春秋左氏伝 / 成公二年 郤克、謗りを分かつ
孫桓子還於新築。不入。遂如晉乞師。臧宣叔亦如晉乞師。皆主郤獻子。晉侯許之七百乘。郤子曰。此城濮之賦也。有先君之明。與先大夫之肅。故捷。克於先大夫。無能為役。請八百乘。許之。郤克將中軍。士燮將上軍。欒書將下軍。韓厥為司馬。以救魯衛。臧宣叔逆晉師。且道之。季文子帥師會之。及衛地。韓獻子將斬人。郤獻子馳將救之。至。則既斬之矣。郤子使速以徇。告其僕曰。吾以分謗也。師從齊師于莘。
新字:孫桓子還於新築。不入。遂如晋乞師。臧宣叔亦如晋乞師。皆主郤献子。晋侯許之七百乗。郤子曰。此城濮之賦也。有先君之明。与先大夫之粛。故捷。克於先大夫。無能為役。請八百乗。許之。郤克将中軍。士燮将上軍。欒書将下軍。韓厥為司馬。以救魯衛。臧宣叔逆晋師。且道之。季文子帥師会之。及衛地。韓献子将斬人。郤献子馳将救之。至。則既斬之矣。郤子使速以徇。告其僕曰。吾以分謗也。師従斉師于莘。
書き下し
孫桓子新築に還り、入らず、遂に晉に如きて師を乞ふ。臧宣叔も亦た晉に如きて師を乞ふ。皆郤獻子を主とす。晉侯之に七百乘を許す。郤子曰く、「此れ城濮の賦なり。先君の明と、先大夫の肅と有り、故に捷てり。克は先大夫に於て、役を為すに能ふ無し。請ふ八百乘」と。之を許す。郤克中軍に將たり、士燮上軍に將たり、欒書下軍に將たり、韓厥司馬と為り、以て魯・衛を救ふ。臧宣叔晉の師を逆へ、且つ之を道く。季文子師を帥ゐて之に會す。衛の地に及び、韓獻子將に人を斬らんとす。郤獻子馳せて將に之を救はんとす。至れば、則ち既に之を斬れり。郤子速かに以て徇へしめ、其の僕に告げて曰く、「吾以て謗りを分つなり」と。師齊の師に莘に從ふ。
現代語訳
孫桓子(孫良夫)は新築から戻ると、都に入らず、そのまま晋へ行って援軍を求めた。臧宣叔(臧孫許、魯の大夫)もまた晋へ行って援軍を求めた。二人ともに郤献子(郤克)の屋敷を宿とし、郤克を頼った。晋侯(景公)は戦車七百台の出兵を許した。郤子(郤克)は言った。「これは城濮の戦いのときの兵力です。あのときは先君(文公)の明察と先大夫たちの厳粛さがあったので勝てたのです。私克は先大夫たちに比べれば、その下働きをする力さえありません。どうか八百台をお許しください」。晋侯はこれを許した。郤克が中軍の将、士燮が上軍の将、欒書が下軍の将、韓厥が司馬となって、魯と衛を救いに出た。臧宣叔は晋軍を出迎え、さらに道案内をした。季文子(季孫行父)が魯の軍を率いてこれに合流した。衛の地に至ったとき、韓献子(韓厥)が軍法に触れた者を斬ろうとした。郤献子は馬を馳せて救おうとしたが、着いたときにはすでに斬られていた。郤子はすぐにその首を軍中に示して回らせ、自分の御者に告げて言った。「こうして私も非難を分け持つのだ」。晋軍は斉軍を追って莘に至った。
解説
この章句が説くこと
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