春秋左氏伝 / 成公九年 南冠の楚囚
秋。鄭伯如晉。晉人討其貳於楚也。執諸銅鞮。欒書伐鄭。鄭人使伯蠲行成。晉人殺之。非禮也。兵交。使在其間可也。楚子重侵陳以救鄭。晉侯觀于軍府。見鍾儀。問之曰。南冠而縶者。誰也。有司對曰。鄭人所獻楚囚也。使稅之。召而弔之。再拜稽首。問其族。對曰。泠人也。公曰。能樂乎。對曰。先父之職官也。敢有二事。使與之琴。操南音。公曰。君王何如。對曰。非小人之所得知也。固問之。對曰。其為大子也。師保奉之。以朝于嬰齊。而夕于側也。不知其他。公語范文子。文子曰。楚囚。君子也。言稱先職。不背本也。樂操土風。不忘舊也。稱大子。抑無私也。名其二卿。尊君也。不背本。仁也。不忘舊。信也。無私。忠也。尊君。敏也。仁以接事。信以守之。忠以成之。敏以行之。事雖大必濟。君盍歸之。使合晉楚之成。公從之。重為之禮。使歸求成。
新字:秋。鄭伯如晋。晋人討其貳於楚也。執諸銅鞮。欒書伐鄭。鄭人使伯蠲行成。晋人殺之。非礼也。兵交。使在其間可也。楚子重侵陳以救鄭。晋侯観于軍府。見鍾儀。問之曰。南冠而縶者。誰也。有司対曰。鄭人所献楚囚也。使税之。召而弔之。再拝稽首。問其族。対曰。泠人也。公曰。能楽乎。対曰。先父之職官也。敢有二事。使与之琴。操南音。公曰。君王何如。対曰。非小人之所得知也。固問之。対曰。其為大子也。師保奉之。以朝于嬰斉。而夕于側也。不知其他。公語范文子。文子曰。楚囚。君子也。言称先職。不背本也。楽操土風。不忘旧也。称大子。抑無私也。名其二卿。尊君也。不背本。仁也。不忘旧。信也。無私。忠也。尊君。敏也。仁以接事。信以守之。忠以成之。敏以行之。事雖大必済。君盍帰之。使合晋楚之成。公従之。重為之礼。使帰求成。
書き下し
秋、鄭伯晉に如く。晉人其の楚に貳するを討ちて、諸を銅鞮に執ふ。欒書鄭を伐つ。鄭人伯蠲をして成を行はしむ。晉人之を殺す。禮に非ざるなり。兵交はるも、使は其の間に在りて可なり。楚の子重陳を侵して以て鄭を救ふ。晉侯軍府を觀て、鍾儀を見る。之に問ひて曰く、「南冠して縶がるる者は誰ぞや」と。有司對へて曰く、「鄭人の獻ずる所の楚囚なり」と。之を稅かしめ、召して之を弔ふ。再拜稽首す。其の族を問ふ。對へて曰く、「泠人なり」と。公曰く、「能く樂するか」と。對へて曰く、「先父の職官なり。敢へて二事有らんや」と。之に琴を與へしむ。南音を操る。公曰く、「君王は何如」と。對へて曰く、「小人の知るを得る所に非ざるなり」と。固く之を問ふ。對へて曰く、「其の大子為るや、師保之を奉じて、以て嬰齊に朝し、而して側に夕す。其の他を知らず」と。公范文子に語る。文子曰く、「楚囚は君子なり。言に先職を稱す、本に背かざるなり。樂に土風を操る、舊を忘れざるなり。大子を稱す、抑も私無きなり。其の二卿を名いふ、君を尊ぶなり。本に背かざるは仁なり。舊を忘れざるは信なり。私無きは忠なり。君を尊ぶは敏なり。仁以て事に接し、信以て之を守り、忠以て之を成し、敏以て之を行へば、事大なりと雖も必ず濟さん。君盍ぞ之を歸して、晉楚の成を合はせしめざる」と。公之に從ひ、重く之が禮を為して、歸りて成を求めしむ。
現代語訳
秋、鄭伯(成公)が晋に行った。晋の人々は、鄭が楚に二心を抱いたことを責めて、鄭伯を銅鞮で捕らえた。欒書が鄭を伐った。鄭の人々は伯蠲(はくけん)を遣わして講和を求めさせたが、晋の人々はこれを殺した。これは礼にかなわない。兵を交えていても、使者はその間を行き来してよいものである。楚の子重は陳を侵して鄭を救おうとした。晋侯(景公)は武器庫を視察し、鍾儀を見かけた。晋侯は尋ねた。「南方の冠をかぶって縛られている者は誰か」。役人が答えた。「鄭の人々が献上した楚の捕虜です」。晋侯は縄を解かせ、呼び寄せて慰めた。鍾儀は再拝して頭を地につけた。晋侯が家柄を尋ねると、「楽官の家の者です」と答えた。公が「音楽ができるか」と言うと、鍾儀は「父祖以来の職です。どうしてほかのことをいたしましょう」と答えた。公が琴を与えさせると、鍾儀は南方の調べを奏でた。公が「そなたの君王はどのような方か」と尋ねると、鍾儀は「私のような者の知りうることではございません」と答えた。重ねて問うと、こう答えた。「太子であられたころ、師傅と保傅がお仕えし、朝には嬰斉(子重)のもとに、夕べには側(子反)のもとに通われて教えを受けておられました。その他のことは存じません」。公はこれを范文子に話した。范文子は言った。「あの楚の捕虜は君子です。言葉に先祖の職を称したのは、根本に背かないということです。音楽に故郷の調べを奏でたのは、昔を忘れないということです。太子のころのことを語ったのは、私心がないということです。二人の卿の名を呼び捨てにしたのは、自分の君を尊ぶということです。根本に背かないのは仁、昔を忘れないのは信、私心がないのは忠、君を尊ぶのは敏です。仁によって事に当たり、信によって守り、忠によって成し遂げ、敏によって行えば、どんな大事でも必ず成し遂げられます。君はどうして彼を帰して、晋と楚の和議を取りまとめさせないのですか」。公はこれに従い、手厚く礼を尽くして鍾儀を帰国させ、講和を求めさせた。
解説
この章句が説くこと
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孔子家語・儒行解儒に金玉を宝とせずして、忠信を以て宝と為し、土地を祈らずして、仁義を以て土地と為し、多積を求めずして、多文を以て富と為す有り。得難くして禄し易く、禄し易くして畜い難し。時に非ざれば見えず、亦た難得ならずや。義に非ざれば合わず、亦た難畜ならずや。労を先にして禄を後にす、亦た易禄ならずや。其の人情に近きこと此くの如き者有り。儒に之に委ぬるに財貨を以てして貪らず、之を淹すに楽好を以てして淫せず、之を劫すに衆を以てして懼れず、之を阻むに兵を以てして懾れず、利を見て其の義を虧かず、死を見て其の守りを更めず、鷙虫の攫搏も其の勇を程らず、重鼎を引くも其の力を程らず、往く者を悔いず、来る者を予めせず、過言再びせず、流言極めず、其の威を断たず、其の謀を習わず有り。其の特立すること此くの如き者有り。
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論語・子罕篇子曰く、忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること毋かれ。過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。
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論語・衛霊公篇子張、行を問う。子曰く、「言忠信、行篤敬なれば、蛮貊の邦と雖も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならずんば、州里と雖も行われんや。立てば、則ち其の前に参するを見るなり。輿に在れば、則ち其の衡に倚るを見るなり。夫れ然る後に行われん。」子張、諸を紳に書す。
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史記 蒙恬列伝蒙恬は、其の先は斉人なり。恬の大父蒙驁、斉より秦の昭王に事へ、官上卿に至る。秦の荘襄王の元年、蒙驁秦の将と為り、韓を伐ち、成皋・滎陽を取り、三川郡を作置す。二年、蒙驁趙を攻め、三十七城を取る。始皇の三年、蒙驁韓を攻め、十三城を取る。五年、蒙驁魏を攻め、二十城を取り、東郡を作置す。始皇の七年、蒙驁卒す。驁の子を武と曰ひ、武の子を恬と曰ふ。恬嘗て獄を書し文学を典る。始皇の二十三年、蒙武秦の裨将軍と為り、王翦と楚を攻め、大いに之を破り、項燕を殺す。二十四年、蒙武楚を攻め、楚王を虜にす。蒙恬の弟は毅なり。始皇の二十六年、蒙恬家世に因りて秦の将と為るを得、斉を攻め、大いに之を破り、拝して内史と為る。秦已に天下を并せ、乃ち蒙恬をして三十万の衆を将ゐて北のかた戎狄を逐ひ、河南を収めしむ。長城を筑き、地形に因り、用て険塞を制し、臨洮に起こり、遼東に至る。延袤万余里。是に於て河を渡り、陽山に拠り、逶蛇して北す。師を外に暴すこと十余年、上郡に居る。是の時蒙恬の威匈奴を振るはす。始皇甚だ蒙氏を尊寵し、信任して之を賢とす。而して蒙毅を親近し、位上卿に至り、出づれば則ち参乗し、入れば則ち御前にあり。恬は外事に任じて毅は常に内謀を為す。名づけて忠信と為す。故に諸将相と雖も敢て之と争ふ莫し。
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説苑・雜言孔子、呂梁を観る。懸水四十仞、環流九十里、魚鱉過ぐる能わず、黿鼉敢えて居らず。一丈夫有り、方に将に之を渉らんとす。孔子人をして崖に並びて之を止めしめて曰く、「此の懸水四十仞、圜流九十里、魚鱉敢えて過ぎず、黿鼉敢えて居らず、意うに済り難からんか」と。丈夫意に錯かず、遂に渡りて出づ。孔子問う、「子巧みなるか。且つ道術有るか。能く入りて出づる所以は何ぞや」と。丈夫曰く、「始め吾入るや、先ず忠信を以てす。吾の出づるや、又従うに忠信を以てす。忠信吾が軀を波流に錯くも、吾敢えて私を用いず。吾の能く入りて復た出づる所以なり」と。孔子弟子に謂いて曰く、「水すら尚お忠信を以てす可し、義久しくして身之に親しめば、況んや人に於いてをや」と。
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『囲炉夜話』第九十七則・君子は心を存するに但だ忠信に憑る君子は心を存するに但だ忠信に憑る、而して婦孺皆之を敬すること神の如し、所以に君子は落ちて君子たるを得。 小人は世に處するに盡く機關を設く、而して鄉黨皆之を避くること鬼の若し、所以に小人は枉げて小人と做り了んぬ。
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