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春秋左氏伝 / 成公二年 宋文公の厚葬

秋。七月。晉師及齊國佐盟于爰婁。使齊人歸我汶陽之田。公會晉師于上鄍。三帥先路三命之服。司馬。司空。輿帥。候正。亞旅。皆受一命之服。八月。宋文公卒。始厚葬。用蜃炭。益車馬。始用殉。重器備。槨有四阿。棺有翰檜。君子謂華元。樂舉。於是乎不臣。臣。治煩去惑者也。是以伏死而爭。今二子者。君生則縱其惑。死又益其侈。是棄君於惡也。何臣之為。

新字:秋。七月。晋師及斉国佐盟于爰婁。使斉人帰我汶陽之田。公会晋師于上鄍。三帥先路三命之服。司馬。司空。輿帥。候正。亜旅。皆受一命之服。八月。宋文公卒。始厚葬。用蜃炭。益車馬。始用殉。重器備。槨有四阿。棺有翰檜。君子謂華元。楽舉。於是乎不臣。臣。治煩去惑者也。是以伏死而争。今二子者。君生則縦其惑。死又益其侈。是棄君於悪也。何臣之為。

書き下し

秋、七月、晉の師齊の國佐と爰婁に盟ひ、齊人をして我に汶陽の田を歸さしむ。公晉の師に上鄍に會し、三帥に先路三命の服を賜ふ。司馬・司空・輿帥・候正・亞旅、皆一命の服を受く。八月、宋の文公卒す。始めて厚葬す、蜃炭を用ひ、車馬を益し、始めて殉を用ひ、器備を重ね、槨に四阿有り、棺に翰檜有り。君子謂ふ、華元・樂舉、是に於てか臣たらずと。臣は、煩を治め惑ひを去る者なり、是を以て死に伏して爭ふ。今二子の者、君生きては則ち其の惑ひを縱にし、死しては又其の侈を益す、是れ君を惡に棄つるなり。何ぞ臣を之れ為さん。

現代語訳

秋七月、晋軍は斉の国佐(賓媚人)と爰婁で盟いを結び、斉人にわが魯へ汶陽の田を返させた。成公は晋軍と上鄍で会い、晋の三人の将(郤克・士燮・欒書)に先路の車と三命の礼服を贈った。司馬・司空・輿帥・候正・亜旅の諸官には、みな一命の礼服を与えた。八月、宋の文公が亡くなった。このとき初めて手厚い葬儀が行われた。湿気よけに大蛤の灰と木炭を用い、副葬の車馬を増やし、初めて殉死者を用い、副葬の器物を重ね、外棺(槨)には四方に傾斜する屋根をかけ、内棺には飾りを施した。君子は言った。「華元と楽挙は、このことで臣下の道に外れた。臣下とは、君の煩わしい乱れを治め、迷いを取り除く者である。だから死を覚悟してでも諫め争うのだ。いまこの二人は、君が生きているときにはその迷いをほしいままにさせ、亡くなってからはさらにその奢りを増した。これは君を悪の中に捨てたことになる。どうして臣下といえようか」。

解説

鞌の戦いの後始末として、晋と斉が爰婁で盟い、魯は奪われていた汶陽の田を取り戻した。後半は宋の文公の葬儀である。蜃炭で墓を固め、車馬を増やし、初めて殉死者を用い、器物を重ね、棺と槨を華美に飾った。左伝がわざわざ「始めて」と繰り返すのは、それまでの礼の水準を破る前例になったからである。君子の批判は、葬儀を取り仕切った宋の執政華元と楽挙に向けられた。臣とは主君の煩いを治め、迷いを取り除く者であり、そのためには死を覚悟して争う。ところが二人は、君が生きているうちはその迷いを放置し、死んでからは奢りを上乗せした。「是れ君を悪に棄つるなり」、それは君を悪の中に見捨てたことだという。前の句で包囲下の宋を救った華元でさえ、この点では臣の務めを果たさなかったと評されている。トップの望みに沿うことと、トップを支えることは同じではない。側近の役割を考えるうえで示唆のある記事である。

この章句が説くこと

諫言側近の務め奢侈前例礼

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