質の異なる二つの能力であるという指摘である。人望や誠実さによって人が自然と集まってくる力と、実力や気迫によって相手を怯ませる力は、どちらか一方だけでは足りない。仕事でも人間関係でも、周囲から信頼され支持を得る面と、いざという時に押し返す力を示す面の両方が求められる場面は多い。自分にどちらが欠けているかを振り返る材料になる一句である。
この章句が説くこと
人望実力両輪
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