春秋左氏伝 / 成公十年 忠は令德為り
六月。丙午。晉侯欲麥。使甸人獻麥。饋人為之。召桑田巫。示而殺之。將食。張。如廁。陷而卒。小臣有晨夢負公以登天。及日中。負晉侯出諸廁。遂以為殉。鄭伯討立君者。戊申。殺叔申。叔禽。君子曰。忠為令德。非其人猶不可。況不令乎。秋。公如晉。晉人止公。使送葬。於是糴茷未反。冬。葬晉景公。公送葬。諸侯莫在。魯人辱之。故不書。諱之也。
新字:六月。丙午。晋侯欲麦。使甸人献麦。饋人為之。召桑田巫。示而殺之。将食。張。如廁。陥而卒。小臣有晨夢負公以登天。及日中。負晋侯出諸廁。遂以為殉。鄭伯討立君者。戊申。殺叔申。叔禽。君子曰。忠為令徳。非其人猶不可。況不令乎。秋。公如晋。晋人止公。使送葬。於是糴茷未反。冬。葬晋景公。公送葬。諸侯莫在。魯人辱之。故不書。諱之也。
書き下し
六月丙午、晉侯麥を欲す。甸人をして麥を獻ぜしめ、饋人之を為る。桑田の巫を召し、示して之を殺す。將に食らはんとす。張る。廁に如き、陷りて卒す。小臣晨に公を負ひて以て天に登るを夢みる有り。日中に及びて、晉侯を負ひて諸を廁より出だす。遂に以て殉と為す。鄭伯君を立つる者を討つ。戊申、叔申・叔禽を殺す。君子曰く、「忠は令德為り。其の人に非ざれば猶ほ不可なり。況んや令からざるをや」と。秋、公晉に如く。晉人公を止めて、葬を送らしむ。是に於て糴茷未だ反らず。冬、晉の景公を葬る。公葬を送る。諸侯在る莫し。魯人之を辱とす。故に書せず、之を諱むなり。
現代語訳
六月丙午の日、晋侯(景公)は新しい麦を食べたいと思い、甸人(田地の役人)に麦を献上させ、料理人にこれを調理させた。そして桑田の巫を召し出し、新麦を見せたうえで殺した。いざ食べようとしたとき、腹が張ったので厠に行き、落ち込んで死んだ。ある小臣が、明け方に公を背負って天に登る夢を見ていた。昼になって、その小臣は晋侯を背負って厠から出した。そしてその小臣を殉死させた。鄭伯(成公)は、自分の不在中に新君を立てた者たちを処罰した。戊申の日、叔申(公孫申)と叔禽を殺した。君子は言った。「忠は立派な徳である。しかし、ふさわしい人でなければ、忠であってもなお不可とされる。まして立派でない者ならなおさらである」。秋、成公が晋に行った。晋の人々は公を引き留めて、景公の葬儀に参列させた。このとき、楚に遣わした糴茷はまだ戻っていなかった。冬、晋の景公を葬った。成公は葬儀に参列したが、他の諸侯は誰も来ていなかった。魯の人々はこれを恥とした。そのため『春秋』はこのことを記さない。恥を隠したのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』魯問魯君の嬖人、死す。魯君、之が為に誄す。魯人、因りて説びて之を用う。子墨子、之を聞きて曰く、「誄なる者は、死人の志を道うなり。今、説びて之を用うるに因るは、是れ猶お來首を以て服に從うがごときなり」と。魯陽文君、子墨子に謂いて曰く、「我に忠臣を語る者有り。之に俯せしむれば則ち俯し、之に仰がしむれば則ち仰ぎ、處らしむれば則ち静かに、呼べば則ち應ず。忠臣と謂う可きか」と。子墨子曰く、「之に俯せしむれば則ち俯し、之に仰がしむれば則ち仰ぐは、是れ景に似たり。處らしむれば則ち静かに、呼べば則ち應ずるは、是れ響に似たり。君、将た何をか景と響とに得んや。翟の所謂る忠臣なる者を以てせば、上に過ち有れば則ち之を微にして以て諌め、己に善有れば則ち之を上に訪ねて、敢えて以て外に告ぐる無く、其の邪を匡して其の善に入り、尚びて下に比する無く、美善を上に在らしめて怨讐を下に在らしめ、安樂を上に在らしめて憂慼を臣に在らしむ。此れ翟の忠臣と謂う者なり」と。
-
『武士道』第九章 忠節・支那は孝を本とし日本は忠を本とす此れと等しく、日本人の懐抱する如き忠節は、国を異にして之を頌するものの、ほとんど稀なるを見ん。然れども此れ、吾人の観念の非なるが故にあらずして、却つて彼れにありては既に之を忘却せるが故にして、又た日本人の忠節の念に深厚なるは、他国の未だ容易に企及する能はざるものあるが為なるなからんか。グリフィス氏が、支那に在りては孔教は孝を以て百行の基と為し、日本に在りては忠を以て本と為す、と説けるは真に然り。予は今ここに、読者の或は吃驚酸鼻すべきを顧みず、シェイクスピアの所謂『落魄の主君に仕へて艱苦をつぶさにし』、以て『稗史に名を得たる』忠臣の物語を叙せん。其物語は、我国史を飾れる清廉高義の人格、菅原道真を寓せるものなり。
-
葉隠・聞書第一主君さえ大切に仕り候えば、親も悦び、仏神も納受(のうじゅ)あるべしと存じ候。此方(こなた)は主を思うより外のこと知らず、志(こころざし)つのり候えば、不断(ふだん)御身辺(ごしんぺん)に気を附け、片時も離れ申さず候。又、女は第一に夫を主君の如く存ずべき事である。
-
『韓非子』初見秦第一然り而して兵甲頓れ、士民病み、蓄積索き、田疇荒れ、囷倉虚しく、四隣の諸侯服せず、霸王の名成らず。此れ異なる故無し、其の謀臣皆な其の忠を尽くさざればなり。
-
葉隠・聞書第一忠臣は孝子の門に尋ねよとあり。随分(ずいぶん)心を尽くして孝行すべき事なり。奉公に精を出す人は自然にはあれども、孝行に精出す人は稀なり。よき者には他人も懇(ねんご)ろに、亡き後にて残り多く、孝行に精出す人は稀なり。無理なる人、無理なる親にてなくば知れまじきなり。
-
『武士道』第九章 忠節・忠と孝の衝突平家物語の作者は、小松内府の父清盛の暴虐を憂ふるの条に至り、惻然として、『悲しきかな、君の御為に奉公の忠を致さんとすれば、迷盧八万の巓よりもなほ高き父の恩、たちまちに忘れんとす。いたましきかな、不孝の罪を遁れんとすれば、君の御為には既に不忠の逆臣ともなりぬべし、進退これ谷れり』と歎ぜり。哀れむべし重盛、彼れ後、霊性の誠を披いて死を天に祈り、純潔正義の宿するに難き此塵世を出離せんことを願ふを見るに非らずや。義理と人情との衝突によりて心破れたるもの、古来其人多し、あに独り重盛のみならんや。シェイクスピアも将た旧約全書も、孝を説いて未だ明かなるものあるを見ず。然るに一旦此の衝突の起るや、武士道は孝を捨てて寧ろ忠を取るに遅疑せず。しかのみならず、女子も亦た敢て其子を励まして君主の為に死せしむ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る