春秋左氏伝 / 宣公四年 君は天なり
秋,七月,戊戌,楚子與若敖氏戰于皋滸,伯棼射王,汰輈,及鼓跗,著於丁寧。又射,汰輈,以貫笠轂。師懼,退。王使巡師曰:「吾先君文王克息,獲三矢焉,伯棼竊其二,盡於是矣。」鼓而進之,遂滅若敖氏。初,若敖娶于鄖,生鬥伯比,若敖卒,從其母畜于邧,淫于邧子之女,生子文焉。邧夫人使棄諸夢中,虎乳之,邧子田,見之,懼而歸,夫人以告,遂使收之。楚人謂乳穀,謂虎於菟,故命之曰鬥穀於菟。以其女妻伯比,實為令尹子文。其孫箴尹克黃,使于齊,還及宋,聞亂,其人曰:「不可以入矣。」箴尹曰:「棄君之命,獨誰受之?君,天也,天可逃乎?」遂歸復命,而自拘於司敗。王思子文之治楚國也,曰:「子文無後,何以勸善?」使復其所,改命曰生。冬,楚子伐鄭,鄭未服也。
新字:秋,七月,戊戌,楚子与若敖氏戦于皋滸,伯棼射王,汰輈,及鼓跗,著於丁寧。又射,汰輈,以貫笠轂。師懼,退。王使巡師曰:「吾先君文王克息,獲三矢焉,伯棼窃其二,尽於是矣。」鼓而進之,遂滅若敖氏。初,若敖娶于鄖,生鬥伯比,若敖卒,従其母畜于邧,淫于邧子之女,生子文焉。邧夫人使棄諸夢中,虎乳之,邧子田,見之,懼而帰,夫人以告,遂使収之。楚人謂乳穀,謂虎於菟,故命之曰鬥穀於菟。以其女妻伯比,実為令尹子文。其孫箴尹克黄,使于斉,還及宋,聞乱,其人曰:「不可以入矣。」箴尹曰:「棄君之命,独誰受之?君,天也,天可逃乎?」遂帰復命,而自拘於司敗。王思子文之治楚国也,曰:「子文無後,何以勧善?」使復其所,改命曰生。冬,楚子伐鄭,鄭未服也。
書き下し
秋、七月、戊戌、楚子若敖氏と皋滸に戰ふ。伯棼王を射る。輈(ちう)を汰(す)ぎて、鼓跗(こふ)に及び、丁寧に著く。又射る。輈を汰ぎて、以って笠轂(りつこく)を貫く。師懼れて退く。王師を巡らしめて曰く、「吾が先君文王息に克ち、三矢を獲たり。伯棼其の二を竊む、是に盡きたり」と。鼓して之を進め、遂に若敖氏を滅ぼす。初め、若敖鄖(うん)に娶り、鬥伯比を生む。若敖卒し、其の母に從ひて邧に畜(やしな)はる。邧子の女に淫し、子文を生む。邧夫人諸を夢中に棄てしむ。虎之に乳す。邧子田して、之を見、懼れて歸る。夫人以って告ぐ。遂に之を收めしむ。楚人乳を穀と謂ひ、虎を於菟(おと)と謂ふ。故に之に命じて鬥穀於菟と曰ふ。其の女を以って伯比に妻(めあは)す。實に令尹子文為り。其の孫箴尹克黃、齊に使ひし、還りて宋に及び、亂を聞く。其の人曰く、「以って入る可からず」と。箴尹曰く、「君の命を棄てば、獨り誰か之を受けん。君は天なり、天逃る可けんや」と。遂に歸りて復命し、自ら司敗に拘す。王子文の楚國を治めしを思ひて曰く、「子文後無くんば、何を以って善を勸めん」と。其の所に復せしめ、命を改めて生と曰ふ。冬、楚子鄭を伐つ、鄭未だ服せざればなり。
現代語訳
秋七月戊戌の日、楚子(荘王)は若敖氏と皋滸で戦った。伯棼(子越椒)が王を射た。矢は車の轅(ながえ)をかすめて太鼓の台に達し、鉦(かね)に突き立った。伯棼はもう一度射た。矢はまた轅をかすめ、王の車の笠のような覆いの軸を貫いた。王の軍は恐れて退いた。王は人をやって軍中を巡らせ、こう言わせた。「わが先君の文王が息の国に勝ったとき、三本の矢を手に入れた。伯棼はそのうち二本を盗んだが、それももう使い尽くした」。そして太鼓を打って兵を進め、ついに若敖氏を滅ぼした。これより前、若敖(楚の君主)は鄖から妻を迎えて鬥伯比を生んだ。若敖が亡くなると、伯比は母について鄖(邧)で養われた。伯比は鄖子の娘と通じて子文を生んだ。鄖子の夫人は、その子を雲夢沢に捨てさせた。すると虎がその子に乳を与えた。鄖子が狩りに出てこれを見つけ、恐れて帰った。夫人がいきさつを話し、鄖子はその子を拾い上げさせた。楚の言葉では乳を「穀」といい、虎を「於菟」という。そこでその子を鬥穀於菟と名づけた。鄖子は娘を伯比に嫁がせた。この子がすなわち令尹子文である。子文の孫の箴尹克黄は斉に使いし、帰る途中で宋まで来たとき、若敖氏の乱を聞いた。従者は「楚に入ってはなりません」と言った。箴尹は言った。「主君の命令を捨てたら、ほかに誰がその命令を受け止めるのか。主君は天である。天から逃れることができようか」。そこで帰国して復命し、自ら司敗(司法官)のもとに出頭して拘束された。王は、子文が楚国をよく治めたことを思い起こして言った。「子文に跡継ぎがいなくなったら、どうして人々に善行を勧められよう」。そこで克黄を元の官職に戻し、名を改めて「生」とした。冬、楚子は鄭を討った。鄭がまだ楚に服していなかったからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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李衛公問対・卷下故に用兵の法は、必ず先ず吾が士衆を察し、吾が勝氣を激して、乃ち以て敵を擊つべし。吳起の『四機』は、氣機を以て上と爲す。他の道無きなり。能く人人をして自ら鬬わしむれば、則ち其の銳當たる莫し。
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史記 高祖本紀約に負き、更めて沛公を立てて漢王と為し、巴・蜀・漢中に王とし、南鄭に都せしむ。関中を三分し、秦の三将を立つ。章邯を雍王と為し、廃丘に都せしむ。司馬欣を塞王と為し、櫟陽に都せしむ。董翳を翟王と為し、高奴に都せしむ。楚の将瑕丘の申陽を河南王と為し、洛陽に都せしむ。趙の将司馬卬を殷王と為し、朝歌に都せしむ。趙王歇徙りて代に王たり。趙の相張耳を常山王と為し、襄国に都せしむ。当陽君黥布を九江王と為し、六に都せしむ。懐王の柱国共敖を臨江王と為し、江陵に都せしむ。番君呉芮を衡山王と為し、邾に都せしむ。燕の将臧荼を燕王と為し、薊に都せしむ。故の燕王韓広徙りて遼東に王たり。広聴かず、臧荼攻めて之を無終に殺す。成安君陳余を河間の三県に封じ、南皮に居らしむ。梅鋗を十万戸に封ず。四月、兵戯下に罷み、諸侯各々国に就く。漢王国に之く、項王卒三万人をして従はしむ、楚と諸侯の慕ひて従ふ者数万人、杜の南より蝕中に入る。去れば輒ち棧道を焼き絶ち、以て諸侯の盗兵の之を襲ふに備へ、亦項羽に東する意無きを示す。南鄭に至る、諸将及び士卒多く道に亡げ帰る、士卒皆歌ひて東帰を思ふ。韓信漢王に説きて曰く、「項羽諸将の功有る者を王とし、而して王独り南鄭に居る、是れ遷なり。軍吏士卒は皆山東の人なり、日夜跂ちて帰らんことを望む、其の鋒に及びて之を用ゐば、以て大功有るべし。天下已に定まらば、人皆自ら寧んじ、復た用ゐるべからず。策を決して東に郷ひ、天下に権を争ふに如かず。」と。項羽関を出で、人をして義帝を徙さしむ。曰く、「古の帝者は地方千里、必ず上游に居る。」と。乃ち使をして義帝を長沙の郴県に徙さしめ、義帝の行を趣す、群臣稍々之に倍叛す、乃ち陰かに衡山王・臨江王をして之を撃たしめ、義帝を江南に殺す。項羽田栄を怨み、斉の将田都を立てて斉王と為す。
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孫子・作戦篇故に智将は敵に食するを務む。敵に食する一鍾は、吾が二十鍾に当たり、萁稈一石は、吾が二十石に当たる。
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史記 田単列伝唯だ独り莒と即墨とのみ下らず。燕軍、斉王の莒に在るを聞き、兵を并せて之を攻む。淖歯既に湣王を莒に殺し、因りて堅く守り、燕軍を距ぐこと数年、下らず。燕、兵を引きて東して即墨を囲む。即墨の大夫出でて与に戦ひ、敗れて死す。城中相与に田単を推して曰く、「安平の戦に、田単の宗人は鉄籠を以て全きを得たり。兵に習ふ」と。立てて以て将軍と為し、即墨を以て燕を距がしむ。頃之して、燕の昭王卒し、恵王立つ。楽毅と隙有り。田単之を聞き、乃ち反間を燕に縦ちて、宣言して曰く、「斉王已に死し、城の抜けざる者は二つのみ。楽毅は誅を畏れて敢て帰らず、斉を伐つを以て名と為すも、実は兵を連ねて南面して斉に王たらんと欲す。斉人未だ附かず、故に且く即墨を攻むるを緩めて以て其の事を待つ。斉人の懼るる所は、唯だ他将の来たらんことを恐るるのみ。即墨残はれん」と。燕王以て然りと為し、騎劫をして楽毅に代らしむ。楽毅因りて趙に帰し、燕人の士卒忿る。而して田単乃ち城中の人をして食ふに必ず其の先祖を庭に祭らしむ。飛鳥悉く城中に翔舞して下りて食ふ。燕人之を怪しむ。田単因りて宣言して曰く、「神来り下りて我に教ふ」と。乃ち城中の人に令して曰く、「当に神人の我が師と為る有るべし」と。一卒有りて曰く、「臣以て師と為るべきか」と。因りて反り走る。田単乃ち起ち、引きて還し、東嚮して坐せしめ、之に師事す。卒曰く、「臣、君を欺けり。誠に能無きなり」と。田単曰く、「子言ふ勿かれ」と。因りて之を師とす。約束を出だす毎に、必ず神師と称す。乃ち宣言して曰く、「吾は唯だ燕軍の得る所の斉の卒を劓し、之を前行に置きて我と戦はんことを懼る。即墨敗れん」と。燕人之を聞き、其の言の如くす。城中の人、斉の諸の降る者の尽く劓せらるるを見て、皆怒り、堅く守り、唯だ得らるるを恐る。単又反間を縦ちて曰く、「吾は燕人の吾が城外の冢墓を掘り、先人を僇しめんことを懼る。寒心すべし」と。燕軍尽く壟墓を掘り、死人を焼く。即墨の人、城上より望み見て、皆涕泣し、倶に出でて戦はんと欲し、怒り自ら十倍す。
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